見出し画像

今だから思う「ありがとう」を伝える

…なんか鳴ってる。
うざい!今日は事務作業だからまだ寝てていいの!

そう思いながら目覚ましを止めた。
そして惰眠をむさぼることにした。

やっと目が覚めて、
のそのそと起きて、
目覚めの1発でお風呂に入る。

23:30に帰宅して
お風呂に入りたいと思ったものの
夫が使ってた。
待っては見たものの、ずっと空かないから、そのまま寝落ちたのが25:00すぎ。

陽が高くなってるけど、
もういいや、と現状を受け入れたのだった。
今日の仕事はやることさえ終わってればok。昼からでもまぁ間に合う内容だ。少しダッシュしなきゃいけないけど、ダッシュすれば終わりそうだから、大丈夫だろう。


昨日おそかったし、
昼過ぎまで寝ることはないから、
目覚ましなんてかけずに寝たはずなのに、
なんであんなに鳴ってたんだろう?

スマホを開くと、
母からの着信4件と、LINEが10件…
100%めんどくさい案件だ。
いつものごとく、パニックを起こして、
いっぱいいっぱいになってかけてきたのだろう。

わたしの目は無意識にスッと細められ、
まるでチベットスナキツネみたいな顔になったと思う。

パニックを起こす

わたしに電話をする

仕事などで出れないと何度もかけてくる

責めるLINEが入る

それを本人が取り消しする

「いっぱいいっぱいでごめんね」
と、免罪符のようなセリフを最後に送ってくる。

怒るに怒れないセリフ。
責めるに責められないセリフ。
それに対応しない自分は、優しくないと言われてるかのようなセリフ。

トドメに
「病気でおかしいだけだから、そう思っておいて」という。

初めの数回はわたしも対応してたけど、
最近は難しい。
こちらが、気持ち悪くなってくるのだから。
このLINEと電話の詰め込みが週に1〜2回ある。

「忙しい時もあるから出れない。こっちからかけるから、かかってこない時は忙しいと思って」
そう言ったら
「脅さなくても…」と言われる。
いやいや、忙しい時もあるし、出たくない電話もある。わたしにそれを選ぶ権利はないのかい?


母が
更年期からうつ気味になって、
そのあたりから、
毎日電話をするのが日課になってた。
子どもたちのお迎えの帰りとか
スーパーの帰りとか。そんな短時間だけ。
そんな生活も、もう6年をこえる。
初めはよかった。孫と話して元気になっていたから。わたしは繋ぎ役だけ。



最近、
「声を聞かないと安心できない」

と言われると逃げたくなる。
わたしは彼氏でも旦那でもないのだから。
それは彼氏や旦那、親にして欲しいと思うのは間違ってないと思う。
それとも、私が薄情なのだろうか?
頼るにも限度があるだろう、と思ってしまうのだ。



そんなことを考えてたら、
去年ボロボロだった私を支えてくれた
友人たちの顔が浮かんだ。

「あんたは、人に頼らないんだから、電話で弱音を言ってくれて嬉しいんだから、気にすんな!」

言い切ってくれた。

「落ち込んでるときも一緒にいたいよ?」

言ってくれた。

泣きながら電話したときも
「どした!?」と電話に出てくれて
そこから2時間も付き合ってくれた。

不眠症になったときも
「寝るまで電話しとこうよ!」

わたしが寝落ちるまで、ずっと電話を繋いでてくれた。

おかげさまで、
ホメオパシーと旅行で
メンタルの強さを取り戻せたと思うの。

本当に崩れる前に、
みんなが少しずつ支えてくれたから。
みんなが少しずつ生きる勇気をくれたから。


1人に100%を背負わせることはないし、

わたし自身
弱音を吐くくらいなら行動しちゃう!
という性格だ。

電話で弱音を聞いてもらうくらいなら、
現地に行っちゃう。
友人と飲みながら語る方がずっといい。

居たくない場所に
ずっといる意味もわからない。
仕事が嫌なら転職を考えるし、
住んでる街が嫌なら引越しを考える。
それがすぐにはできないのなら、
その場のいいところを見つけるようにしつつ、いつでも転職や引越しできる準備だけは怠らない。そんな性分なのだから。

そういえば
この前
「拠点どうするの?」

ママ友に聞かれたけど、
「拠点」なんて概念がそもそもなかった。
日本語が通じるなら世界各国、どこにいてもいいと思ってるもの。

食にはこだわるけど、
住にはさほどこだわらないから。
場の波動が、心地よいところがいいなぁと思うけど。


友人たちには改めて「ありがとう」って言おうと思う。

こう決めたよ!
こうすることにしたよ!
決められたのは、
みんなの支えがあったからだよ!

本当にありがとう。



自分が逆の立場になってみて、
本当に思う。

支えるって大変だ。
本人はもちろんつらいのだけど。
支えるほどの力量がない人に、支えてもらおうとすると、共倒れしかない。

不安定な人を100%支えられるほど、
わたしは強くない。

まだ小学生の子どもたちが、骨折したときは、支えられるけど、
180センチ90キロの人が骨折したときは、支えられないのだから。


支えるにも限度があるんだなぁ、と改めて考える出来事でした。

この記事が参加している募集

今こんな気分

この経験に学べ

サポートいただきありがとうございます。励みになりますし、記事が、何かお役に立てれば光栄です!