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他人の人生を歩む人の正体

※1分で読めます。

こんにちは
私は40歳男性です。
現代において幸せに生きる為の教訓は世の中に溢れており、
権威のある方々による心理学、統計学、生物学、、、
と色々な根拠に基づいた情報を即手に入れることができるかと思います。

しかしながら、
それらは今等身大の自分へ消化すべき情報として本当に最適でしょうか。
50年前の理論、海外有名大学の研究結果、玄人の解釈、、
"権威ある正しい情報"(皮肉も込めて)に溢れていますが、
それが必ずしも自分にとっての最適解ではないでしょう。

自分自身に近い環境にいる"普通の誰か"のリアルな主観もたまには飲み込んでみていいのではないでしょうか。

ということで、
40年の人生の中で多くの経験をしてきた"普通の誰か"の私が、
その経験から学んだ教訓をお話していきます。
誰かの気づきとなりましたら幸いです。

ここからは
自分が今幸せではないと思っている方へ向けての記事となります。
現在幸せな方は読む必要はありません。
引き続きお幸せに。

ということで表題について。

私の思う他人の人生を歩む人の正体とは

『執着の奴隷』です。

ちょっと過激な表現かもしれませんが、
わかりやすいのでこのようにお伝えしました。

執着の奴隷とは、執着を捨てられない人です。
では何に執着しているのか。

それが
「普通や当たり前」という価値観です。

例えば、
一般常識
多数派の状態や意見
昔からの風習
親の意見
など、、

この普通や当たり前を既に幸せの解として胸に置いてあるので、
自分だけの幸せについて深く自分自身に問う機会がなく、
この普通・当たり前という価値観で自分自身を計っています。
そしてこの尺度から外れた時に、
自分を肯定できず時に不幸と思ってしまったりもします。

結婚適齢期を過ぎても結婚できないから不幸
旦那の収入が平均年収より少ないから不幸
外見が普通より美しくないから不幸
勉強が人よりできないから不幸
一般家庭に産まれなかったから不幸
地方に生まれたから不幸
などなど、、

確かに普通や当たり前を満たしていたら、
それは世論から幸せな人として見られていることが多く、
事実、幸せな人が多いでしょう。
これに越したことはありません。

20代でパートナーに出会い、結婚し、子供を授かり、30代でマイホームを購入し、家族で幸せに暮らしていく。

私も過去思い描いた幸せの形です。
しかしこの人生の形だけが幸せでしょうか。
違うと思います。

私自身、この普通や当たり前の人生から外れていますが現在幸せです。

つまり私が伝えたいのは、
『普通や当たり前以外=不幸』ではないということです。

普通や当たり前は一旦全て頭から捨ててしまって。
真っ白な状態で自分に問いかけてください。
紙に書き出してみてください。
なぜ?なぜ?なぜ?と深掘りしてみてください。

「自分にとっての幸せとは何か」

「過去、幸せだと感じた瞬間はどのような時だったのか
 それはなぜ幸せだと感じたのか」

このような自分自身への問いかけが、
自分にとっての幸せに気づくきっかけとなり、
自分の人生を歩む道へ繋がっていくかもしれません。

ぜひ、小さいことでも構わないので
間違えなく自分自身の幸せだと思えるものを見つけてください。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
どなたかが読んでくれましたら、また記事を書こうと思います。


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