見出し画像

◆読書日記.《数土直志『誰がこれからのアニメをつくるのか? 中国資本とネット配信が起こす静かな革命』》

<2023年12月18日>

<概要>
20年ぶりの大転換が、静かにはじまっている
――――――――――――――――――――――
製作委員会を立ち上げてお金を集め、深夜にTV放送し、DVD・ブルーレイを売って回収する―この20年の間、日本のアニメ業界を発展させてきたビジネスモデルが大きな転換点を迎えている。変化のきっかけをつくったのは、潤沢な資金を惜しみなく投入する中国、そして、Netflix・Amazonをはじめとした、定額映像配信サービス企業だ。彼らの登場によって戦局は大きく変化し、混迷している。本書は、15年にわたって日本のアニメを取材してきた現役のジャーナリストが、激変する日本のアニメをとりまく状況を分析し、未来を予測する1冊である。主役もいなければ正解もわからないこの時代をサバイブするのは誰だ……!?

本書・袖の内容紹介より引用

<編著者略歴>
数土 直志 ジャーナリスト
――――――――――――――――――――――
メキシコ生まれ、横浜育ち。アニメーションを中心に国内外のエンタテイメント産業に関する取材・報道・執筆を行う。大手証券会社を経て、2002年にアニメーションの最新情報を届けるウェブサイト「アニメ! アニメ!」を設立、国内有数のサイトに育てた。また2009年にはアニメーションビジネス情報の「アニメ! アニメ! ビズ」を立ち上げ、編集長を務める。2012年、運営サイトを(株)イードに譲渡。2016年7月に「アニメ! アニメ!」を離れ、独立。代表的な仕事に「デジタルコンテンツ白書」(一般財団法人デジタルコンテンツ協会)のアニメーションパート、「アニメ産業レポート」(一般社団法人日本動画協会)の執筆など。

本書・裏表紙の著者紹介より引用

 数土直志『誰がこれからのアニメをつくるのか? 中国資本とネット配信が起こす静かな革命』読了。

数土直志『誰がこれからのアニメをつくるのか? 中国資本とネット配信が起こす静かな革命』星海社新書

 2017年に出版され、2016年までの日本のアニメ業界の動向を説明、今どのような状況にあるのかという状況を踏まえ、これからアニメ業界はどうなっていくのかを予想する一冊。

 著者紹介にもある通り、本書の著者は元「アニメ!アニメ!」という国内有数のアニメ情報サイトを運営していた人であり、現在はその運営から離れ、アニメ業界を中心に国内外のエンタテイメント産業を取材するジャーナリストとして活躍している人である。

……という事でこれは6年ほど前の状況論であり、ここから状況はかなり変化しているものと思われる。
 という事で微妙に古い情況に関して批評をするのはどうかとも思えて綜合的なレビューを書こうかどうしようかというのは微妙な所である。
 自分も著者と同じように業界内で製作に関わっているというわけではないので「外側」の人間であり、報道されている以上の情報を持っている訳ではない。

 自分としては興味があるのは、この当時の状況と現在とでは数年でどれほど変化したかという所が大きい。
 という事で本稿ではその6年前と現在との差を考え、素人なりに、その延長線上にある未来を予想しようと思うわけである。

 本書の内容はあくまで「業界の動向」であるので、普通のアニメファンが興味を持つようなものでもない。が、どのアニメファンにも無視できないのは「日本のアニメに将来はあるのか?」という点にあるといえよう。

 気になるのは、業界人らがもう何年も前から噂している「アニメ業界はそのうち崩壊する」というものである。

 先に、素人なりにぼくが思っているアニメ業界の未来予想を提示しておこう。

 それは「日本のアニメ業界は2050年までにはそのクオリティをグッと下げ、ビジネスの主流を外国に明け渡すだろう」というものである。

 根拠は幾つかある。

1)少子化によって日本の人口が減り、国内マーケットが縮小していく事。
2)同じく少子化によって日本の人口が減り、技術を継承するアニメの作り手が不足する事。
3)
桂幹『日本の電機産業はなぜ凋落したのか』で紹介した日本企業の弱点、情況の大きな変化への対応に弱く保守的で、マーケティングも欧米に比べて下手である事。

「1」については今後20~30年でより深刻化するだろう事は想像に難くない。
「人口」というものは、そう簡単に増やせるものではないからだ。
 減った人口は、物凄く単純に言っても減った世代の人々が2人以上の子供を産まなければ回復しない。経済が画期的に安定し、ベビーブームでも起きない限りは、今後も人口が増える事などないだろう。

「2」について言うなら、例えば昨今のアニメ業界のトピックスとしてぼく的に最も印象的だったのは、今年設立された「一般社団法人日本アニメフィルム文化連盟」の投げかけた問題だろう

人材が育っていない、人材のスキル不足がいかに深刻かは、以下のニュース記事に詳しい

 日本のアニメ業界はアニメーターの仕事が膨大に膨らんで回らなくなり、その上薄給なために原画や動画を海外(それこそ中国など)に発注するようになった。そのためにアニメーターの育成に影響を与えてしまったわけである。

 現在アニメ業界を支えているのは50~60代の高いレベルの技術を持ったアニメーターたちで、その下はポッカリと層が抜けており、20~30代の新人や中途半端なキャリアのアニメーターばかりになっているという。

 先に言った一般社団法人日本アニメフィルム文化連盟はこの状況の改善のために動いているのだが、業界の問題はこれだけではなく、問題は山積み状態なのである。

 他にも昨今の問題で無視できないのは、今年の10月から始まったインボイス制度の影響である。
 これによって小規模事業者である声優が影響を受けるために廃業を余儀なくされる者も出てくると、声優の岡本麻弥や甲斐田裕子、アニメプロデューサーの植田益朗などがインボイス制度の中止を訴える記者会見を開き、各地の自治体にも陳情書を送付するなどして話題になった。

 こうして見てみると、昨今でも業界を下支えする様々な末端の個人事業者の状況は厳しくなるばかりで、ポジティブな要素が全く見当たらない事がお分かりになるだろうか?

 少子化の上、業界の末端がこのような状況では、力のある後継者世代が今後育つなどとは、少なくともぼく的には全く想像できない。

「3」についてもぼくとしては非常に悲観的だ。

 日本の企業は伝統的に保守的で、戦略を帰納的に考えすぎなのである。
「帰納的」というのは、ここでは経験した事実の中から一般法則を見つけ出すという事で、つまりは過去の経験を元にして戦略を考えるというやり方である。
 例えば過去の売り上げを分析する事で今後の戦略を決定したり、売れ筋商品のブラッシュアップを考えたり、という日本企業のお得意の方法である。
 この方法は過去の成功体験や成功パターンに執着しがちになり、戦略の大転換がしにくいという欠点がある。

 ただし本書では、アニメ業界はグローバル社会の変化に合わせて少しずつ変化を行っていると説明されている。
 それが何故可能なのかと言えば、アニメ業界がその他の業界と比べてさほど大きくないからでもある。だからこそある程度の柔軟な動きができるのだそうだ。
 その点は多少なりともポジティブな要素なのかもしれない。

 が、それでもコンテンツの配信ビジネスについては、欧米に出遅れて国内でもグローバルな市場でも、日本はNetflixやAmazonプライムに完全に負けてしまっている。

 このビジネススピードの遅さというのは、ぼくとしては桂幹『日本の電機産業はなぜ凋落したのか』で紹介したような、日本の電機産業と似たような戦略の硬直性を思わせてしまうのである。

 日本が世界的シェアを誇っていたカセットテープやCDなどの記録メディア事業にいつまでも執着している間に、世界はストリーミング市場に取って代わられた。それなのに、日本の音楽業界はいつまで経ってもCD文化をだらだら延命させて、中途半端にストリーミングと共存している。

 これは日本のアニメ業界にも言える事なのではないのか?というのがぼくの疑問として、あった。

 製作委員会方式を固持し、TV放送とDVDやブルーレイで資金回収するという方式はまだしぶとく延命している(その他の資金回収方式も出来てきてはいるが)。
 おそらく、DVDやブルーレイなどという記録メディア事業は、音楽業界だけでなくアニメ業界も続けていくのではないのだろうか。

 昨今では『鬼滅の刃』のために国内DVD・ブルーレイの販売数が増加したとニュースでやっていたのを覚えているが、これはやはり国内に限った動きだろう。
 今後縮小していくばかりの国内マーケットばかりを考えていては、業界の将来も明るくはない。

 本書では著者は基本的にアニメ業界のポジティブな面に注目して、その要素でもってどのようにチャンスを活かしていくか?という点を論じているようなのだが、悲観的なぼくとしては、ここで未だにアニメ業界に存在している「危機」を指摘し、皆さんが普段楽しんでいる日本アニメも、ボーッとしている内に廃れてしまう事があるかもしれませんよ、と警告を発しておこうと思ったわけだ。

 ぼくとしては将来、若い世代が質の高いアニメを作りたいと思った場合、まずは中国か韓国に留学して技術を学ばねばならなくなるという状況さえありうると考えているのである。

 アニメは世界でも人気だ、とかNetflixで気軽にアニメが見られていい時代になった、等と油断しているとそういう状況になりかねない。
 本当にアニメが好きだというのであれば、業界の状況を悪くするような制度があるのならばしっかりと声を上げて批判すべきなのだ。

◆◆◆

 さて、ぼくの予想ばかりでなく、いちおう本書の内容にも触れておこう。

 本書は2017年までのアニメ業界の状況がよく纏められていて非常に勉強になった。

 何より、自分の子供の頃と確実に変わったと感じるのは、アニメは昨今では「子供向け番組」でも「一部の熱心なファンたちが楽しむもの」でもなく、ネットによって気軽に見られるために広く若者のライトなファン層が楽しむジャンルになったという事であった。

 現在のアニメは各種アニメ配信サービスによって見られ、グッズ販売やアニソンフェスや映画化、舞台化、企画展など、イベントと複合的に提供される産業になった。
 この辺りが、アニメ業界の「TVで配信してDVD・ブルーレイなど円盤で回収するビジネス」という形態を衰退させた原因なのだろう。

 昨今のアニメ業界の動向の中で、ぼくとしては興味を持って注視しているのが中国勢の動きだ。

 中国がどんどん日本のアニメ・スタイルの技術を吸収して人材を成長させており、その上潤沢な資金力で日本のアニメ製作会社に多大な投資を行っているという状況は現在も変わらないだろう。

 それどころか中国発のアニメ作品はこの当時よりも増加しているのではないかと思われる。

 アニメには左程くわしくないぼくでさえ中国アニメ『時光代理人』や 『天官賜福』『クズ悪役の自己救済システム』など中国作品の噂は耳に入ってくる。

右から『時光代理人』、 『天官賜福』、『クズ悪役の自己救済システム』

『時光代理人』はSFサスペンスだし、『天官賜福』はなんとBLだ。『クズ悪役の自己救済システム』はほとんど「なろう系」のような異世界転生ものである。

 まぁ日本スタイルをかなり真似しているというのはあるとしても、注目すべきはそのジャンルの幅が広がった点にあるんじゃないかと思っている。

 本書にも書かれていた事だが中国は表現上、日本ほどアニメを自由には作る事が出来ない。特にエロやヴァイオレンスに対して中国はさほど寛容ではない。

 が、昨今の中国アニメは中華ファンタジーが隆盛でどんどん新作が出ているし、日本でも話題になった大ヒットSF・劉慈欣の『三体』のアニメ化など、もしかして中国アニメ業界の規制は、緩和されている傾向にあるのではないか?とさえ思っている。

劉慈欣のSF大河小説『三体』のアニメ版

 逆に言うと、日本アニメのアドヴァンテージというのは「子供向け」でも「純粋アート的」でもない、幅広いエンタテイメント形式に開かれている部分にもある。
 だから規制の厳しい中国では、中国国内でのアニメ制作ではなく「日本に作らせてそれを買い上げ、中国でヒットさせる」というビジネスモデルを持つに至った。

 が、そういう作品の表現規制が緩和されるともう、日本の製作会社にどのような利点があるのか?というのが懸念点でもある。

 上にも書いたように、日本はアニメーターの仕事量が膨らみ過ぎて、以前から中国の製作会社に仕事を委託していた。このために中国勢の技術力は近年、確実に上がってきており、こと人材については日本よりも中国の力が増して行っているのではないかとさえ思われる。
 ぼくが「将来、若い世代が質の高いアニメを作りたいと思った場合、まずは中国か韓国に留学して技術を学ばねばならなくなるという状況さえありうる」と予想しているのは、このためである。

◆◆◆

 ぼくのような悲観論者の話を聞くと、知人のアニメ・ファンから「アニメは世界中で大人気だから大丈夫だよ」と言われたりする。
 が、これについては本書の著者の意見では「イエス」でもあり「ノー」でもあるという。「曖昧な中間地点といったところ」なのだそうだ。

 人気の基準をどこに置くかによって評価は変わるし、絶対的な基準を取るのか、相対的な基準を取るのかによっても変わってくる。シンプルに回答するなら、絶対的な基準では間違いなく人気がある。しかし相対的な基準、例えば米国のミッキーマウスやスーパーマンといったキャラクターやCGアニメの大作映画に比べたら、正直言えばその人気は見劣りする。さらにビジネス面で言えばそれらは遠く及ばない。

同書P.173より引用

 アニメエキスポやジャパン・エキスポに初めて行った日本人の多くは、その盛況ぶりにいたく感動する。「日本のアニメやマンガはすごいんだよ。会場は現地の人でいっぱいで、みんな日本のファンなんだ」と興奮気味に話す人に出会ったこともたびたびある。
 しかし、そうした人には、今度は是非、同じ米国、フランスのイベントでも、サンディエゴ・コミコンやアヌシー国際アニメーション映画祭に足を向けることを勧めたい。おそらくそこでは、アニメエキスポやジャパン・エキスポの興奮とは反対に、少々肩を落とすことになるだろう。

同書P.180より引用

 本書で紹介されている通り、日本のコンテンツでこれほど世界中に知られているものは他ジャンルにはない。

 が、その規模はアニメを受け入れている各国のメイン・カルチャーに比べれば細やかなものだ。
 アニメは外人にとって、自国の文化に飽き足らない人たちを受け入れる「カウンター・カルチャー」として「クール」であるに過ぎない。

 アニメは世界の人々にとっては決して「ベスト1」ではない。「オンリー1」なのである。だからこそ世界的に意味があるのだ(これは現代アート作家の村上隆も主張している所である)。

 これは、19世紀に西洋世界が日本の美術に熱狂した「ジャポニズム」と呼ばれた現象と似たものだとぼくは考えている。
 西洋人からしてみれば、ジャポニズムは西洋美術より優れていたのか?と言えば必ずしもそうではなくて、停滞していた当時の西洋美術のマンネリ化を打ち砕く「刺戟的なほど違っていた」スタイルだった。

 現代の日本アニメも「自国の文化との"差"が物珍しく、面白いと思える」ものとして、世界に知られているという点では変わりないのではないかと思う。
 つまり、世界の人々のニッチなニーズに食い込んでいるものの、それは「大人気」かと言えばそういうわけでもなく、それはささやかな「世界各国のニッチ産業」でしかない。

 が、問題は著者の指摘通り、このささやかな状況をいかに安定して維持・拡大していくか、という所にあるだろう。
 そうしなければ、日本の国内マーケットは縮小していくばかりだし、いかにささやかなマーケットだとはいえ、これほど世界中に知られているコンテンツというのも、日本には他に類がないのである。
 著者もその点を日本のアニメ業界のポジティブな面と捉え、そこに業界を救う可能性を見出しているのだ。

 だが、この数年でアニメ業界は如何ほど変化しただろうか? ぼくは当時と比べて、更にポジティブな見通しが出来る程の変化があったとは、残念ながら思っていない。それは冒頭で述べたとおりである。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?