生活や人生を豊かにする訓練
体調を崩して退職し、仕事をせず数ヶ月。毎日ぬくぬくと生きているうちに誕生日を迎えて歳を取ったりもする。
仕事をしていないことに罪悪感を微塵も感じないこともないが、社会情勢というか感染症情勢も手伝って、今のところ全然働く気はしない。
しかし、何もしたくない無気力というわけではない。
今までは「苦手だ」「できない」「私はそういうのやらない」と言って向き合ってこなかったものに挑戦してみている。
例えば、ガーデニング、料理、筋トレなどだ。
ちなみにどれも暇があるからできるというより、やる気が起きなくてやってこなかったものである。一見暇な人がやるものに見えなくもない並びだし、私自身がそう思っていた節があるのでこれを書きながら反省している。
今までやってこなかったことをやるというのは、マインドマップの枝分かれが増える感覚に近い。何か他のことをやりたくなくても、やれなくなっても、別の選択肢(要素)が残っている。自分を構成する要素が増えるような、密度が上がるような心地がする。
仕事をしたいとはまだ思えないけれど、こうやって少しずつ自分ができることを増やしているおかげで、自己肯定感は働いているときより高い。
こんな秋冬にも花は咲き誇り、ラディッシュは芽吹く。
運動は大の苦手だったけれど、なかやまきんに君の動画で世界一簡単な筋トレ有酸素運動を始めた。ラジオ体操は1ヶ月ほど続いたが、飽きてしまっていた。そう、飽き性なのが私の特徴だ。だから今もいろんなものに手を出しているのだと思う。
実は子供の時も、違う習い事を月火水木金とやっているような時期があった。人からものを教わるのは好きだったし、いろんなことをしていたいのは、子どもの頃からの気質なのかもしれない。
最近は社会に失望してしまう場面が多い。
そんな社会のために働くのが、きっと解せないのかもしれない。
以前は自分が変えたい!と熱い正義感を持っていたけれど、疲れ切ってしまったのだろう。
でも個人個人の人間を見たり関わったりするのは、好きだ。
仕事はまだしたくないと思っているけれど、自分のこれからの生き方やお金の得方には興味がある。
就職活動の時に、自己分析を怠った、と思う。
なぜなら、やりたい職業が決まっていて、業界が狭き門だったので、こちらが選ぶ隙もなく片っ端から受けたからだ。これに関しては、自己分析はもっとすべきだったかなと思うけど、後悔はない。そうでもしないと高学歴でなければ入れなかったから。
でもこの社会状況で、瞬く間に社会は変わり、職業も変わり、求められるサービスも変わり、人の価値観は変わっていく。そのスピードがどんどん加速する。
「職業」起点ではなく、「自分ができること」起点で働いた方が時代に柔軟に対応できるうえ、疲れすぎず都合が良いのではないか、と考えている。
当面は、植物を育てることと筋トレを頑張ります。
サムネイルの画像は、やっと芽が出てきたラディッシュです。可愛い。この時代を生きている、一緒に。
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