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決まったレールからいつ降りるか

「今日ひま?」

友達を遊びに誘う時、
子ども時代にはそう予定をたずねて、
出掛けていました。

大人になってから、
「今日ひま?」となかなか、
人を誘うことが減ったように思いませんか。


現代の人には予定がびっしりです。
仕事、家事があり、育児があり、
休みの日には、朝活をして、
友達とランチやゴルフ、旅行、
SNSに書き込み、テレビやネットを見て就寝。


朝から晩まで予定があることを
「充実した日々」と呼ぶ人が多いように感じています。


もっと大きな区切りで見てみましょう。
人生の予定もそうです。

子どもの時から幼稚園、学校に行き、
小学校低学年から6時間授業、
塾や習い事、大学を卒業して、
仕事をしなければいけない空気で、
やりたいことは特に見つからないけど就職、
結婚、子育て、会社と家の往復、
介護に老後。



ザッとあげてみた
「やらなくちゃいけない日常」

その日常に、
「本当に自分がやりたいこと」を考えたり
「自発的な要求」が見えてくるような
余白はあるのでしょうか?



「なにもない日」
はどのくらいありますか?


紙は白いから自由に絵を描いて
デザインすることが出来ます。
すでにスケジュールで埋め尽くされた人生は
自由にデザイン出来ません。

ひとつひとつ、
そのスケジュールが、
本当に必要かを問い直さなければなりません。
親が望むからでもなく、
パートナーや子ども、世間の期待に
応えるためではなく、自分のために。

そこからはじめて、
「自分が幸せな人生設計」が始まります。



「やらなくちゃいけないその日常」
と思っているその生活は、
自分の健康を犠牲にしてまでも
続けなくちゃいけないことでしょうか?


食生活だけではありません。
働き方、職場環境はどうにも出来ませんか?
そこまでお金がないと、満足のいく幸せは手に入りませんか?
家事やご飯支度は、今のままでやるしかありませんか?
何のためのネットサーフィン時間ですか?
自分がかける労力や費用に、
真剣に考えられているでしょうか?


身体というのは正直で、
なにか無理がかかると度合いに応じて
人それぞれのSOSをちゃんと出してくれます。
それが不調や病です。

無理がかかるというのは、
「身体の自発的な要求」ではないことが
積み重なるということです。


食べたくもないのに、
お腹が空いてもいないのに、
時間になったからといって食べる。

美味しくもないのに、
身体にいいし栄養いっぱいだからと食べる。

行きたくもない会社に行く。 

少し横になりたいのに、
皆んなに迷惑かけてしまうから休めない。

整体を続けていると、
そういった「自発的な要求」ではないことに
敏感になり、身心をこわす無理は選ばなくなります。



余白の時間、

「ぼんやりするヒマ」があって、
自分だけの体験、それにともなう心や言葉が
育まれて、

はじめて身体が整い、
「自分が幸せな人生」がスタートします。


それは、他人軸で決められた、
一般的なレールからは
少し外れた道になるかもしれません。
でもその時は、正直で、
無理をしない身体があれば乗り越えられる。


少なくとも私自身、
人間の身体は健康を求め、よりよい人生を求めていることを知り、身体という自然物を信頼感がうまれました。




野口整体の稽古は、茶道や音楽と似た芸事だ
とよく比喩されています。

一杯のお茶に集中して点てて飲む。
それが茶道です。

一手に集中して人にあたたかく触れる。
これが野口整体です。

そんななにげない時間が、
現代では本当に欠けていると思います。


整体では、

□手技にともなう型を身につける
□フワッと隙をつく、緊張させない触れ方
□相手の呼吸についていくこと
□3分残して7分抜く力の緩急のつけ方
□人との適切な間合い、距離
□空間の四隅を常に意識すること   など

一見すると、
なんの意味があるのか?というような
触れる稽古を行います。


ですが、
意味なんてないようなことをやり続けることが、豊かさでもあると思います。



生身の人相手に触れて
相手も自分も同じ痛みも喜びもある
血の通った人間同士労り、
やさしくケアできる。

わたしは、決まった一般レールから降りて
整った身体と整体という日常を手に入れました。


一家に1人、余白ある時間を大切にする
整体人が増えてくれたらいい。
そう切に願っています。


https://otokarada.wixsite.com/-site

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