魔法少女の系譜、その175~『花の子ルンルン』の花の精とは?~


 今回も、前回に続き、『花の子ルンルン』を取り上げます。
 その前に、前回の訂正です。

 前回の「魔法少女の系譜、その174」で、ヒロインのルンルンを、「花の精と人間とのハーフ」と書いてしまいました。実際には、花の精の血を引いてはいるものの、ハーフではありません。失礼しました。
 ルンルンの両親は、早くに亡くなっていて、物語には登場しません。少なくとも外見上は、普通の人間だったようです。

 訂正はここまでにして、今回は、『花の子ルンルン』に登場する「花の精」に焦点を当てます。

 『花の子ルンルン』は、二〇二一年現在から見れば、まごうことなき魔法少女ものアニメです。けれども、作品中では、魔法少女という言葉も、魔女っ子という言葉も、使われません。そもそも、『ルンルン』放映当時には、まだ、「魔法少女」という言葉は、普及していませんでした。「魔女っ子」という言葉は、存在しました。
 ルンルンは、終始一貫して、魔法少女でも魔女っ子でもなく、「花の子」と呼ばれます。

 『花の子ルンルン』の特徴の一つは、ヨーロッパ的な花の精が登場することですね。ヒロインのルンルン自身が、花の精の血を引いています。花の精は、花の妖精と言い換えることもできますね。
 『ルンルン』の作品中では、花の精は、人間と同じように肉体を持つ存在で、人間と結婚して、子供を作ることもできます。人間と違うのは、さまざまな魔法を使えることです。どのような魔法を使えるのかは、個人差(個精差?)があります。
 もう一つ、花の精の大きな特徴は、植物と関係が深いことです。作品中では、ほとんど具体的な説明はありませんが、例えば、チューリップならチューリップの精がいて、チューリップの精にとって、チューリップの植物体は、自分のもう一つの本体のようなものらしいです。

 このような、ヨーロッパの伝承に由来する妖精については、昭和五十年代前半(一九七〇年代後半)の日本で、急速に関連作品が登場しました。
 『花の子ルンルン』の放映が始まったのは、昭和五十四年(一九七九年)ですね。その一年前、昭和五十三年(一九七八年)には、やはり妖精が登場する『透明ドリちゃん』が放映されています。『透明ドリちゃん』は、『魔法少女の系譜』シリーズで、取り上げましたね。
 さらに一年前の昭和五十二年(一九七七年)には、山岸凉子さんの漫画『妖精王』の連載が始まっています。『透明ドリちゃん』の回で、『妖精王』にも、触れました。

魔法少女の系譜、その169~『透明ドリちゃん』~(2022年08月20日)
https://note.com/otogiri_chihaya/n/ne55db16d7604

 また、昭和五十三年(一九七八年)ころには、ぬりえの『チャームペア』シリーズ第二期『キャシー&ナンシー』が、世に出ています。『キャシー&ナンシー』にも、妖精が登場しますね。
 キャシーとナンシーの家の裏手に湖があり、その中にある島が、妖精の住む世界です。『魔法少女の系譜』シリーズで、取り上げたとおりです。

魔法少女の系譜、その142~セイカのぬりえ『チャームペア』~(2022年08月06日)
https://note.com/otogiri_chihaya/n/nf3f30490e56e

 『花の子ルンルン』との比較で、興味深いのは、『キャシー&ナンシー』の妖精も、植物と関係が深いことです。ナンシーの家の花壇には、いつも、裏の湖の島から、妖精たちが来ています。そのおかげで、ナンシーの家の花壇には、一年中、花が咲き誇ります。
 『キャシー&ナンシー』については、売り出されたのと、終了したのが、正確にいつなのかが、わかりません。この点が、考察をするうえで、ネックになっています。売り出されたのが昭和五十三年(一九七八年)ころ、終了したのが昭和五十六年(一九八一年)ころとしか、判明していません。
 『キャシー&ナンシー』の売り出し年、終了年について、情報をお持ちの方がいましたら、教えて下さい。

 さらに、『花の子ルンルン』と同じ昭和五十四年(一九七九年)には、サンリオのキャラクターに、ヨーロッパ風の花の妖精が登場します。フェアリーチャーマーという名です。愛らしい女の子の姿をしていて、花の髪飾りを付け、花を手に持っています。設定に、はっきりと、「花の妖精」とあります。
 フェアリーチャーマーは、サンリオのキャラクターの中では、あまり売れませんでした(^^; 今では、ほぼ忘れられたキャラクターです。
 当時のサンリオには、すでに、「ハローキティ」、「マイメロディ」、「リトルツインスターズ」などの売れっ子キャラクターがいました。フェアリーチャーマーと同じ昭和五十四年(一九七九年)には、ペンギンのキャラクター「タキシードサム」がデビューしています。同年デビューのサンリオキャラクターでは、タキシードサムが、おそらく、稼ぎ頭でしょう。

 あまり売れなかったにせよ、同じ年に、「花の妖精」を前面に出した作品が、同じように女児向けとして売り出されたのは、注目に値しますね。
 なぜ、昭和五十年代前半(一九七〇年代後半)に、急に、ヨーロッパ由来の妖精ものが、日本に増えたのでしょうか?

 その原因に、心当たりがあります。それは、あるチョコレート菓子に付いていた「おまけカード」でした。
 昭和の時代、森永製菓から、ハイクラウンというチョコレート菓子が発売されていました。売り出されたのは、前回の東京オリンピックがあった昭和三十九年(一九六四年)です。ハイクラウンは、ロングセラー商品で、二十年以上も、売られ続けました。
 昭和五十一年(一九七六年)から、昭和五十四年(一九七九年)ころに渡って、このハイクラウンに、「フラワーフェアリーカード」が、おまけとして挿入されていました。英国の画家、シシリー・メアリー・バーカーが描いた「花の妖精」たちの絵です。繊細な水彩画で、花の特徴をよく表わした妖精たちが、描かれていました。
 フラワーフェアリーカードの妖精は、ヒトよりもずっと小さくて、昆虫くらいの大きさしかありません。相対的に、植物が大きく見えます。背中に、昆虫のような翅【はね】があります。チョウのような翅の場合もあれば、トンボのような翅も、ハチのような翅もあります。衣服は、植物の特徴を、うまくアレンジしています。

 当時、少女だった方に聞くと、「このカード、大好きで、集めていた」方に、よく出会います。「四十年以上経った今でも、捨てられなくて持っている」方も、いらっしゃるほどです。大人気だったんですね。

 日本人に、「花の妖精」のイメージを植え付けたのは、おそらく、森永ハイクラウンのフラワーフェアリーカードだと思います。
 当時はもちろん、インターネットなんてありません。外国の情報って、とても入手しにくくて、貴重だったのですよ。たかがお菓子のおまけとは言えない影響力がありました。
 それに、このフラワーフェアリーカードは、今見ても、おまけとは思えないほど、丁寧に作られています。良い仕事は、何十年か経っても、評価されるものなんですね。四十年以上も、フラワーフェアリーカードを持ち続けている「かつての少女たち」が、おおぜいいることからして、それは、明白です。

 森永ハイクラウンのフラワーフェアリーカードを見た後に、サンリオのフェアリーチャーマーをみると、印象がそっくりなことに気づきます。二〇二一年現在だったら、訴えられかねないと感じるほどです(^^; フェアリーチャーマーがあまり売れなくて、逆に幸いだったのではないでしょうか。

 以下に、昭和五十年代前半(一九七〇年代後半)の日本の「妖精もの」の年表を書いてみます。

昭和五十一年(一九七六年) 森永ハイクラウンのフラワーフェアリーカード
昭和五十二年(一九七七年) 山岸凉子さんの漫画『妖精王』
昭和五十三年(一九七八年) 実写(特撮)テレビドラマ『透明ドリちゃん』
昭和五十三年(一九七八年)?セイカのぬりえ『キャシー&ナンシー』
昭和五十四年(一九七九年) テレビアニメ『花の子ルンルン』
              サンリオのキャラクター「フェアリーチャーマー」

 森永ハイクラウンのフラワーフェアリーカードをきっかけに、少女文化の中に、「ヨーロッパ風の妖精」の波が来ていました。
 『花の子ルンルン』でも、各話の最後の花言葉が紹介されるコーナーに、フラワーフェアリーカードの「花の妖精」とよく似た妖精が登場します。台詞もなく、ただ、花のそばを飛んでいるだけですが、フラワーフェアリーカードの妖精と同じように、ヒトよりもずっと小さくて、背中に、昆虫のような翅【はね】が付いています。

 じつは、『花の子ルンルン』の放映が始まり、「フェアリーチャーマー」が売り出された昭和五十四年(一九七九年)に、日本の少女文化の中に、妖精に関して、もう一つ、大きな動きがありました。
 長くなりましたので、それについては、次回に。今回は、ここまでとします。



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