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若松英輔さんの『悲しみの秘義』を読んで「書くということ」について考えた。

こんな感傷だけで書き散らした文章を公の場に晒してしまっていいのだろうか。

自分の書いた文章を振り返りながら、そんなことを、ふと考えて、もう書くことなんてやめてしまおうかと思うことがある。

書くことを職業にすることなんて、とっくに諦めた人間が、したり顔で、あるいは過剰に溺れたふりをして、俺は何を伝えようとしているのだろうと、自己嫌悪に陥ることがある。

自分を晒して感心を引こうだなんて単なる悪趣味なんじゃないかと思うと、自分の文章だけでなく、自分自身もひどく薄っぺらい存在だと思えてしまう。

ひとりおセンチな気分をもて余して毎日飲んだくれてるように見えて、僕にだってたまには、そんなことを考えてしまう夜もある。

でも、わかっている。

書くことをやめるなんて。
書きたいという衝動をおさえるなんて。
何かを見て読んで聴いて、
感じたことを言葉にすることを禁じるなんて。

そんなこと、できっこないって。
一番に僕自身がわかっている。

僕はそれでしか誰かと繋がれないって、そういう話では全然なくて。

文章を書くということは、僕にとっては「祈り」に近いことなんだって。

そんなことを、この『悲しみの秘義』を読みながら、強く思った。

お前、いつも自分の書いてる文章、どんなだかわかってる?という多方面からの突っ込みが予想されるけど、僕は割りと大真面目だ。

祈り、という言葉が違和感を感じさせるのであれば、呻きや嘆きや慈しみ、といった言葉でもいい。

それを本書を読んで強く確信した。

僕が書こうとしていることも、実はそんなことなんだって、誰かに信じてもらえなくても、僕だけはそう信じていれば大丈夫って、そんな風に思った。


とにかく全人類に読んでいただきたい名著なので、本文から深く心に沁みた一文を引用したいんだけど、そうすると最初から最後まで全部引用しなくちゃいけなくなるので困ってます。

書くこと、について、僕みたいにうだうだ考えてる人じゃなくても、本書で静かに語られる「読むこと」「想うこと」「想いを言葉にすること」「想いを言葉に出来ずに沈黙すること」「想いを言葉に出来ずに呻くこと」についての縦横無尽かつ静謐な思索は、少なくとも読書が生活の一部になっている人にとっては、かけがえのない財産になると思います。

解説の俵万智さんの言葉を借りれば、「久しぶりに『一生モノ』と思える本に出会った」のは間違いなく、こういう本は油断するとすぐに絶版になるんで、皆さま、そこのところ、どうかよろしくお願い致します。

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