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あのとき見た光景は幻だったのかもしれない
3年前、私が訪れたミャンマーは穏やかだった。
街にはロンジーと呼ばれる巻きスカートのような民族衣装をはいて、タナカと呼ばれる日焼け止めを塗った人がたくさんいた。
地元の食堂で食べた麺料理の味は今でも忘れられず、それだけを食べにまたそこを訪れたいとさえ思う。
しかし、あのとき歩いた街は今、人々の悲しみと怒りに溢れている。
「死者500人超え」「子供も多数犠牲に」
ニュースを見るたびに心がズキズキ痛くなる。
私が悲しんだところで何か変わるわけではない。
だけど、悲しまずにはいられない。
それは私にとって1度訪れた国は、もはや「遠いどこかの国」ではなく「あのとき訪れたあの国」だからだ。
ミャンマーだけじゃない。これまで訪れた国は全てそうだ。
何か事件や災害があれば現地の友人に安否確認の連絡をするし、詳細を調べてSNSでシェアしたりして何かできることはないかと考える。
「残念だけど、もう見られないんですよ」
大学で、残念そうな顔をしてこんな風に言う先生に何人も出会った。
シリアの美しい古代遺跡や風景、エジプトの美しいモスク、アフガニスタンの渓谷に彫られた巨大な仏像など授業で紹介してくれる美しい写真。
でも、今はもう破壊されてしまったものがほとんどだ。
頭の中で想像する。
先生があの場所にいて、現地の人たちと楽しそうに喋っている姿を。今ではもう幻でしかないその姿を。
その瞬間に立ち会えた先生たちは本当にラッキーだったんだと思った。
それと同時に、これまで私が旅をしてきたあの一瞬一瞬も今ではもう記憶の中にしかなくて、実在する遺跡や建物、人もいつかはなくなってしまうんだと気づいた。
旅で出会う、その瞬間はもしかしたら幻なのかもしれない。
ロンジーのはき方を教えてくれたおばちゃん、観光案内が得意なタクシーのおじちゃん、私をぼったくろうとした偽僧侶、大きいお金しかないのに嫌な顔せずに「大丈夫だよ」と言ってくれた雑貨屋のお姉さん……
無事でいてほしい。これ以上犠牲者が出てほしくない。
日本にいる私にもきっと何かできることがあるはずだ。
まずはそれを探すことから始めようと思う。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。とっても嬉しいです。また読みに来てください!