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文学フリマ東京36でます

 文芸誌「空地」、今回はお知らせです

 5月21日の文学フリマ東京36に出店します

 ブースはA-60です

 出来上がったばかりの第2号を初頒布します!
 第1号のバックナンバーも売りますよ〜

無料配布のフリーペーパーもあるのでぜひ寄るだけでもお願いしますね〜

空地 Vol.2 もうチルしている場合じゃない

【タイトル】『空地 Vol.2 もうチルしている場合じゃない』
【サークル名】空地
【発行日】2023年5月21日
【サイズ】A5/124p
【定価】700円

収録内容

【巻頭言】

「もうチルしている場合じゃない(のか?)」松崎太亮

こちらの記事で全文公開しております!ぜひご覧ください。

【小説】

「黄金の月」藤原尭大

 喫煙者のダイバーと友人の物語。

 どうしようもないほどの夏の午後、僕は日課のダイビングを終えてコーヒーを飲みながら、換気扇をつけて両切り煙草を吸っていた。確かにどうしようもない夏の午後だな、と思った。開け放した窓から熱風が入り込み潮の匂いが鼻腔をくすぐる。先にシャワーを浴びて塩を取って爽やかな気分でいたのに、既にもうこの前買った白いTシャツは汗ばみ、塩を吹いていて、髪もべったりと額に張り付くようだった。煙を肺に入れて吐き出し灰をトマト缶に落とす、その一連の作業の中で、そういえば煙草を吸うようになってから三年が経ったな、と思い返した。それはグランパが死んだ夏からだった。ダイビングを生業にしながらも煙草を吸う人間は意外に多いが、やはりダイビングをしながら煙草を吸うというのは肺活量や運動量にも影響があって、彼らは実力のないやさぐれた人種として捉えられていた。僕はこの街で一番素潜りの上手い人間だったし、年齢を重ねて身体が人生のピークを迎えようとしている今では上達のほどもあるのだが、それに悪影響もあるようだった。もしかしたら煙草を吸わなければ更に潜りが上手くなったかもしれない。しかしそれに対して何かを思うような潜りに対する切実さは僕の中にはもうなかった。ただ毎日午前中を海の中で過ごすというずっと続いてきた日課を変化を嫌って崩さないでいるだけだ。


「マイフォーグランマズ」安孫子知世

愛は祖母の葬式で弔辞を読むことになり……

弔辞にはユーモアが必要だ。愛は真剣にそう考えていた。思い出話のひとつやふたつを、グスングスン鼻をすすりながら読むのは彼女がやりそうなことではない。祖母にとっての愛は同じ家でずっと暮らしてきた難しい年頃の孫であったから、多少は乱暴に書いてもいいのだ。愛は、感動を期待している親戚たちの前でひょうきんに話すこと、そんなおかしな雰囲気を祖母が笑ってくれることを望んだ。愛が祖母の遺影にと選んだ写真は、誰しもがつられて破顔してしまうほどに素敵な笑顔であった。


「ナイトクルージング」松崎太亮

海まで夜通し自転車を漕ぐ少年の話

 今ごろあの娘はどこで何をしているのだろう?

 青白い夜の国道を走りながら彼は考えた。平日の夜のベッドタウンはすごく静かで、まるで静寂が街の隅々まで浸しているようだった。赤い誘導灯がついた高層マンションが建ち並ぶ区画整理された街。何も知らないこの街で彼女のことを考えることはひどく難しかった。遠い街に生まれ、遠い街に住む彼女。今ごろ彼女はどこにいるのだろう? 普段の生活から距離をとれば彼女を忘れられると考えてここまで来たのに、彼はいまだに彼女のことばかり考えていた。彼女がこの風景を見ることはおそらく一生ないだろうと彼は思った。整備された直方体の生垣や、等間隔で並ぶ青っぽい色の街灯、やけに広い歩道。そのどれも彼女が知ることはきっとない。それと同じように彼女が見ているものを一生自分は知らないだろう。そのことは彼に彼女との距離を実感させた。              

「シベリア」中村渚

もしかしたらぼくの分裂はもう始まっているのかもしれない

ぼくは近頃、深く、長い夢を見た。

  こんな夢だ。



 わたしが部屋に入ってドアを閉めると、先ほど暖を取ろうとわたしを誘った馬引きはどこかへ行ってしまった。そこは誰もが黙り込んでしまうようなくるしい部屋であり、装飾といったものはほとんどなく、壁を穿った大きな穴が、そこにあるただ一つの飾り付けであり、そのほかには鉄製の寝台、粗末な腰掛け、そして汚れでほとんど真っ黒になったテーブルがひとつずつあった。卓上には欠けた木椀がいくつか並んでおり、その中には、黒パンが無造作に放り込まれていた。その横に並んで、小さな旧約聖書のペーパーバックが置いてあり、それは挿絵の顔が見えないほど使い込まれていた。

【エッセイ】

「どこか遠くまで」工藤奏海

 早く、早く家に帰りたい。高校時代、毎日そう思っていた。辛いことや嫌なことがあった日は特にそう思った。だから、タクシーで「どこか遠くまで」とか最寄り駅で降りないで終点まで行くとか私には考えられなかった。だってタクシーで遠くまで連れて行ってもらって帰りどうするの?とかお金めっちゃかかるじゃんとか現実的な心配事が邪魔して、今自分が向き合おうとしている苦しみにもう一つ上乗せされる気がするからだ。

「大きな旅情の底に」今井詩乃

割と強めの帰省本能を働かせてこの街を歩いている。この街の人はみなどこかしらに目的があるような歩き方をする。


東京であり渋谷から対して距離がないはずなのに、とんでもない郊外感とローカル感と閉鎖感を醸しているこの街は、横浜に定住し続けている私でさえも旅情を感じてしまうのは無理はないだろう。私の言う旅情とは大体、見知らぬ街を歩いている時につい思い出してしまう、何でもない故郷の風景や母親の匂いなどのことを指している、と思われる。また、見知らぬ街で受けたカルチャーショックも含まれるだろう。こう書いてみると、旅行をした時に持つ感情の総称みたいなものになってしまっているな。

「綿毛がたゆたってるみたい」壹岐悠太郎     

正月は、実家に帰っていたのだった。

 年末の某日に東京を出て、新幹線にとび乗った。

 するりと身体を滑り込ませる、満席の、車内に空間を見つけて、呼吸をする空間を、たしかにあるはずの、それを見つけなきゃいけなかった。反対側から人がやってきて、するすると、せまいバックパックの触れ合う感触。

「武術のできる謎のおばさん」野村穂貴

そういえば阿佐ヶ谷姉妹と陰で呼ばれていた合気道の先生に、あなたからは「気」が出ていると褒められた事がある。中3の頃の出来事、初夏だった。あれ、嬉しかった。

その阿佐ヶ谷姉妹と陰で呼ばれていた先生(以降、阿佐ヶ谷先生とでも呼ぼうか)は、なぜか阿佐ヶ谷姉妹に似ているという理由だけで、けっこう嫌われていた。私はそれを不憫に思い、ちょっと優しくしていた。その優しさといっても、返事をするだとか、目を見て頷く、オーバーめにリアクションをとって阿佐ヶ谷先生に敵意がないことを表明する、くらいのことである。これが私のできる精一杯の優しさであり、中3の狭い社会に対するアナキズムだった。

【短歌】

「冬だから/この夜は/耳を塞いでみてよ」小川彩夏 

【詩】

「地を這うのはただの儀式でなく」「わが子のためにそのたましいがえんえんと生きつづくのであれば」
壹岐悠太郎 


「かざあな」「珈琲」「堅物」吉村久秀 


空地 Vol.1 2022年・フィクションの現在地

目次

「きみのワンダー」「鏡の中で、体を合わせる」壹岐悠太郎
「看板」「手紙」「アラカルト」「朗読」「供花」吉村久秀

短篇小説
「落ち込み系シャワー小説浪漫が読めない」安孫子知世
「フィクション」中村渚
「かざあな」中山ポエム
「波を数える」藤原尭大
「ゴールデンウィークの過ごし方」松崎太亮

エッセイ
「明日の朝ごはんを考える」中山ポエム
「煙草を吸う人は煙草を吸うような人間である」藤原尭大
「インタラクティブな映画体験」松崎太亮

紀行文
「安定しない、歩幅で進むこと」壹岐悠太郎
「ポール・ダルトリーと小麦色の斜面」中村渚

論考
「博士の異常な愛情について」小川彩夏

読書感想文
「真実を物語ろうとすること」柘野亜里沙

ガイド
「空地的ホラー映画ガイド30」豊田翔永
「空地的2010sジャパニーズインディーミュージック100」小川彩夏、松崎太亮


あらためて当日はぜひA-60までお越しください!!

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