h式練習帳 パート3
ハートフルな日々
『現代思想』立岩真也さんの特集で、ホントに亡くなってしまったのだと思った。その人が亡くなった後、雑誌に載る追悼文などを見て実感するのはどうなんだ、と自分でも思うけど、西村賢太や石原慎太郎、福間さんが亡くなった時もそうだったように思う。どんどん人が死んでいく、次は誰か、と順番を待つみたいに。好きな人はみんなずっと生きていてほしいと思う。そして、亡くなってから間接的に(?)その人が亡くなったことを意識する。でない人もいるだろうが、ぼくの場合そうなだけだ。
有楽町に行く。『枯れ葉』まで時間があるのでいい感じの喫茶店でウインナコーヒーをたのむ。いつもクリームをどうするか迷う。コーヒーの上辺に広がっていくが、真ん中あたりには残る。掬って食べるのは勿体無い。いやいつか食べることになるしいい、と割り切れるならそれがいい。なかなか難しいことだと思う。
マスターと、その奥様がホールのようで、マスターは奥様のことを「ママ」と呼んでいた、ときおり上を通る電車で建物が揺れる。離婚した父親の父も、「ママ」と言っていて幼少期よく預けられていたから気になっていたがいいと思うようになった。
『枯れ葉』は犬が出るから見たかった。いや、それが一番というだけで、周りの人たち人たちもみんな見てよかったと言っていたから、いつか見よう見ようと先延ばしにするのもよくない。抜け感がいいと思った。小津に対して抜け感がいい、と言っている、信頼できる友達がいたのを思い出した、パンフレットの序文には小津の名前が書いてあった。ペーターハントケみたいなおっさんがいた気もするが、はて。
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