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「見た目で判断したこと、判断されたことはありますか?」~『ここは今から倫理です。』山田裕貴さんの質問に答えてみる3~


3話は妹に対してコンプレックスを抱えた深川さんと教師と生徒の恋愛について悩む松田先生のお話でした。

私も妹に対してコンプレックスを持っているので深川さんの悩みに共感できたし、それに対する高柳先生の言葉が深くこころに響きました。

ドラマの中で高柳先生は「たえず自分を鏡に映し、美しければそれにふさわしい人になるように、醜ければ教養によってその姿を隠すように。」という言葉を紹介していました。

この言葉を聞いただけでは意味が分からず困惑してしまった私。

神戸先生の解説の中でこう解釈しています。

『鏡に映っているものはさほど重要なことではない、鏡には本当のあなたは映らない、という意味で解釈すべきだと思います。』

私たちは無意識のうちに外見ばかり気にしてしまいますが、中身を磨くことも忘れてはいけないなと思いました。


Q.見た目で判断したこと、判断されたことはありますか?

したことも、されたこともあります。

まず「したこと」から。

私の高校時代の恩師は強面で厳しい人です。だから高校入学当初は「あの先生に目をつけられたら終わりだ」と思っていました。

こんな風に見た目だけで判断してしまっていましたが、学校行事で関わることがあり、その時に優しい一面や面白い一面を知ってからは見方が変わり「もっと関わってみたい」と思うようになっていました。

もし、先生と関わることがなかったら卒業まで興味を持つことはなかったし、私を変えるきっかけも失っていたと思うとなんだか怖いです。

確かに怖い見た目の怖い人もいますが、見た目だけで判断してしまうのはもったいないなと思った出来事でした。


そして「されたこと

「まじめそう」「しっかりしてそう」だから。

どうやら私はまわりからそんな風に見えるらしく、よくこんな理由でいろいろな仕事を任されました。

自分から進んでやっていたものもありますが、中には「やりたくないけどそういわれるならやるしかない」と思ってやっていたものもありました。

私自身は「まじめそう」「しっかりしてそう」と言われることに嬉しい気持ちを持つと同時に、「そう言われるからまじめでいないと」「しっかりしているように見せないと」というようにプレッシャーも感じていた私。

もしかしたら、自分の何気ない一言でそのプレッシャーみたいなものを感じている人がいるかもしれない。

言葉を選ぶ時に少し考えてみるのも大事かもしれませんね。

みなさんは見た目で判断したこと、判断されたことはありますか?


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。とっても嬉しいです。また読みに来てください!