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どれだけ醤油を入れているかわかっていれば失敗は成功のもとになる

失敗したことのない人は何もしていないのとおんなじだよというような意味の、アインシュタインが言ったらしい言葉を引くなどして、失敗がネガティブなことではないと、(少なくとも頭では)捉えられるようになったことは、とてもいいことなんだと思う。

でも、その意味するところは、やりたかったら失敗を恐れずにやろうよってことであって、失敗慣れすることではないんだと思う。

わたしは打たれ弱いので、失敗ばっかりしても全然へこまないひとを見るとすごいなあと思う。ああいった、いい意味での図々しさを持ち合わせたいと思う(皮肉じゃないよ)。
でも、失敗慣れしているために、図々しいというよりも感覚が麻痺しちゃっているひとも少なからずいる。

丁寧(「丁寧」の具体的な内容はひとによって違う)にやった上での、予期しない失敗だったのか、雑にやった結果の失敗だったのか。
それによって、失敗が成功のもとになるかどうかが決まると思う。

何事においても雑に行うひとは、失敗を繰り返すことが多い。失敗してもへっちゃらな代わりに、何度も何度も同じ失敗をする。それでもへっちゃらというへっちゃらループ。

丁寧にやるひとは、その失敗を次への材料とする。
たとえば料理だったら、醤油が多かったから次から減らそうか、醤油が少なかったから次は増やそうか。もしかしたら醤油は使わなくてもいいかもしれない、代わりに塩麹を使ってみようかとか。

雑なひとはなにが悪かったのかがわからない。感覚的ですらなく無意識に醤油を入れているから、醤油が多かったのか少なかったのか、そもそも醤油がいるのかいらないのかわからない。
場合によっては、キッチンが使いにくいとか、はやく作れとせかされたからなどといって、よその何かのせいにしてしまう。

先だって↑↑こんな記事を書いた。
自分の中の法則を意識していないから、なんでこれができるのかが説明できないという話。

昨日、通信で学んでいる大学の課題が2つ同時に戻ってきた。ある科目で苦戦した以外は、今まで課題は一発で合格していたのに、今回は2科目同時に不合格だった。
戻された課題にはきちんとフィードバックが書かれてあるから、だめだったところが何かがわかって、それに従ってやり直せばいいんだということがわかる。先生ってありがたい。

この年齢(アラフィフ)になると、仕事で大問題を起こしてしまうか、お客様からのクレームでもない限り、ひとから自分の過ちを指摘してもらうことは少ない。
だから失敗しても何が悪かったかは自分で探らないといけない。でも、日々ぼんやりしていると探れない。

ぼんやり何かをやっている場合、あるいはやっていることが大したことじゃないとか、当たり前だとか思っていると、自分の行動が説明できないものばかりになってしまう。
妙に謙遜せずに、自分の中の丁寧さ、たとえば気をつけていること、こだわっていること、こうすればこうなるという経験値(経験値にこだわりすぎるのもアレだけど……)などを見つけていくことが、失敗の糧になる。失敗したということは、自分のやり方がそのケースにはそぐわなかったということ。でも自分が何をやっているのかわかっていなければ、それがそのケースに合っていたかどうかもわからない。

自分が丁寧にやっていることに気づくことは、失敗は成功のもとにつながるだけじゃなく、それが成功すれば自分のしていることへの自信にもつながり、それを武器にすることもできるようになると思う。
だから、自分が醤油をどれだけ入れたのか、ちゃんと意識しておこう。

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