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5 by 5+α〜私が影響を受けた本(壹岐篇)

文芸誌「空地」のメンバーが影響を受けた5冊の本を紹介する「5 by 5」。第二回は執筆者・壹岐悠太郎の選ぶ5冊と3冊と1枚。

壹岐悠太郎です、どうぞよろしく。

 影響を受けた、なんて恥ずかしいことを――と思いながら、結局ぼくは今まで何を読んできたのか、と振り返る機会でもあります。本棚の半分くらいが、未読のような気がして、しかし本を開くと、指の感覚が覚えているようで(ホントは覚えてないかもしれないけれど)、けれどストーリーはまったく覚えていない。

 最近は小説も、しっかり読んでいる。ときどき小説が読めなくなる。そういうとき、しかし何か読みたいときはたいてい、漫画か詩をえらぶ。

 毒にも薬にもならないもの、そんなものが好きだ。悪口に聞こえるかもしれないけれど、一番の誉め言葉のような気でいる。文学って、そんなものじゃないかな。

1『グーグーだって猫である』(大島弓子 角川文庫)

 言わずと知れた、大島弓子の漫画。はじめて読んだのはいつだったか。意外と最近かもしれないし、無くしては買い、の繰り返しで、本棚にあるのはいつも新品のものである。

 先代猫「サバ」を亡くした大島さんが、あたらしい猫を飼って暮らす、ただそれだけの話。主人公は大島弓子であって、大島弓子でないのでは――と、コミックエッセイだけれど、コミックエッセイじゃない。そんなふうにいつも読んだりしている。たとえば主に後期の小島信夫とか、保坂和志とか、そんな感じの文脈にハマるような気がする。

 物語自体はすごく明るい、けれど「サバの死」のイメージが、ずっと流れている。それがすごくいい。あとは『綿の国星』とか『バナナブレッドのプディング』とか――すごく好きです、大島弓子作品。

2『棒がいっぽん』(高野文子 MAG COMICS)

 今まで読んだ漫画の中で、一番衝撃だったのが、これ。この中の「奥村さんのお茄子」が、特に好きで、けれどその魅力を話すことができない。とにかく、読んでみて。おもしろいから。


 ここまで上げてきたのが、どっちも漫画だから、つぎからは文芸書。ほかにも好きな漫画はたくさんあります、岡崎京子、高橋留美子、つげ義春、清野とおる、萩尾望都……あげるとキリがないので、いつかまとめて書こうかな。

3『おぱらばん』(堀江敏幸 新潮文庫)

 読み終わった後の質量の変化、というか、口に入れた飴玉はだんだん溶けていってしまうように、けれどその味は、結構な時間残り続けていて、そんな感覚を、堀江敏幸の小説ないしは散文を読んで思う。

 15篇からなる小説集で、なかでも「のぼりとのスナフキン」が好き。物語の中で語り手は、「ムーミン」を引用する。その引用によって、語り手と社会の間のひずみを埋めるように――この15篇すべてに言えることだ、何か文章を引いてきて、物語をつくる。

4『阿房列車』(内田百閒 新潮文庫かちくま文庫)

 百閒先生と、おとものヒマラヤ山系君の列車旅、名随筆だ。何もないけど、どこかへ行って帰ってくる。そんなふらりとした感覚が好き。

 あんパンのくだりが好き。お腹が空いたから、サンドイッチを買ってきて、とヒマラヤ山系君にお使いを頼む百閒先生。でも、売っていたのはあんパン。あの、皆が想像するあんパンかな、と思うけど、臍パンのちぢれた捩れたやつだという。そういう、ある種どうでもよくて、脱線的なものを、しっかり書いていくのが好き。

5『パリ環状通り』(パトリック・モディアノ 講談社)

「この置物、だれそれに貰って、それはいついつで――」懐かしい、何か、そのものについて考えて、思いだした記憶が、うずまいていく。それは虚構。だからいつか正気に戻って、その瞬間、時が止まったように、パッ、と光が差してくる。

 そんなことは、案外身近にあるもので、たいていの人は、なんとなく経験しているのではないだろうか。無意識のうちにでも、なんか考えていた、なんてことが――「無意識」で「考える」というの、ちょっとおもしろい。

「現代詩文庫 伊藤比呂美 小笠原鳥類 蜂飼耳」

 三冊まとめて。特に好きな現代詩文庫から。詩をひとつかふたつ知っているだけで、世界がもっと立体的になるような気がする。詩をよむ場所と、時間が好き。

「THE POWER SOURCE」(JUDY AND MARY)

 ジュディマリの4枚目のアルバム。

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