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魔法少女の系譜、その113~『ザ・カゲスター』と『恐竜探検隊ボーンフリー』~


 まずは、前回の内容に、少し、補足します。
 昭和五十一年(一九七六年)は、特撮番組において、「戦隊の中の紅一点」という定型が、完全に定着した年でした。少数派としての「戦う女性」が定着した年とも言えます。

 前回に挙げた、戦う女性キャラを、もう一度、以下に挙げてみましょう。
『ザ・カゲスター』の風村鈴子/ベルスター(男女二人組の中の一人)
『円盤戦争バンキッド』の白鳥ほのか/バンキッドスワン(五人組の中の紅一点)
『恐竜探検隊ボーンフリー』の牧令子(五人組の中の紅一点)
『忍者キャプター』の桜小路マリア/前期の花忍と、天堂美樹/後期の花忍(七人組の中の紅一点)
『バトルホーク』の楯ユリカ/クイーンホーク(三人組の中の紅一点)
『秘密戦隊ゴレンジャー』のペギー松山/モモレンジャー(五人組の中の紅一点)

 全部で、七人ですね。男性キャラと比べれば、圧倒的に少ないながらも、これだけの「戦う女性キャラ」がいたわけです。
 けれども、昭和五十一年(一九七六年)当時には、彼女たちは、魔法少女―当時の呼び方では、魔女っ子―とは、見なされていませんでした。「魔女っ子」と彼女たちは、まったく違う存在と見なされていました。
 なぜなら、当時の「魔女っ子」には、戦闘要素がなかったからです。先行する「魔女っ子」作品を見れば、わかりますね。

 『魔女っ子メグちゃん』、『ミラクル少女リミットちゃん』、『魔法使いチャッピー』、『ふしぎなメルモ』、『魔女はホットなお年頃』、『さるとびエッちゃん』、『魔法のマコちゃん』、『ひみつのアッコちゃん』、『魔法使いサリー』、『コメットさん』など、みな、戦闘要素がない作品ばかりです。小さな波乱はいくらでもありますが、基本的に、平和な世界の話ばかりですよね。
 特に、『魔女っ子メグちゃん』の影響は、大きかったと考えます。この作品により、「テレビアニメなどに登場する、超常的な力を使う少女」に、「魔女っ子」という呼び名が与えられました。
 名前が与えられると、今度は、その名前が、実態を縛るようになります。

 メグちゃんは、魔法を使って事件を解決したり、時には、いたずらをしたりしますが、戦闘することは、ほとんどありません。ライバルのノンと競う描写はあっても、直接、戦闘するのではなくて、「魔法くらべ」の状態です。
 ということで、「魔女っ子」といえば、「そういうもの」だと思われました。「男性キャラに混じって、悪の組織と戦う」などという要素は、「魔女っ子」には、ありませんでした。

 むろん、例外はあります。『好き!すき!!魔女先生』や『キューティーハニー』は、「女性キャラが、超常的な力を使って、変身して、悪と戦って」いますね。二〇二〇年現在の意味で言う「魔法少女」の定義に、ばっちり合っています。
 とはいえ、この二作品は、昭和の時代(一九七〇年代)の日本では、異端的な作品でした。放映当時には、斬新過ぎて、後継作品が現われませんでした。
 この二作品は、放映当時にジャンル分けしようとしたら、たいへん困っただろうと思います。独創的過ぎて、既存のジャンルに当てはまりませんでしたから。

 『ザ・カゲスター』も、斬新な要素が複数あり、後継作品が現われませんでした。
 『ザ・カゲスター』を、放映当時にジャンル分けしたとしたら、「特撮もの」か、「変身ヒーローもの」にされたでしょう。決して、「魔女っ子もの」には分類されなかったはずです。
 同じように、当時、「超常的な力を持ち、変身して、戦う女性キャラ」が登場する『円盤戦争バンキッド』、『忍者キャプター』、『バトルホーク』、『秘密戦隊ゴレンジャー』も、「特撮もの」か、「変身ヒーローもの」に分類されました。

 昭和五十年(一九七五年)に、『秘密戦隊ゴレンジャー』の放映が始まったことにより、「戦隊もの」というジャンルが生まれました。「複数の正義の味方がチームを組んで、その全員が超常的な力を持っていて、変身して、戦う」話ですね。これにならって、『円盤戦争バンキッド』や、『忍者キャプター』や『バトルホーク』も、戦隊ものと呼ばれることがあります。
 『ザ・カゲスター』は、二人組なので、「戦隊もの」と呼べるかどうか、微妙なところですね。

 『ザ・カゲスター』などが放映されていた昭和五十一年(一九七六年)当時に、「戦う女性キャラ」が、「魔女っ子」の要素に加わり、それが主流になるなんて、予測した人は、皆無に近かったでしょう。
 『プリキュア』シリーズが人気を集めている二〇二〇年現在では、信じられないかも知れません。でも、四十年以上先のことを予測する能力なんて、人間には、ありませんからね。四十年どころか、十年先、三年先でさえも、わからないものです。

 二〇二〇年現在に見るから、ベルスターも、魔法少女に見えます。昭和五十一年(一九七六年)の放映当時には、ベルスターは、ただの「戦う女性キャラ」でした。ベルスターのような存在を、まとめて呼ぶ言葉は、当時は、まだ、なかったと思います。

 『ザ・カゲスター』は、シリーズ化されませんでしたが、「超常的な力を持つ男女二人組が主人公で、二人とも、変身して、戦う」点を継ぐ作品が、現われました。『ザ・カゲスター』の放映が終わった翌年、昭和五十二年(一九七七年)のことです。
 その作品とは、『恐竜大戦争アイゼンボーグ』です。

 本来なら、ここで、『恐竜大戦争アイゼンボーグ』の紹介をすべきですね。
 が、『恐竜大戦争アイゼンボーグ』を語るには、その前に、どうしても、別の作品について、語らなければなりません。
 その作品とは、『恐竜探検隊ボーンフリー』です。『ザ・カゲスター』と同じ、昭和五十一年(一九七六年)に放映されていた作品です。
 以下に、『恐竜探検隊ボーンフリー』について、説明します。

 前回に少し触れましたように、『ボーンフリー』は、特撮とアニメの合成という、珍しい手法で作られた作品でした。恐竜は特撮で表現され、人物はアニメで描かれます。
 『ボーンフリー』の舞台は、現代(一九七〇年代)の日本です。ただし、この世界では、天変地異が起きて、とんでもないことになっています。「地下から、中生代の地面が、当時に生きていた動植物も生きたままの形で、そっくり現われる」という天変地異です。
 これにより、現代の日本に、中生代そのままの恐竜が現われる事態になっています。

 このままでは、恐竜にとっても、人間にとっても、不幸なことになるのは目に見えていますね。このため、現われた恐竜を捕獲し、保護する組織が作られました。それが、「ボーンフリー隊」です。
 ボーンフリー隊は、五人と一匹からなります。北山丈二、権田明、小山三郎、牧令子、正木正男の五人と、セントバーナード犬のドンです。

 ボーンフリー隊の五人と一匹は、超常的な力は持ちません。変身もしません。持っている装備も、現代科学、または、現代科学のちょっとした延長でできそうなものばかりです。
 ですから、この作品は、「特撮もの」ではあっても、「変身ヒーローもの」ではありません。紅一点の女性キャラ、牧令子も、変身ヒロインではなく、当時の概念で言う「魔女っ子」でもありません。
 この作品で超常的なのは、人物ではなくて、世界のほうです。現代日本に、中生代の恐竜が闊歩する事態になっています。

 世界のあちこちで、恐竜たちが現われるたびに、ボーンフリー隊が駆けつけて、恐竜を保護します。何しろ、相手がでかいだけに、なかなかすんなりとは、保護できません。ティラノサウルスのように、凶暴な肉食恐竜もいますからね。その苦闘ぶりに、はらはらどきどきさせられます。

 『ボーンフリー』には、敵役も登場します。キング・バトラーという人物です。
 彼は、狩猟が趣味なんですね。ライオンやトラを狩るのと同じ感覚で、恐竜を狩って、トロフィーにしようとします。大金持ちなので、自力で装甲車などを作って、恐竜狩りに出動してしまいます。
 キング・バトラーは、物語の途中で事故死します。恐竜狩りに出かけて、恐竜とともに谷に落ちるんですね。まったく、自業自得の死に方です。

 キング・バトラーの死後は、彼の娘のレディ・バトラーが、ボーンフリー隊の敵となります。キングが死んだのは、上記のとおり、自業自得なのですが、娘は、「恐竜と、ボーンフリー隊のせいで、父親が死んだ」と逆恨みします。彼女は、純粋に恐竜を虐殺するために、装甲車を駆って出動します。

 キング・バトラーやレディ・バトラーの妨害があるために、それでなくとも難しい恐竜の保護は、ますます、難しくなります。

 『ボーンフリー』の見どころは、何と言っても、恐竜です。恐竜は、日本お得意の着ぐるみではなく、なんと、人形アニメーション(!)で表現されています。ハリウッドの視覚の魔術師、レイ・ハリーハウゼンが使ったのと、同じ方法です。

 人形アニメーションは、ものすごく手間のかかる撮影方法です。恐竜なら恐竜の人形を作って、それを、少しずつ動かして、一コマずつ撮ります。気の遠くなる作業です(*_*)
 ハリウッド映画のように、潤沢な予算と製作期間があるのならともかく、毎週、30分番組で放映しなければならないテレビで、これをやったのは、暴挙としか言いようがありません(←褒めています)。

 実際、『ボーンフリー』は、人気があったのに、放映が延長されず、当初の予定どおり、二クールで終了してしまいました。予算を使い過ぎたからだそうです(^^;

 しかし、作品を見る限り、人形アニメーションをやった甲斐はありました。恐竜の動きが、とても滑らかで、自然なのです。『ジュラシック・パーク』が映画化されるまで、『ボーンフリー』を超える恐竜の映像表現はなかったと思います。

 『ボーンフリー』は、監修に、当時の日本の恐竜研究の第一人者、小畠郁生【おばた いくお】さんを迎えています。本気で、科学的に正確な恐竜の描写を目指していました。
 もちろん、二〇二〇年現在から見れば、古い学説に基づいた描写が多いです。羽毛の生えた恐竜なんて、一頭も登場しません。竜脚類は、水の中から登場します。これは、時代の制約なので、仕方ありません。
 一九七〇年代から、二〇二〇年現在に至るまでに、恐竜学は、飛躍的に進歩しています。古い学説の部分には目をつぶって、『ボーンフリー』を見て下さい。時代の制約の中で、渾身の力を込めて、恐竜を描写しているのが、わかります。

 今、日本で一人前の古生物学者になっている方の中には、子供の頃、『ボーンフリー』を見て、影響を受けた方がいるだろうと想像しています。それくらい、恐竜の描写に、生気があふれていました。
 ボーンフリー隊が恐竜を救助できず、恐竜が死んでしまう回が、何回かあります。そういう回を見ると、何度見ても、泣きそうになります(;o;)

 今回は、ここまでとします。
 次回は、『恐竜大戦争アイゼンボーグ』を取り上げる予定です。



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