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救われなかった人々との「記憶」
イエスキリストを信じない人たちは、最期、地獄へと永遠に放り込まれます。
イエスキリストを信じた人たちは神様と共に栄光の体で永遠に暮らすこととなります。
私はその時、救われなかった人たちのことをずっと頭に入れながら、戒めとして、神様と過ごしていくことになるのかなと思っていました。
ですが、今日この御言葉を知りました。
「しかし主は、悪者どもを地上から抹殺し、 彼らがいたという記憶さえぬぐい去られます。」
やはり地獄に行った人たちのことは、救われた人々の記憶から消されるのでしょうか。
例えば話は少し違いますが、私の飼ってきた愛するペットたち、亡くなってしまいましたが。彼らは蘇るのでしょうか。もしかして記憶が消されてしまうのでしょうか。
私はもしそのペットの記憶すら消されてしまうのであれば、それは本当の幸せとは言えず、とても苦しいです。偽りの幸せとすら感じます。
新天新地についてはこんな御言葉もあります。
「私は、王座から大声で叫ぶ声を聞きました。「ごらんなさい。神の住まいが人々の間にあります。神は人々と共に住み、人々は神の国民となります。神ご自身が人々の中に住み、 その目から涙をぬぐってくださるのです。もはや、死も悲しみも叫びも苦痛もありません。それらはみな、永遠に姿を消したからです。」」
目から涙を拭い去ってくれる、幸せに満ちた世界。それは記憶が消された世界なのでしょうか。でも確かに救われなかった地獄に行った人々のことをいつまでも思い続けるのは、とても苦しくて悲しいことです。それを覚えていることは、この御言葉とは相反します。
以前の記事でも書きましたが、神様は動物を愛されています。大切に養われています。
私は神様が、亡くなった愛するペットたちとも再会できる愛に満ち溢れた新しい世界をもたらしてくれることを信じたいと思います。
みなさんは「記憶」についてどう思いますか。
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