見出し画像

『耳をすませば』で私の成長をふり返ってみた

こちらの記事で、映画「耳をすませば」は、人が成長するのに必要なメッセージを教えてくれている、という記事を書きました。

そのメッセージとは、

  1. 自分の「原石」を見つけてみがく

  2. 自ら行動し、コンフォートゾーンを超える

  3. 自分が目標にできる人を見つける

の3つ。

実は、この映画を観なおした後で私の人生をふり返ったとき、

「あの出来事はこういうことだったんだ」

ということが、いくつか見えてきました。

そして、気づいたのです。

今から約30年前。

「国際看護師という最初の夢の実現を目指していた時期と、移住後にどん底を経験してから立ち直るまでの時期の私は、まさに、映画の中の雫と重なるような生き方をしていた」

のだと。

そこで今回は、私の今までの人生を次の5つの段階に分け、この3つのメッセージに沿ってふり返ってみることにしました。

  1. 自分の中の原石をみつけるまで

  2. コンフォートゾーンにいた時期

  3. 行動、そして目標とできる人に出会えた時期

  4. コンフォートゾーンを抜け出せた時期

  5. 自分の「原石」を再発見できた時期

の5つの段階です。


~この記事を読んであなたが得られること~

私おぴこの過去を知るー。
これ自体には、あなたにとって何の価値もないでしょう。

ただ、上述した3つのメッセージの視点で私の過去を一緒にたどってみることによって、あなたが次のステップに踏み出すためのきっかけを得られるかもしれません。

なぜなら・・・。

  • 「そうかー、そういうことか!」と、映画の登場人物の生き方や映画が伝えるメッセージの意味を、自分の経験に置きかえて理解しやすくなる

  • 「そうだ!あの人と出会ってから私は変わったんだ」「あの時、思い切って行動したことで○○できたんだ」という、あなたが過去に達成できたことを発見できる

  • その発見によって自分を認めることができ、自信をもてるようになる   

  • 問題にぶつかった時、それを乗り越えるための方法を学べる

からです。

なので、あなた自身の過去・現在・未来と照らし合わせながら、私の過去を読んでみて下さいね。

自分の中の原石をみつけるまで(大学生時代)

自分の中の原石を見つけて、それをみがく。
焦らずに、時間をかけて。

この映画を初めて観たのは大学生のとき。
私の心に一番強く残った言葉です。

「私は、この人生で何をやりたいのだろう?」
「私の中にどんな『原石』があるんだろう?」

映画を観た時点では、まだ見つけられていませんでした。

「雫のように、私も自分の中の原石を見つけたい」

こんな強い思いで大学の勉強をしていく中で、ある時一つの気づきをします。

それは、

「世界にはそこに生まれただけで苦しんでいる人がいる。
自分はただ偶然、安全で平和な日本に生まれただけで、恵まれているんだ」


ということ。

この気づきが、その後の私の人生を方向付けるものになっていきます。

その一方で、

「私はこの先、何をして生きていけばいいのだろう?」
「私が本当に求める生き方とはどんなものだろう?」

と、自分の生き方について初めて考えるようになっていきました。

そして、ついに見つけた答えが、

「国際看護師になって、世界で苦しんでいる人の役に立つ」

こと。

これこそが、、、

  • 勉強に取り組む中で得た気づき

  • 私自身との対話から出た答え

の2つが合わさって生まれた、私の中の「原石」でした。

これはその後もずーっと、私の中の「原石」であり続けていきました。

コンフォートゾーンにいた時期(看護師としてただ働いていた時期)

看護師になってから、国際看護師になるために行動を起こすまでの11年間。
それは、私が「コンフォートゾーン」にいた期間だったと言えます。

なぜなら、

機会があるごとに、上司や先輩、同僚に、「国際看護師になりたい」という夢を公表していた手前、いまだに夢を実現できていないという後ろめたさがあったのは事実。

でも、その夢に挑戦もしていないからまだ失敗もしていない。
それに、看護師として必要な知識や技術はもう十分あり、経験も確実に
積んでいるのだから、病院の看護師として働くには特に何の問題もない―。

こんな状況だったからです。

※ちなみに、「コンフォートゾーンとは」・・・

「居心地の良い状態」「快適な状態」のこと。
学校や職場などで、ストレスや緊張を感じることなく勉強や仕事をこなせている場合、コンフォートゾーンにあると言えます。


残念ながら、当時、私の周りには、「国際看護師」という同じ目標をもっている人がいませんでした。

国際協力の分野で、進路やキャリアアップについてアドバイスできる上司もいませんでした。

だから、何となく頑張ってはいるけど、国際看護師という目標にたどり着けるのか、全く分からない状態にあったのです。

国際看護師になるためには、TOEIC(トーイック)という国際的な英語テストで最低730点を取った上で、いくつかの専門の研修に合格しなければいけません。

その英語の基準さえクリアしていなかったので、

「私はまだ、国際看護師になれる段階にない」

と、挑戦しようともしていない自分を、どこかで正当化していたのかもしれません。

今なら、そう思えます。

看護師として順調にレベルアップできている状況が快適で、本来の夢である国際看護師になるための挑戦に飛び込むきっかけを、なかなかつかめずにいたのです。

ロールモデルに出会えた時期(英語研修時代)

そんな私にとって転機になったのが、国際看護師を目指す看護師を対象にした英語研修を受けるチャンスを得たこと。

そこで初めて、自分と目標を同じくする人と出会い、同じ目標に向かって励まし、努力し合える環境に身を置くことができました。

実は、研修開始時点でのTOEICの点数は、4人の参加メンバーの中で私が最下位。

しかも、担当講師が行った判定では、

「たとえ2か月間、24時間眠らずに勉強したとしても、私が基準点数をクリアすることはできないだろう」

というくらい、最悪なスタートでした。

でも、ここまで来たら逃げるわけにはいきません。

「この英語研修とTOEICの試験をパスできなければ、国際看護師になる夢はあきらめよう」

まさに背水の陣の覚悟で研修を受け始めました。

私を変えてくれたのは、この英語研修中に、何度も海外派遣の経験をもつベテラン看護師の方と交流できたことです。

私の夢をすでに実現している人たちに出会えたことによって、何となくぼんやりしていた自分の夢を実現するための道筋が見え始めました。

「国際看護師になる」というこの夢を、本気で実現したいと思えるようになっていきました。

そして、とうとう、「絶対に無理」と言われていた研修当日の判定を
くつがえし、TOEIC730点の壁を超えることができたのです。


この結果を出せたのは、

  • それまで当たり前だった自分の小さな世界(=職場の病院でただ働いていた日々)から外の世界(=英語研修)に出られた

  • 自分の英語の能力を客観的に知ることができた

  • 自分と目標を同じくする人、自分の夢をすでに実現している人との出会いが刺激となり、国際看護師になる夢を具体的に思い描けるようになった

ことで、基準の点数をクリアするのに必要な努力をすることができたからだと思えるのです。

行動し、目標とする人に出会えたこの時期。

私にとってそれは、何かぼんやりとしていた夢が、もしかしたら本当に達成できるかもしれない目標に変わった時でした。

コンフォートゾーンを抜け出せた時期
(国際研修に参加~国際看護師に合格するまで)

TOEIC730点の壁を超えられた私に待っていたのは、まったく新しい世界でした。

国際看護師になるための本格的な研修を受けていく中で、より多くの、
すでに世界で活躍している先輩医師や看護師、自分と同じ目標をもつ仲間に出会えたからです。

「自分と同じ目標で頑張っている人たちがこんなにいる!」
「こんな世界があったんだ!」

刺激とともに、本当に新鮮で大きな驚きがありました。

同じ目標をもつ仲間は、つまり、
いつか海外派遣の任務に応募するときにはライバルになる人たちです。

時に、一週間の合宿のような研修をともにするなかで、

  • 普段、どんな風に努力しているのか情報交換できたこと。

  • 研修の課題をやりとげるためにお互いに励まし協力し合ったこと。

  • 相変わらずの私の低い英語能力で、必死に研修に食らいついていったこと。

これらのことは、私にとって何事にもかえがたい財産になりました。

「できた!」
「また新しいことを学べた!」

研修を一つ受け終えるごとに、
興奮をともなった達成感と、自分が何だか大きく成長したような…自信に似た感覚を味わうことができました。

この達成感と自信が次に挑戦する気持ちを作り、さらに挑戦することで、目標の達成に向けて自分をより成長させることができた。

これを繰り返していくことで、最終的に国際看護師に合格し、海外での任務を2度経験することができました。

私は20年かかって、やっと夢を叶えることができたのです。

少し前の、夢はあるけど具体的な行動は起こさず、ぬくぬくとした環境の中で看護師生活を送っていた時の私とは、はるかに次元の違うところに到達していました。

これが、私にとって、コンフォートゾーンを抜け出せた時期です。

あらためて自分の「原石」を再発見
(移住後のどん底時代~ミッションを再確認するまで)

2016年、国際結婚をきっかけに勤めていた病院を退職。
夫との共通の夢にかけて、現在住んでいるウガンダに移住した私。

そこで私は、どん底におちいります。
看護師というキャリアを捨て、何もなくなってしまった自分の現実に直面したからです。

専業主婦をしているだけで前に進めずにいる自分へのもどかしさと悔しさ、
国際看護師の夢を途中でやめてしまったことへのわだかまりに、苦しみました。

それでもこの状態から抜け出せたのは、つらい状況から目を背けず、何か答えが見つかるまでひたすら自分の内面と向き合い続けたからです。

それまで私の人生のミッションだと思っていたこと( 国際看護師として、世界で苦しんでいる人を支援する)が、実は人生のミッションを達成する手段の一つに過ぎなかった。

「私が努力することで苦しんでいる人たちのために何かできるならば、そのために人生をかけたい」

という、これまで私を支えてきた信念は何も変わっていない。
つまり、私の中の「原石」は何も変わっていない。
これからもずっと変わることはない。

この信念を実現するために、

「苦しんでいる人の役に立てる人になる」

ことこそ私の人生のミッションである。


このように、自分の「原石」を再発見し、自分の人生のミッションをあらためて確認できたことで、次の夢に向かって再び挑戦しようとする私に立ち直ることができました。

そして今の私がいます。

雫と自分の人生を重ね合わせてみるメリット

ここまで、『耳をすませば』が伝える3つのメッセージをもとに、私の過去を一緒に辿っていただきました。

今度は、ぜひ、あなた自身の人生を雫と重ね合わせ、このメッセージに沿ってふり返ってみてはどうでしょうか?

「そうか!あの時のあの出来事は、こういうことだったんだ!」
「私にも以前、できていたことがあったんだ」

こんなふうに、今までは気づけていなかった、自信につながる発見や、

「もしつまずいた時は、こういうふうに乗り越えていけばいいんだ」
「自分のお手本になる人を見つけられれば、この状況から抜け出せるかもしれない」

と、あなたのこれからの人生に活かせる学びを得られると思います。

その発見や学びが、あなたにとって、次のステップに進むためのきっかけになることを願っています。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


※この記事は、以前運営していた公式ブログで2019年に公開したものです。

ここでお伝えした内容以降に経験した「どん底」についてはこちら
👇

そんな私がなぜ、今プチ農家になったのか?については、集英社インターナショナルさんの記事で紹介していただきました。
👇


いいなと思ったら応援しよう!

和ganda おぴこ
ありがとうございます! あなたからいただいたサポートは、日本とウガンダを繋ぐようなビジネスの活動費として大切に使わせていただきます♡

この記事が参加している募集