壹岐悠太郎

犬と闘う

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犬塚堯ノート(草稿)

犬のポメラニアンとコーギーを掛け合わせた犬がハシビロコウのぬいぐるみを齧り破壊する動画を見た私はハシビロコウと言う鳥が何なのかよくわからないそれは見たことがないというわけではなく何を考えているのかよくわからないということであり犬も、何を考えているかわからないところがあったがハシビロコウよりはマシであるし、この犬塚堯という詩人についてもよくわからないことが多くそれゆえ「堯」の字の、「土」が重なったかたちにはあざとさも感じるのだがそれは漢字についての文句でありこの犬塚という詩人に

    • 犬塚堯(イヌ・アザラシ)

      海豹 earless seal sea dog 食肉目イヌ亜目イヌ下目イヌ科 が、 食肉目イヌ亜目クマ下目アザラシ科 でないことと、関係はないらしい Pinnipedia(Wikipedia 鰭脚類) 系統ではアザラシはイヌ科よりイタチ科やアライグマ科などに近いです。 アザラシ科はネコ目(食肉目)のイヌ亜目に含まれます。 現生のイヌ亜目ではイヌ科が最も古くに分岐し、次にクマ類が分岐しました。残りは鰭脚類(アザラシやアシカなど)とイタチ類(イタチやアライグマやレッサーパン

      • わたしもあなたも、そだつのをやめるのだと思う(演劇論②)

         幸運なことに、大学にいて、ぼくは全然関係していないのだが演劇をやっている人に出会うことがある。それも、去年の初めごろから、詩の授業で、いい詩を書く人はだいたい演劇の人か、映像系の人だった。ぼくは、演劇にも映像にも詳しくないので、テキトーを言ってしまうかもしれない(ご容赦ください)。こうして、②と題した演劇論も、①は「装置の想像力」と題したものだった、①では、チェルフィッチュの新作『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』と、岡田利規の思想(?)、よた『にじ』について書いた。  今

        • ろぼこん、ぴゅーーとするリュート

           ろぼこん、ぴゅーーとするリュート 「 」ふるい綺想曲の楽譜。紙の擦れたところで、蝶々が排泄する。八月。残された者たちの枕が、川べりに丁寧に並べられる。めずらしい生物をのせたササ舟が、ぼくらの羊歯をかすめていった。うつろな目でわらい、くるったカメラのシャッターが押される。どうも調子がわるい。塗られる色はスケッチのまま、べったりと眼窩に貼りついている。「 」まただ、ときみがいう。そのうちスニフがやってきて、かがんだまま、背はビオラになる。指先で弾くと弦は、ゆるみ。「花の咲

        犬塚堯ノート(草稿)

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        • h式練習帳
          2本

        記事

          h式練習帳 パート3

          ハートフルな日々 『現代思想』立岩真也さんの特集で、ホントに亡くなってしまったのだと思った。その人が亡くなった後、雑誌に載る追悼文などを見て実感するのはどうなんだ、と自分でも思うけど、西村賢太や石原慎太郎、福間さんが亡くなった時もそうだったように思う。どんどん人が死んでいく、次は誰か、と順番を待つみたいに。好きな人はみんなずっと生きていてほしいと思う。そして、亡くなってから間接的に(?)その人が亡くなったことを意識する。でない人もいるだろうが、ぼくの場合そうなだけだ。  

          h式練習帳 パート3

          みどりハイツの午後

          みどりハイツの午後 ゴ・ゴー、 ゴ・ゴー と、永劫のことか? 幽かな声で響いている音楽で 水たまりに浮かんだ白い、白い葉と 虫仔が何匹も何匹も、 網で掬いとって清潔な沼地はつくられる。 ふるい文字列を切り取る 継ぎはぎされた虫仔の柄を眺めている。 きみのことは【ハウス】とよばれる街で知ることになった   (落雷。    植物背の庭で眠っていた・・・        +    +             +          +      +       +(敵地に、 背を

          みどりハイツの午後

          h式練習帳 パート2

           真貴ちゃんという人は、働いていて、ぼくがよく行く場所である歌舞伎町のルノアールの店員さんたちは店内の隅々まで見ているから、ちょっとお冷やが空いたりするとすぐに新しいのを持ってきてくれた、真貴ちゃんは 「この間ね、働いてた映画館がつぶれたの。  それで、いま無職」  と言った後、お冷やを飲み干したら、すぐに店員さんが来て、新しいのを、真貴ちゃんのだけじゃなくぼくのも新しいのにしてくれた。 「それで、5万?」 「うん。  電気と水道だけでも払いたくて。あ、ちゃんと返すよ。」  

          h式練習帳 パート2

          装置の想像力(?)について(演劇論①)

           事あるごとに書いているけど、バストリオの『一匹のモンタージュ リクリエーション』が忘れられない。冒頭、ふたりの演者が座って向かい合っている。スクリーンには【知覚】とある。  この『一匹のモンタージュ リクリエーション』は、一本の物語というより、断片的で、小さな物語がいくつもあるような構造だけど、そう書いていると、ポーランドの作家トカルチュクを思い出すが、バストリオの場合、最後に点と点が結ばれることなく終わる。でもそれが現実であり、リアルなのだと思うから、傑作であるのだと思っ

          装置の想像力(?)について(演劇論①)

          h式練習帳 パート1

           一〇月二〇日にこまばアゴラ劇場で観たバストリオ『一匹のモンタージュ』リクリエーションがずっと頭の中で断片的に演じられている(?)というのもおかしいことだけども、その観劇以降、ぼくは〈生きる〉ということについて真剣に向き合おうと考えていた、『一匹のモンタージュ』における身体の、もっと言ってしまうと生きている身体の、些細な、それこそ断片が押し寄せてきて、それは日記だし、ぼくたちが普段やっていることと何ら変わらないのかもしれない、というようなことをツイートしている。 【バストリ

          h式練習帳 パート1

          光りをつつみこみここではすべてが。

          *『現代詩手帖』2023年10月号 新人作品選外佳作(山田亮太・撰)にあげていただきました。

          光りをつつみこみここではすべてが。

          動ぶつに羽う

          *『現代詩手帖』2023年10月号 新人作品選外佳作(峯澤典子・撰)にあげていただきました。

          動ぶつに羽う

          「ほしぼしのせいにした。」

          詩を戯曲化しました。 2023/09/22 いき。

          「ほしぼしのせいにした。」

          読書日記②

           だいぶ間があいてしまったけども、続けようと思う。  前回は、こうチャプターみたいなのをつけたけど、面倒だから、適当に書こうと思う。  先ず、宮沢章夫『ヒネミ』がようやく手に入ったので読んでいる。シティボーイズとか遊園地再生事業団を書いてた人、この間亡くなられたが、この人の横光利一『機械』をじっくり読むやつも、すごいおもしろかった。 「え?」とか、せりふに書いてしまうの、すごいいいなあ、と思う。いわゆる「静かな演劇」に属すのだと思うけれど、『ヒネミ』の岸田賞受賞が93年、8

          『分裂のための習作Ⅰ「ここでは話すことは、できな、、、い。」』

          リーディングのためのテキスト。 さびしいので、川柳を少し。  アーモンド・アイだと言われ鳥になる  歩くのがおそい。うなぎは夢をみる  音楽にはにかんでいたら刺された これは短歌。  音楽の父と呼ばれた音楽の子に生まれたい 相対的に

          『分裂のための習作Ⅰ「ここでは話すことは、できな、、、い。」』

          それにしてもそれではいけない。(八首)

          ひりひりとするひだりてをじりじりとするみぎほほにあてればピカソ 救済なんてない救いはあります、ああそうですか祈りはあるの? 「何味の飴?」渦巻があらわれて、ぼくの歯で割る 終末みたいに いつもより3分早い登校でとぼとぼ歩く違う犬をみた 砕かれる乾いた素麵。 長いこと眠って、雨はぶぶぶと降って。 北上の川でなくしたさんだるを、ひかる鎖が閉じこめるとき 黒は黒。白は白だと分けられて、工場長のおじはアリクイ ふたりだけいるテーブルの上に、汗をかいてれもんてぃが鳴いてる

          それにしてもそれではいけない。(八首)

          詩を書く、演技する/しない。リーディングの可能性

           こうやってでかでかとタイトルをつけたはいいものの、先にタイトルをつけてしまうと書けなくなってしまう、というのが本音であって、でも言いたいことはこのタイトルがすべてであって、では、これから何を書こうか、と思いながらここまでだらだらと書いてしまったということ、あるいは身体性がここにはあって。  詩を読むことについて、何度も何度も考えつつも、これは去年の秋ごろから考えているのだが、読むこと=演技ではないかということについて。  たとえば  吉増剛造の朗読(といっていいのだろう

          詩を書く、演技する/しない。リーディングの可能性