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第三の居場所は大切


精神的にも、物理的にもサード・プレイス(第三の居場所)は大切だ。

ふらっと買い物に寄れるお店、例えば私の好きな場所でいえば、個人がしている古着屋とか、雑貨屋といった馴染みのお店。
そんなところの店主と仲良くなったり。友達とサクッとご飯を食べたり。

いくらネットがあったって、ネットの中でのコミュニケーションは知れている。コロナで外に出られないとき、ひしひしと感じた。

言葉だけのやり取りより、話す人の表情、仕草、声、雰囲気は実際に会うことには敵わない。


そして時代を写す鏡ともいえる服装、街の雰囲気。ファッションや化粧品、流行のお店から伝わってくる沢山の情報がある。


会社と家以外の、苦しくなった時にいつでも心の拠り所となる場所は私には必要。会社と家の往復では、息が詰まる。

それから私は専業主婦とか、きっと向いてない。

私の母親は専業主婦として生活しているが、そこに本人は自覚して疑問を持っていないけれど、出かけたり、新しいものを見たりするのは好きだ。

母は独身時代は保育士として、そして非正規の公務員として働いていた。
甲状腺機能亢進症など体調のこともあり専業主婦になった。
社会で働くことから身を引いて25年以上になるから、今後彼女は外で働くことはないと思う。

でも、母は本当にそれでいいんだろうかと時々私は思う。
もっと外の人とのコミュニケーションを重ねれば、世界は広がるのではないか。
実際に美容院に行ったときは、美容師さんとの話をしてくれるし、お店で話をした人のことについて楽しく話してくれる。

きっと母は人と関わることは好き。
前には「おじいさんやおばあさんと話すのが好き」と言っていたり、「今学生に戻れるならインテリアデザイナーとかいいな」と言っていた。
それなら、介護士の資格とか、インテリアデザイナーの資格とか勉強してみたらいいのにと話したけど、どうやら行動には移さないみたいで。

父親は、食べ物や体調などの自己管理を徹底している人だから、ありがたいことに60歳だけどとても元気で若々しい。

だけどあと20年後はわからない。

もしそうでなくても交通事故とか、急に体調に異変が来ていなくなってしまったら、母親はどうするのだろう。

そして私が遠くに住んで、既に家族がいたら。
母親のところに行けるのは多くても週に一回。
働いていたら月に一回行くのがせいぜいではないか。
家族がいたらより難しい。
私の家族と住んでもらうのも、お互いに気を遣うだろう。

母親はこの先もし一人になったらどうするのか。
父よりも6歳若いから、順番でいえば母の方が長生きする。
年金や貯金はあっても、人間関係は親戚と学生時代の友人、独身時代の友人と旅行やお出かけできるほどのお金はあるだろうか。

その時にならないとどうするのか分からないけれど、いざという時に母(父も)を助けてあげられるように、自分はなるべく働き続けて金銭的な面では困らないようにしてあげたい。

そして自分の子供には、親の将来を心配をさせないような生き方をしたいと思う。

学生時代は、働いてくれていれば、もっと柔軟な考えを提示してくれたのではないか、金銭的な理由で県外の大学を断念することもなかったのではないかと母親を責めたこともあった。

でも大人になって分かるのは、それは仕方のなかったこと。
それぞれの個性も適性もあるし、母は母なりに一生懸命生きている。

大丈夫、いざという時は私と妹で、二人のサポートをするから。
独身時代はセカンドプレイスだった場所も、結婚して新たな家族ができれば、それはサードプレイスになる。

将来、私と妹のサードプレイスになる実家。
そんな場所を保ってくれているだけで、ありがたいことだと思う。

だからせめてもの恩返しで、何かあった時は必ずサポートするし、なるべく帰れる時は帰省して顔を見せてあげたい。

実際に今後のことについて、両親と話すことが大切だろうなと思う。
もしかしたら父親がすごい貯金をしてくれていて、母親が10年長く生きても困らないくらいあるのかもしれないし、逆に3年ほどのお金しかないかもしれない。
自分の妄想はただの杞憂かもしれない。

決めた。結婚するときに、両親とちゃんと話そう。




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