言葉と頭が一致しない「矛盾」について
タイトルにある通り、言葉として発していることと、頭や心で思っていることの感覚のズレを感じたことはないだろうか。
私は多くの人がこのことに悩まされているのではないかと思う。
実際私はその一人である。
例えば、自分は「ルブタンを履ける女性になりたい」と多々思う。この背景にはルブタンを購入し、履きこなせられるそんなオーラを纏えるような女性にになりたいという、私の願望だ。(男性でもし読まれている方は「プラダを着た悪魔」の様変わりしたアンハザウェイを想像してほしい。映画の中で出てくるのは当然プラダではあるが)
しかし、同時によく口にするのが、「個性を持って他人とは違うことをすることで、ロールモデルになりたい」。こんな大きな漠然とした夢を持っていることに対して深く突っ込まないでいただきたいところではあるが、結局のところ本当に第一人者になりたいのであれば、「プラダを着た悪魔」のアンハザウェイを模倣するのであれば、実現はできないのではないだろうか。
確かに、そこに自分なりのスパイスや価値観を組み込めば話は変わってくるのかもしれない。しかし、やはり矛盾は生じている言わざるを得ない。
そこで、思うのが果たしてどちらも偽りであるのか。私が思うに、どちらも存在する感情ではあると思う。ただ決め切れないだけ。ましてや、決めきらなければいけない理由はあるのか。
世の中では、物事に対して確固とした定義づけが求められる。それは、対話をする上で共通認識をしっかり持つことが大事であるからだと私は考えている。しかし、自分の人物像にまで当てはめなければいけないことはないのではなかろうか。むしろ型に当てはめようとするがために、自分が苦しくなるのではないか。
型に当てはめらないことで辛い思いや悶々とした気持ちを抱えることの方が多いと思う。だけれど、その中でなんとなくでも共通項が見つけられたら、自分らしさが見えてきて少しは心が穏やかになるのかもしれない。ただ言えるのは、不完全な自分を責めすぎないことだ。自分のことを大切になりたいと切に思う今日この頃である。
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