忘れていった小袋【胆沢の民話㉙】岩手/民俗
『忘れていった小袋』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔々、ある村外れに、正直者の爺さんと婆さんが住んでおりました。あまり正直すぎて騙されることが多く、貸したものなど返されることは滅多になく、10人に1人もあればいい方で、ほとんどは返されることなどありませんでした。
そんな風なので村人たちは、爺さん婆さんを正直者と賞めるどころか、この頃では「お人好しの馬鹿者」と陰口を言うようになりました。
爺さん婆さんの耳に、そんな陰口も入るようになりました。しかしそうだからといって、爺さん婆さんの正直は止むどころか、ますます多くなっていくのでありました。
「昨日から一粒のお米も食べていません。どうぞご飯をお恵み下さい。」
爺さん婆さんの入口の敷居に手をついて、涙をこぼさんばかりに願っている若者を見ると、血色の良さや肩のいかりなどからハッキリ嘘だと分かっていながらも、爺さん婆さんはニコニコしながら、乏しい米櫃の底を叩いて、ご飯を炊いて差し上げるのでありました。
ある日など、
「お金を落として困っています。」
と言って、訪れた娘さんがありましたが、これは嘘だと、その言葉の中から爺さん婆さんはすぐ気付きましたが、そんな疑惑など少しも顔に表さず、いつものニコニコ顔になって、お金を恵んでやりました。
その娘さんが翌日、また同じようなことを言って、爺さん婆さんの家の戸口に立ちました。さすがの爺さん婆さんも呆れ返って開いた口が塞がりませんでした。でもそれはほんの瞬間で、いつものニコニコ顔に返って、ふくらみのなくなった財布を逆さまにして、若干のお金を恵んでやるのでした。
そんな風でしたので、爺さん婆さんの生活は日増しに苦しくなっていきました。そして遂に、米一粒もない生活が続くようになりました。菜っ葉漬けにお湯をさして飲んで食事に替えるという、押し詰まった生活にまで落ちてしまいました。
その日もやはり菜っ葉漬けにお湯をさしての夕飯という事でした。でも正直者の爺さん婆さんには不平も不満もありませんでした。いつものようにニコニコして神仏に手を合わせて、今日の無事を感謝するのでありました。
そんなところへ一人の年老いた乞食が訪れました。そして3日間も食事をとっていないと、例の通り食事を求めました。爺さん婆さんは困ってしまいました。食事といっても米一粒もないので、菜っ葉漬けにお湯をさしてすすっていたところであったので、それでもよければと、申し訳ないように言いました。年老いた乞食は、それで差し支えないと言いましたので、菜っ葉漬けにお湯をさして出しました。ところが年老いた乞食は食うわ食うわ、爺さんと婆さんが一か月は持つだろうと準備しておいた菜っ葉漬けを全部食べてしまいました。
ところが翌朝はもっともっと酷かったのでした。爺さん婆さんの2か月分の菜っ葉漬けが、かの年老いた乞食の朝食に吹っ飛んでしまいました。さすがのお人好しの爺さん婆さんも呆然として、口が塞がりませんでした。それのみか、有り難うの挨拶もしないで出ていってしまいました。
しばらくは腑抜けのようになって、ぼんやりしている爺さん婆さんの目に、一つの小袋が映りました。その所は、かの年老いた乞食の座っていた所でもあったので、きっと忘れていったものと思い、爺さんはその袋を掴むと急いで乞食の後を追いました。しかし乞食は何処に消えたやら、爺さんがいくら探しても尋ねても見当たりませんでした。散々尋ね疲れて帰っていざ夕飯となりましたが、気が付いてみると、爺さん婆さんの唯一の食糧である菜っ葉漬けは、あの乞食にすっかり食い尽くされているのに気が付きました。
「困ったことになった。」
さすがに爺さん婆さんの顔からは、あの福々しいニコニコが消えていました。二人は色々と考えましたが、いい知恵は浮かんできませんでした。そして悪いなと思いながら、かの年老いた乞食の忘れていった小袋を開いてみることにしました。
ところがその小袋の中には、水晶の粒のような米がいっぱい詰まっていました。なんの智恵も生まれない二人は仕方がないから、この米を借りて夕飯にすることにしました。久しぶりの米飯は、爺さん婆さんの腹をいっぱいにしました。
ところが不思議なことに、昨日空にしたはずの小袋に、米がいっぱい詰まって置いてあるではありませんか。爺さん婆さんは不思議不思議といぶかりながらも、つい借りるという事にして、いただいてしまいました。
その小袋はその後も、いくら空にしても翌日には米がいっぱい詰まっているのでした。
爺さん婆さんは、例の年老いた乞食が取りにも来こないので、或いは神仏が自分たちの善行を誉めて下さっての報いではないかと感謝するようになりました。そして物を乞いに来る者に恵むことも益々多くなりました。
いつしか村人たちは、この爺さん婆さんのことを「お人好しの馬鹿者」とは言わなくなりました。のみか、「生き神様だ、生き仏様だ」と言うようになりました。