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#91: こんなときだから♪シューマン〜最愛の花嫁へ「献呈」
シューマン:歌曲集「ミルテの花」より「献呈」(1840)
#85 -91のテーマは「憧れのジューンブライドー結婚と音楽」
音楽における「結婚」を語る上で,ロベルト・シューマン(1810-1856)について触れないわけにはいかないでしょう。
「結婚と音楽」の最後を飾るのは,シューマンがクララと結婚する前日に贈った歌曲集『ミルテの花』より「献呈」です。
シューマンとクララの結婚は,クララの父であるフリードリヒ・ヴィーク(1785-1873)に猛反対されました。ピアノ教師として高明であったヴィークは,クララ・ヴィーク(1819-1896)を9歳でピアニストデビューさせ,娘に大きな期待を寄せていました。しかし,16歳で弟子であったシューマンとの交際が発覚すると,ヴィークは激怒。内弟子だったシューマンを家から追い出すと,あらゆる手をつかって妨害行動を開始します。
しかし,障害が大きくなればなるほど二人の愛は鍛え抜かれ,結婚への想いは揺るぎないものへとなりました。ヴィークの妨害がエスカレートしていくと,二人は父親の承諾を得ることを断念し,裁判によって夫婦として認めてもらう手段にでます。そして, 結婚を意識してから5年後,二人の結婚が認められる判決がくだります。その間,少しでも立場が有利になるようにと,シューマンは音楽と哲学の関係を論じた哲学の論文で博士号を取得しています(愛の力って本当にすごい!)
一方,狂人じみた嫌がらせに対してシューマンはヴィークを名誉毀損で訴え,勝訴しています(さすが法律を勉強したシューマン。父親の気持ちも解からんではないが,やはり何時でも誹謗中傷は絶対にダメ!!)。
しかし,その後のシューマン夫妻の活躍を目の当たりにし,ヴィークは自らの過ちを認め,両者は和解しました(良かった!)。
と,このように,ドラマティックな恋愛の末に夫婦となったシューマン夫妻ですが,シューマンはその想いを歌曲に込めました。結婚した1840年は,後に「歌曲の年」と呼ばれ,数々の名作を生み出しました。
本日お送りする「献呈」は,「ミルテの花」の第一曲目。フリードリヒ・リュッケルト(1788-1866)の詩は,シューマンのクララへの最上の賛美そのものです。
愛とはなんて素晴らしいものなのか。
その一言につきます。
本日は巨匠フィッシャー・ディースカウのバリトン,イヨルク・デームスのピアノで,世界中の花嫁に捧げたいと思います。
今日もみなさんにとって,素敵な一日でありますように!
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