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つれあいは退院しました🎵

※ この画像は、レモンバーム17さんからお借りしました…ありがとうございます!

みなさま、お元気ですか…。
わたしは何とか、生きていますよ~♪
つれあいが、いく度もの入退院を繰り返し、
何とかやっと、もう入院しなくて良くなりそうです。
そのために近況のご報告など,いろいろと綴りたいと思います♥

ガンは、9割方放射線治療?

食道がんと言っても,部位がいろいろありまして、
胸部食道がんや頚部食道がんなど…様々なタイプがあるようです。
特にツレは、胸部食道がんと頚部リンパ腺に転移したがんの治療で、
正式には、ステージⅣと言われていました。
そして3度目の入院時、手術となりました。
それまでは抗がん剤の投与で,入退院を2度ほど繰り返し、
1度目は殆ど軽症というか,回復が早かったのですが、
2度目からの抗がん剤では、だるさが強くなり、
とてもつらそうな入院生活に見えました。
ツレのケースでは、吐き気は伴わず,
池江 璃花子ちゃんみたいな、丸ハゲにもならず、
元々が毛の少ない人だったもので…^^;
髪の毛が減ったな…程度で済んでいました。
がんの治療って,抗がん剤投与のほか、
放射線治療と言って,浴びる形があるじゃないですか。
被爆ですね…ブッチャケ。
しかしながら抗がん剤は、わたしがイメージしていたのと丸きり違って、
テッキリ,飲み薬で投与されるのかと思っていたのですが、
点滴のタイプで,その中には放射線物質が入っているので、
な,ナント!
看護師さんたちは、防護服さながらの装備で対応する
のだそうです!!
みなさんは、それをご存じでしたか???
がん治療の世界って、がんの罹患率が2人に1人だと言われているのに、
割と知らないことが多い世界なのかも知れないと思った1コマでした。
そして、福島の甲状腺がんにかかった子どもたちが、
手術痕を,チェルノ・ネックレスみたいに言われていた時がありましたが、


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B9

それと全く同じような手術痕です。
ツレは、わたしが持って来た,
男性でも,ちっともおかしくない柄や色合いのシックなスカーフを巻いて、
いつも、外に出掛けています。

突然の予期せぬ入院!?

手術後の最初の通院日,検査の結果、
手術の後遺症から、副甲状腺からカルシウムが全く出ていないため、
即入院だ!ということになったそうで…。
これが、4度目の入院でした。
これも目から鱗で,わたしは甲状腺や副甲状腺の働きって、
クイズで出されても、全く答えられません。
カルシウムを出す?チンプンカンプンでした。
でも、とにかくどこの臓器も大事な役割を担っていて,
ここの臓器が活動するおかげで,心臓も元気で動くのだそうで、
ここがお休みしてしまうと,うちのツレは心臓停止で、
死亡するリスクがあったという,危険極まりない状況
だった訳です!
わたしはその日、非常に残念なことに、
家に携帯を置き忘れて,出掛けていました。
彼の家に行き,帰って来る時間になっても戻らないので、
携帯で連絡も取れず,心細くもズーっと待っていました。
あまりの帰宅の遅さに,交通事故や具合が急変して、
どこかでどうかなっていないか等、要らぬ不安にさいなまれ、
少々,冷静さを欠いていました。
彼の部屋から出て自分のうちに帰る途中で,公衆電話を見つけて、
彼に電話する考えがなく,病院の担当医をお願いしますと、
夜の7時過ぎに,その大学病院に電話しました。
電話に出てもらえること自体,こんな遅くにあるのかと、
まずは半信半疑でしたが、出てもらえたのです。
まだツレがいますか?と受付にのっけから尋ねるわたしのバカさ加減…。
そうとう,慌てていたのでしょうね^^;
検査のあと戻って来ないんです!と事情をいろいろと話し、やっと,
担当医に繋いで頂きました。
しかも奇跡的というか,担当医が帰ってしまっていたら、
彼に連絡する考えが頭によぎらずに,更に絶望感に陥っていたでしょう。
しかし担当医がいらしたのです!
それで,事情を聴いてホッとしました!!
実は担当医は、内分泌科の検査や診療が終わる迄,
つきっきりで待っていて下さり、結果的に入院が決まったのだそうです。

晴れて退院出来ました…★

医師からは、スマホをなくしたと言ったら笑われてしまい(自宅にあったというのは結果的なことで,なくしたとその時は思っていて、そう話した)、
こんな時間まで何度か,連絡をして下さっていたというので、
本当に頭が上がりません…。
とにかくそんなこんなで,予期せぬ入院があったため、
わたしは予定を変更し,翌日から入院に必要なものを、
本人に聞いてから、用意して持って行くという感じの,
お見舞・面会生活が始まったのです。
これが意外と長くて,約2週間かかりました。
そして、晴れて退院!!!
その頃にはだるさも解け,副甲状腺機能障害からの手足のしびれも取れ、
だいぶいろいろな症状が、改善されていました。
退院当初は、おぼつかない動きも、
徐々に,速さも増して動けるようになり、
自ら率先して,散歩に行ったり、
多少の重たいものも,買い物で運んで来たりしています。
近頃,70代の有名な方の訃報が目立ちますが、
わたしの恩師も,同じ年代で、
周りの人が次々と,旅立っていくとつぶやいていました。
そういうさびしい心境の時に,何とお声をかけて良いやら…。
「これからも,○○さんは健康でお元気にいて下さいね!」
その程度の声掛けをいう他ありませんでした。
わたしも生前整理を…と思うのに,毎日の忙しさに流されています。
何とかしなくては――!
エンディングノート=終活としては、何冊も書いて来ています!!
みなさんは、どうですか?
遅過ぎた!という後悔はあっても,早過ぎることは決してありません。
それだけは、断言して言えます。
みなさんも,1冊ためしに書いてみてください。
今は自治体でも,文具店でもいろいろ見かけますよ♪

その行為は、更により良い人生の指標となるでしょう。
それでは、また次のnoteでお会いしましょう(⋈◍>◡<◍)。✧♡
ごきげんよ~う♥                                                       (2,555字)

よろしかったら、サポートをしてください。 つれあいの闘病期間は、わたしはワークを休んでおりますので、 つれあいの療養に、使わせて頂きます♥