相手の立場になってみる

比較的、感情と衝動に身を任せがちな自分ではあるが退屈を満喫しているこの頃、色んな立場になってみることが密かなブーム。(妄想と想像は過度なほどにしている。ちなみに妄想と想像は全くの別物である。)

今日は犬と感情的に怒る飼い主。

時折、周りの音に反応して吠えるのだ。きっと人間には聞こえない範囲の他の犬や騒音に反応しているのだろう、それを飼い主は数分も続けられたテレビを見ている飼い主は癪に触り叱るのだ。

はい、逆転の発想シチュエーションすたーと。

耳が良いことが仇となり隣人、またはそのまた隣人、そのまた隣人の隣人の生活音が聞こえるではないか。会話、歌う、掃除機、ラジオ、激しければセックスの音(場合により聞いてみたい時はあるのが否めない)、色んな音が聞こえる。

下手したらオナラの音や調理の音、土の中で眠る幼虫の寝息まで、、、これは冗談。

近くにいる犬が"助けてくれ" "これは嫌いだっつてんだろクソババア" "おやつくれねぇと一生許さねー" とか、"おい、みんな生きてるかー!"と呼びかけるからみんな反応したりするのか

それともうるさすぎて自身も"うるせーんだよー"と発狂しているのかもしれない。妄想は膨らむ。

とにかく人間では聞き取れないものに反応して、聞こえない人間はそれをジワジワうるさいなーと気持ちが高揚してくるのだ。

「ワンッ」「うるさい」「ワンッ」「うーるさーいー」「ワンッワンッワンッ」「うるさいっつってんだろうおるぁあぁ」

となる例文を相手の立場になると

「なんやこの音」「うるさい」「わかったぞ」「うーるさーいー」「お前の好きな山田さん家の娘さんセックスしてるっぽいぞ」「うるさいっつってんだろうおるぁあぁ」

この様になっている、のかもしれない。上記をテンプレートにしていくつも会話が作られるのだ。もしかしたら過去のいくつかは、当てはまっていたりして。


その他にもウンチを公共の前でさせられるのだ。家族とは言えど羞恥を捨てるのには時間を要する、そしたら分かるのだ、たまにカーテンの裏にひっそりと落としていく理由が。

映画の様に入れ替わる事なんて起きたら、縮み上がってしまうだろうなー。

おやつだって出かける前などは穴あきのボールの中に入れられて取れそうで取れないのだ。ベロを精一杯伸ばして角度を変えながら少しずつ食べるのである。人間からするとおやつをすんなりあげるより時間稼ぎとなるが。人間に置き換えたらどうだ。

穴の粗めのボウルにおにぎりを入れられてベロを精一杯伸ばして一粒ずつ崩していくのだ、もう唾液の味、やっと出てくる米粒なんてなんの味かも分からないんだろうな、考えたら気分が優れない。

だから自分が犬なら帰宅した時喜んでる風に見せて手からおやつもらいながら恐ろしいくらい罵声を浴びさせるだろう、そのあと涙の直訴という流れかな。単純におやつくれ、と。口の中で溶かしながら食べるから頼む、と。

考え出したらこの話題で、他のペットにしても無限に出てくるね。。。

こんな風に特に自他共に怒る場面に遭遇した時は一旦両者の立場になってみると、反省するところとか思いもしなかった事がわかったりするのね。

それはそれは世界が広がるなー。