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わたしの就職活動

noteをみていると就職活動について述べている記事をよく見かけます。

それほど新卒時の就職活動というのはやはり大きな岐路であり、悩むものなのだと思います。


わたしも就職活動に悩んだうちのひとりです。

ごくある、平凡な就職活動ながらも当時の気持ちを忘れない間にひとつnote記事にして残すことが出来ればいいなと思います。


大学3年6月

はじめてわたしが就職活動というものを意識したのはこの時期だったと思う。ちょうど春休み以降、大学がオンラインになったり、初の緊急事態宣言の時期があったり、ほぼ人と会うことなくのびのびと過ごしていた。6月頃、久しぶりにアルバイトに復帰してみると就職活動を終えた4年生の先輩に出会った。

「就職活動大変でしたかー?」なんて話をしながらまだまだ自分事だと捉えられていなかったわたし。

そんな中、先輩が

「もう○○(わたしの名前)も就活だよね~。今、説明会とか行ってたりするの?」

とひとこと。

…え。行ってない。

「え、先輩ってもうこの時期就活始められてましたか…?」

なんて聞きながら焦ったわたしは家に帰ってすぐさま「就活 始める時期」「就活 なにから始める」などなど手あたり次第、検索…

コロナ禍で友達とも会ってないこともあり

実はみんなもう就活始めてる…?出遅れた…?

と本当に焦った。

これがわたしと就職活動との出会い。(先輩、ありがとうございました…)


大学3年夏

サマーインターンなるものに応募する。就活のノウハウなんてなにも知らないわたしは落ちまくる。参加できたのは結局、抽選や選考なしの企業のインターンとは名ばかりの企業説明会だけ。

はじめは合同説明会に参加するもピンとくる企業に出会えず、働く自分というものが全く想像できなかった。

しかし、夏の間に再放送していたドラマの影響で”バリキャリ”女性に憧れ、都内で車持って、バリバリ仕事して生活したい!かっこいい女になりたい!という夢を抱く。

こんな考えを持ったわたしが選んだ業界は”コンサル”。理由はかっこいい女になるためにはかっこいい仕事、かっこいい仕事はコンサル!、都内で車を持つには金、金ならコンサル!…(今思うと本当に浅はかでばかばかしい…)

このような流れからコンサルメインでインターンシップにエントリーし続けていた。


大学3年秋

コンサルのインターンに悉く落ち、選考で出会った大学名を聞かなくても、画面越しでも高学歴が伝わってくるようなインテリ学生達をみて(コンサル志望の学生は如何にも賢い感じがあった。)自信を無くし、正直向いてないのかなと思い始める。

そう考えた時にぶち当たる壁が”ではどの業界を志望すればいいのか。”というものだ。再度、業界地図なんて雑誌と睨めっこしながら考える。


次の志望先はエンタメ業界だった。

理由は単純でエンタメが好きだから。お笑い芸人やタレントも好きだし、声優、アイドルも好き。漫画やアニメも好きだ。マネージャーも楽しそうだし、放送局や番組制作会社もわくわくしそう。出版社なんかも楽しそう…!

正直、みていて一番楽しい業界だったと思う。全部が趣味の延長線上にあるようで(もし、ここで働けたら…)なんて妄想にも胸を膨らませた。

しかし、秋という時期的なものもあり、この頃はエンタメ業界ではあまり目立った採用活動やインターン募集はなかった。


大学3年冬

いよいよ本選考も差し迫り、周りに内々定を貰った子もぽつぽつと現れだした。この頃から、娯楽としてアニメをみていても制作会社のことを考えてしまったり、ラジオを聴いていても(わたしならどう番組を作るか…)みたいなことを考えるようになってしまって趣味を趣味として楽しめなくなる感覚があった。

そのとき抱いたのが、(趣味は趣味として楽しみたい…、エンタメは受け手でいたいかも…)という気持ちだった。

正直、わたしは我ながら大のエンタメ好きだ。だからこそ、もし仕事をすることでそのエンタメを純粋に楽しめなくなったときの自分を想像すると怖くなった。

このときにわたしのなかで”好き=仕事にしたい”ではないということを自覚した。わたしには仕事での苦労を乗り越えながらもより良いエンタメを提供したいや支えたいなんて思いはなく、自分を楽しませてくれるエンタメが好きなだけの人であることを思い知った。

ここではじめて自分と向き合うことをした気がする。

エントリーシートで何度も出てきた”就職活動の軸”を真剣に考えた。

そして、わたしの真の就職活動の軸は以下だった。

・穏やかな雰囲気の会社に入りたい(自分が居心地が良いと感じる人は穏やかな人が多いことに気付いたから)
・残業時間は短め、休日は多めがいい(アニメ・漫画をみたり、ラジオを聴いたり、エンタメを享受する時間、すなわち趣味の時間を多めに取りたい)
・勤務地は関西か関東がいい

この3つだった。つまり、わたしは俗にいう”ホワイト企業”に入りたいのだ。なんだ今までの就職活動はとんだ間違いじゃないか。


大学3年3月

わたしは穏やかな人が多く、比較的休日の多いとされるB to Bメーカーに業界を絞って本選考に挑むことにした。

よく合同説明会を受けていた夏には目もくれなかった業界である。B to Bメーカーの商材を紹介されても(別に今まで生きてきて○○を作りたいとか関わりたいとか思ったことないしなあ…)とこれっぽっちも興味を持っていなかった。きっと、やりがいを持って取り組む想像がしやすい仕事を探し求めていたんだと思う。だから、自分の知識だったり、感性を活かす業界は”やりがいを持って仕事する自分”を想像しやすくて魅力的に見えてたんだなと。でも、無理にはじめから仕事とやりがいを繋げる必要はないし、前述の”真の就職活動の軸”を見つけたときに 理想の幸せな暮らしを送るにはどんな仕事がベストかを考えることが大切なんだ と思った。

こんな感じで大幅路線変更で見始めたB to Bメーカーだったけど案外見てみると今までみてた業界よりも雰囲気や働き方の面でわたしに合ってるのかもと感じることが多かった。

しかし、就活生としてはクソのような就職活動の軸を根底に抱いているわたしはエントリーシートから面接まであらゆる場面で仮面をかぶる必要があった。仮面をかぶって本心を隠しながら、世の中の役に立つために御社のこういうモノを広めたいだとかそれがわたしにとってやりがいだなんて吹聴していた。

これが本当にしんどかった。


大学4年4月

面接祭りだった。祭りと表現すれば聞こえはいいものの本当に病んでいた。理由は面接に落ちまくるから。コツを掴んだのかエントリーシートやSPIは通るようになってきたが面接がダメ。どれだけ笑顔で面接官が話を聞いてくれていても、反応が良くて手ごたえを感じていても落とされた。落とされる度に人間不信になりそうだった。

大学のキャリアセンターに行って練習してみたり、自分の面接を録音して聞いてみたり、いろいろ試してみてもダメ。

気が狂いそうだった。

実際、4月後半には食欲がなくなったし、眠れなくなった。

スクリーンショット (9)_LI

当時の選考記録Excelがこれだ。青の企業は選考に落とされた企業。スクリーンショットには入りきらなかったがあと10行ほどあり、選考を進めた企業が10社ほど書かれていた。(赤はなぜか企業名が書いてあったので伏せてます。)ほとんどが1次面接落ち。結果的に就職活動を終えるまでで1次面接を通過できた企業は3社しかなかった。3月以降、40社エントリーしてたったの3社。絶望を感じた。


毎日、絶望していたし、苦しかった。


GWにはいる直前でわたしは燃え尽きていた。内定がもらえる未来がみえなかったし、もう就職活動という苦行に向かい合いたくなかった。

親も疲弊したわたしの様子をみて、何も言わずとも「無理しなくていい」と声をかけてくれるようになった。


そんなとき、とんとん拍子で選考が進んだ企業があり、内定をいただくことができた。


内定の連絡を受け、一番最初に、捨てる神あれば拾う神ありだと思った。



就職活動を経て

プロセスを長々と綴った挙句に内定の箇所はあっさりかよ、と思った方もいるかもしれない。しかし、わたしからすればその部分はあっさりだったのだ。なんというか、幼い頃からあこがれていた企業に…!というわけでもなければ就職先に納得できず、就職浪人を考えた…なんていうわけでもない。こんなに落ちたけど、この点を改善すると内定がでましたなんてノウハウを伝えることができたらいいのだが、正直、たくさんの企業に落とされまくったせいで面接で手応えなんてものを感じることができなくなっていたため、なぜ選考を通してくれたのかもわからない。だからそこには劇的なドラマは生まれない。ただただ本当に嬉しかったし、ほっとした。これに尽きる。

いっぱい悩んでいっぱい苦しんだ期間だった。好きだったり、やる気だったり、そんなものだけでは評価してもらえない。人の好さだけで認めてもらえるわけでもない。社会の厳しさをほんの少しなのかもしれないけれど、体感した期間だった。


こうやって、就職活動を終えた今でも、就職活動は嫌な期間だったと感じるし、もう2度と経験したくないと思う。就職活動を通じて成長できた!とか、ポジティブでキラキラした感想を抱くことはまだ今のわたしには難しい。

でもいつか振り返ったときにこの経験がなにか未来の自分の糧になってくれていればいいなとは思う。




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