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#いさわの民話と伝説
蛇の婿【胆沢の民話㉛】岩手/民俗
昔、あるところに、母と娘が住んでおりました。
娘が年頃になったので、それはそれは綺麗になって、母でさえ、うっとりと眺めるほどでありました。
この上は立派な婿を迎えて、娘に劣らないほど美しい孫を産んでくれたらと、楽しい想像をする母になっておりました。
それは生暖かい春の夜でありました。
楽しい夕食後の語らいが終わると、母と娘は各々の寝室に引き取りました。
それから何刻か、母は隣の娘の部屋か
鯰の恩返し【胆沢の民話㉚】岩手/民俗
『鯰(なまず)の恩返し』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔々その昔、ずっと昔の大昔、トドロイ沼のほとりに若い者があったど。沼さ降りる鴨を網で取って暮らしてだど。
面は見ぐさい、背っこは童のくらいしかないので、いっぱた(一人前)の年になっても、誰も嫁ごになる人なかったど。
朝ま早く鴨が岸の方さ来たどぎ、そばまで行っても体っこちゃっけがら(小さいから)、鴨は逃げないでるど
忘れていった小袋【胆沢の民話㉙】岩手/民俗
『忘れていった小袋』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔々、ある村外れに、正直者の爺さんと婆さんが住んでおりました。あまり正直すぎて騙されることが多く、貸したものなど返されることは滅多になく、10人に1人もあればいい方で、ほとんどは返されることなどありませんでした。
そんな風なので村人たちは、爺さん婆さんを正直者と賞めるどころか、この頃では「お人好しの馬鹿者」と陰口を言う
豆のはなし【胆沢の民話㉘】岩手/民俗
『豆のはなし』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔々、あまり近所付き合いもなく、村外れにひっそりと暮らしている爺さんと婆さんがありました。二人だけの、それに年寄りだけでもあるので、そう散らける訳もないのですが、清潔好きの老夫婦は、毎朝毎朝丹念に掃除をすることを楽しみにしておりました。
その日も爺さんは板間の方、婆さんは土間の方を、お互いに親しい声を掛け合いながら掃除をして
一粒の豆【胆沢の民話㉗】岩手/民俗
『一粒の豆』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔、爺さんと婆さんあった。婆さん板前(板の間)を掃き、爺さんは庭を掃いた。爺さん庭掃いていると、豆っこ一粒出てきて、コロコロどこまでも転んでって、観音様の前の穴っこさ入った。爺さんが、その穴を掘っていったら、お堂の中に地蔵様が立ってた。
「地蔵様、地蔵様、豆っこ一粒転んでこながしたべか。」
って聞いたれば、
「ああ、転んで
ショウブとヨモギ【胆沢の民話㉖】岩手/民俗
『ショウブとヨモギ』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔、爺さんと婆さんがあった。婆さんは何年か前に死んでしまった。
爺さんは常々、食わないで稼ぐごけ(後妻)さんほしいと言ってた。
そだから、誰もごけ婆様世話する人も無くていた。(紹介する人がいなかった)
そのうち誰が世話したどいうこともなく、どこからか、いい塩梅の婆様があって世話するようになった。
シマイ(炊事)は
三枚のお札【胆沢の民話㉕】岩手/民俗
『三枚のお札』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔、ある山さ近いお寺に、和尚さんと小僧がいたど。
三月三日の節句の日に、お仏様に上げる桜花(マンサク花、もしくはいわゆるサクラ)を山さ行って折ってこいと言い付けられ、小僧は山さ行って桜の木に登って見ると向うの方に、今登ってた桜よりも、もっと美しい桜が見える。小僧は、その木から降りて向うの木まで行って、その木に登ったらまた向う
あわて者【胆沢の民話㉔】岩手/民俗
『あわて者』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔、うんとそそっかしい人あったずもな。
「今日は町の日だからちゅうはん(昼飯)とってけろな。」
って、とっつぁまあ(夫)に言われたから、ひつこ(弁当)さ、まま(飯)入れて、
「昼飯ぁ枕元さ置ぐます。」
って言って、がさま(母様)は畑さ稼ぎに行った。
とっつぁまは誰も起こす人いないから寝ほれて(寝過ごして)しまって、目醒
鼠の豆【胆沢の民話㉓】岩手/民俗
『鼠の豆』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔あったずもな。爺さんと婆さんあったずもな。爺さん庭掃いて、婆さんおか(座敷)掃いたずもな。
爺さん庭掃いてたれば、豆っこ一粒ころころっと出はってきたど。
「婆さん、婆さん、豆っこ一粒出てきましたよ。」
「もったいない。煮て食いますべか、煎って食いますべか。」
「煎ってめされや。」
「大っき鍋で煎るますべか、ちゃっけ(小
犬の恩返し【胆沢の民話㉒】岩手/民俗
『犬の恩返し』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔々、西の家にも爺さん婆さんが、東の家にも爺さん婆さんが住んでいた。
ある時、川へ今今(たった今)死にそうな犬の子が流れてきて、西の家の揚げ場に引っかかった。西の爺さんは、
「なんだ、こんな汚い犬など。」
と言って、それを取って揚げ場の下に投げてやった。それが流れてきて東のお爺さんは見つけて、
「これはもぞい(可哀想な
お月とお星【胆沢の民話㉑】岩手/民俗
『お月とお星』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔な、うんと仲の良い姉妹あったったど。
姉はお月、妹はお星ち名前だったど。
お月は死んだ先の母様の子、お星は後の母様の子だったど。
母様はお星のとこばりめげがって(可愛がって)、お月など無いばいいと思っていだど。
父様家に居る時ぁ、それほどでないども、居ない時はお月のとこ、うんともぜく(可哀想に)したど。
父様は職人
ダンダの屁【胆沢の民話⑳】岩手/民俗
『ダンダの屁』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔、長者様があったずもな。盗人除けに刀使いだの、槍使いだの、棒使いだの雇い入れだど。
ある時、刀も槍も棒も何も持たない人が来て、おれぁ絶対に盗人入れない術を持ってるから使ってけろ、と言ったと。
何の術だと聞くと、屁たれて盗人入れないようにするのだという。
長者様はとにかく今夜まぶって(守って)見ろって、戸の口さ、まぶりと
ダンゴの話【胆沢の民話⑲】岩手/民俗
『ダンゴの話』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
ある村外れの森蔭に、ポツンと一軒小屋が建っていました。その小屋に母一人子一人の親子が慎ましく住んでおりました。
夫に死なれた母は、乳飲み子の太郎に最大の期待をかけて一生懸命励みましたが、育った太郎は母の頼みとはとんと違い、15になっても西も東も分からないという馬鹿者でありました。
母は一時は運命の残酷さに悲観し、太郎を殺し
啄木鳥になった茂平【胆沢の民話⑱】岩手/民俗
『啄木鳥(きつつき)になった茂平』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
崖下の茂平のことを誰も名前を呼ばなくなりました。お人好しで一人暮らしの和尚さんを、ごまかしてばかりいるので、誰言うことなく「テラツツキ」と呼ぶようになりました。
「アレ、今日もテラツツキが行くぞ。」
薄汚れの手拭いで頬冠り(ほっかむり)して、尻端折(しりはしょり、着物の裾を捲し上げること)をした茂平が、