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偏愛、偏読。されど素晴らしき読書の旅


人は一生のうちにどれだけの本を読むことが出来るのだろうか

昨年の暮れから今年初めにかけて『カラマーゾフの兄弟』を読んだ後、ふとそんなことを考えた。
もっと早く――出来れば高校の終わり頃までにこの本を読みたかった――とも。

時間に重さがあるとすれば、若い頃の時間と、人生の折り返し点を過ぎての時間とでは、その重量には相当の開きがあるように思う。

いつ、どんな作家と出会い、どの作品を読むのか――そのことが、人生を左右することさえあるかもしれない。

そんなことを考えているうちに、改めて私のこれまでの読書遍歴を辿ってみたくなった。
いつ頃、誰の本をどれくらい読んできたのか?

文芸雑誌の中の作品や短編などを含めると、けっこう手あたり次第、という印象だが、
10作以上読んだ小説家、と線を引いて数えると、両手の指で足りてしまった。(驚き!)

【20歳代】
大江健三郎 
阿部公房  
【30歳以降】
谷崎潤一郎 
宮沢賢治  
村上龍   
【35歳以降】
村上春樹

(たったこれだけ! 5作前後まで読んだ作家は他に複数人いるけれど……)

【大江健三郎と私】
今年3月、大江健三郎さんが亡くなった。
大江健三郎は、おそらく私がこれまでに最も多くその作品、著書を読んだ作家だ。
もう既に遠い昔の事なので、どのようなきっかけで読み始めたのか、定かではないのだけれど、20歳から23歳くらいのあいだ、大江健三郎の作品だけを読んでいた時期が1年以上ある。

その頃、私の読書は往復約1時間半の電車の中と限られていて、しかも、いつも立って、吊革につかまりながらの読書だった。
『万永元年のフットボール』に始まり、『厳粛な綱渡り』、『洪水は我が魂に及び』、など、とても厚く、重い本を電車の中で貪るようにして読んだ。

20代前半の頃の私が写った写真がある。
厚い本を大切な宝物のように胸に抱えている。
両腕で抱えているのは大江健三郎の作品だ。
視線はどこか空中を彷徨っているようで、今振り返れば、
当時私は、大江作品の中の異空間を旅していたのだろう、と思う。
その旅が、その後私の肉となり血となったのかは分からないが、
旅を楽しんでいたことは間違いないと思う。

不思議なことに(まるで他人事のようだけれど)「大江健三郎全作品」という、全6巻(だったか?)からなる作品集を完読した後、私は彼の作品をまったく読まなくなった。


大江健三郎に飽きたわけではない。たぶんその時点での大江作品すべてを読んでしまったときに、他の作家(その時は村上龍)の作品と出会ったことがその理由だと思う。私の読書時間は相変わらず限られたものだったのだから。

※さらに、その10数年後、自宅を引っ越す際、大江健三郎の作品は他の古い書物と共にすべて処分した。

今、大江健三郎の「不在」は、思いのほか私の心にダメージを与え続けている。
もう、彼の新作を読むことは叶わないのかと思うと言いようのない寂しさを覚え、書物がただの1冊も手元に無いことが更に追い打ちをかけた。

何か一冊くらいは残すべきだったと後悔する。
生前は、もう20年以上、その作品の欠片も読みはしなかったというのに。
これは、ずっと昔、彼の作品と共に過ごした時間の成せる技なのだろうか。

先日、村上春樹の新刊『街とその不確かな壁』を読み終えたとき、深い余韻の中で大江健三郎の作品群を思った。
『万永元年のフットボール』、
20代の私が見た異空間を、もう一度覗いてみたい。
思えば、村上春樹の作品に惹かれるのは、大江作品に共通する世界を、その中に見ているからなのかもしれない。


「読書は心の旅」と誰かが言った。
私の旅はまだ終わらない