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乙女には年齢も性別も関係ない

皆さまは「乙女」と聞いて何を想像しますか?

うら若き清らかな少女を思い浮かべた方が多かったのではないでしょうか。

実は乙女を名乗るにはには年齢も性別も関係ないんです。

あくまで私なりの定義ではありますが…それが何故なのか?をこれから書いて行こうと思います。

●乙女の根底にあるのは厳しい父性原理●

乙女とは、その人の「生き方」であり「おのれの定めた美学に殉ずる様式美」である、と私は規定します。「ていねいな暮らし」や「ミニマリスト」に性別も年齢も関係ないように、乙女とは性別も年齢も関係のないライフスタイルなのです。

しかしながら、故・ナンシー関氏が言ったように世の中は「ファンシーとヤンキーに分かれている」…つまり、乙女と言う生き方は表面状はバリバリの「ファンシー」に属する生き方です。個人的にはファンシーもヤンキーも極めすぎると趣味が悪くなりいわゆるバッドテイストな味わいを醸し出してくる点では共通点がある、と思っています。だからこそ野ばらちゃん(乙女のカリスマ・嶽本野ばら氏)はヤンキー少女とロリィタ少女の友情をえがいた「下妻物語」を著したとも言えましょう。ヤンキーもロリィタも極端な美学を極めし者たちなのです(もちろん両者ともにファッションライト層からガチな人々までグラデーションは存在します)。

あらためて問います。

乙女とは何であるのか?

それは、「父性原理に依っている生き方」と私は定義しています。なぜそう思うのかと言うと、私が乙女という生き方に感じたものは次の7つだったからです。

一つ、とことんおのれに対してストイックである
一つ、自分自身で決めたルールはどんな理不尽なものでも守り通す
一つ、妥協しない
一つ、自分しか愛さない
一つ、孤独を恐れない
一つ、自他に厳しい
一つ、おのれの利益を考えない

あれあれあれ?どこの昭和生まれのおじさんのお説教だい?そう思われた方もいらっしゃることでしょう。そうです。乙女という生き方はハードボイルドな勝負師の美学にも通ずるバリバリの父性原理の生き方なのです。ショック!あなたの石頭な企業戦士のお父さんはピカピカの乙女だったのです。残念ですが、あきらめましょう受け入れましょう。

かと言って別に毎朝4時に起きろとかお父さんみたいにブラック企業で出世しろとか筋トレしろとかを申したいわけではありません。

中原淳一先生は「女らしさとはいたずらにくにゃくにゃ甘えるものではありません」とおっしゃっておられましたが、それには疑問を覚えます。

とことんくにゃくにゃ甘えていいんです。それがおのれの美学なら。気の済むまでチャラチャラしましょう。引きこもりましょう。

もっとも、淳一先生は「女性の生き方」について説いたのであり、別に乙女の生き方について言及したわけではない、ということを付け加えさせていただきます。

北野武監督の映画「アウトレイジ」。

私はあの作品が大好きなキタニストです。北野監督の作品に出てくるヤクザたちにも私は乙女を感じます。「全員悪人」ならぬ…

「全員乙女」

だと思います。なんなら生存競争の激しい半沢直樹の世界に生きる人々だってスーパー乙女です。

胃が痛くなるほどの理不尽な勝負とストレス。

でも自分で決めたことだから遵守する。

それでこそ乙女です。直樹えらい。大和田常務も立派。ゆるふわで楽チンでみんなから愛されるモテ系…そんなのいくら女性に生まれても乙女からは遠い存在です。昭和の仁侠映画の高倉健さんなんてものすごく乙女でしかありません。乙女は他者承認を求めません。誰にでもいい顔なんてしません。好かれなくても気にしません。その代わり自分で自分を認めています。そこには究極の自己承認があります。あら。アドラーって乙女だったのね…。乙女は他人の顔色をうかがいません。いつだって孤独で自由です。甲本ヒロトは「野垂れ死んだところで本当のふるさと」と歌いましたが、乙女もそうです。私はこの歌詞が大好きです。安住の地を求めていては乙女ではありません。

●結局乙女とは●

スゴイ極論でXJAPANの紅ばりに煽ってしまいますが、

「どれだけ反社会的であろうともおのれの信念を曲げず自分に忠実であれば乙女」

なんだと思います。欲望のままに生きることとはちょっと違います。立川談志師匠は「上品とは欲望に対する速度が遅いこと」とおっしゃっておられましたが、つまりガツガツ欲張って、ふたつで足りるペヤングを安売りだからって二回レジに並んで四つ買うのは下品だ、ということです。なんなんだそのたとえ。ゆえに、おばさんは乙女のようで乙女からは遠い存在である、と私は思います。だっておばさんはストイックじゃないんですもの。

私はゴージャスで乙女で貴族

乙女志願者の方は1日1回この言葉を唱えてみてください。私は唱えていませんが(高田純次さんかよ!)。

百万本の薔薇を捧げられたのに貧しい絵描きには見向きもしなかった冷たい女優のように、共に乙女道という名の険しいけもの道をたくましく上品に、ときには薄情に歩もうではありませんか。

すでに乙女の皆さまは、本日もギリギリでいつも生きて参りましょう。

こうして書いてみると、自分はまだ全然乙女ではないことを自覚させられます。日々是精進してゆきたいと思います。






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