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10月24日、フランス革命をサヴァイヴした侯爵夫人、ピアニスト、モンジュルー... その数奇な運命が紡ぎ出す音楽の力強さ、深み...

イギリスのピアニスト、いつもおもしろいレパートリーを掘り起こしてくれるクレア・ハモンドの演奏で、モンジュルーの練習曲集『ピアノ教育のための完全教程』から、29曲...

エレーヌ・ド・モンジュルー(1764-1836)。
リヨンの法服貴族の家に生まれたエレーヌ... 一家は間もなくパリへと移り、エレーヌはピアノを習い始める。が、その才能は手習いのレベルを越え、デュセック、クレメンティら、革命前のパリを彩ったヴィルトゥオーゾに師事するまでに... 一方で、1784年、モンジュルー侯爵(当時のフランスの貴族社会らしく、28歳も年上の夫!)と結婚。若き侯爵夫人は、サロンでピアニストとして活躍するも、間もなく、フランス革命(1789)が勃発。フランス革命戦争(1792-99)の最中、夫を亡くし、エレーヌは、マリー・アントワネットが処刑された翌年、1794年、革命裁判所に出廷を命じられる。そこで、「ラ・マルセイエーズ」を即興で変奏し、独裁恐怖政治を布くロベスピエールを黙らせたのだとか... という逸話は、伝説の粋を出ないようだけれど、伝説が生まれるほどの腕前だったのだろう、1795年、創設間もないコンセルヴァトワールの教授に抜擢。やがて第一帝政(1804-14)が成立し、パリが落ち着くと、コンポーザー・ピアニストとしてパリの音楽シーンを彩った。

というモンジュルーの練習曲集『ピアノ教育のための完全教程』を聴くのだけれど... それは、全114曲という膨大な数からなり、革命前年の1788年から、ナポレオンの凋落が始まるモスクワ遠征の年、1812年まで、四半世紀弱を掛けて編まれた大作で... いや、まさに、モンジュルーが時代の荒波に立ち向かい、一歩一歩を歩んだ証しとも言える練習曲集...

で、ハモンドが弾くのは、その内から29曲。古典派の絶頂期からロマン派が動き出す頃まで、音楽においても転換期となる四半世紀だけに、実に多彩な29曲!フランス・クラヴサン楽派の系譜を受け継ぐ流麗なもの、モーツァルトを思わせるもの明朗なもの、ベートーヴェンを思わせる力強いもの、シューベルトを思わせる瑞々しいもの、ショパンを予感させる情感に溢れるものまで... 激動の時代の音楽のうつろいが記録されている。

一方で、29曲、どれもしっかりと地に足の着いた音楽が展開されるのが印象的。それは、モンジュルーが、波乱の人生を生きる中で得た実直さなのだろう... 新旧、多彩なスタイルを繰り出しつつも、どの作品も頼もしくすら感じられ、感慨深い。いや、その音楽から、そこはかとなしに時代の厳しさ、全てを失っても、才能で生き抜いた力強さを感じる。

そんなモンジュルーを聴かせてくれたハモンド... 彼女のやさしくも確かなタッチ、モンジュルーの波乱の人生を慈しむようで、印象的で... 何より、作曲家、モンジュルーの腕の確かさ、しっかりと響かせて、美しくも、しっかりとした聴き応えをもたらしてくれる!いや、聴き入ってしまいます。時代の響きの、切なさ...

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