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昇龍の行く末を考える 【『易経』に学ぶ】

子曰。
危者。安其位者也。
亡者。保其存者也。
亂者。有其治者也。
是故君子安而不忘危。
存而不忘亡。治而不忘亂。
是以身安而國家可保也。

【書き下し文】
子曰く、
危うしとする者は、其の位に安んずる者なり。
亡びんとする者は、その存を保つ者なり。
乱るとする者は、その治をたもつ者なり。
この故に、君子は
安くして危うきを忘れず。
存して亡ぶるを忘れず。
治まりて乱るるを忘れず。
ここをもって身を安くして国家を保つべきなり。

『易経 繋辞下伝』第五章
『易経』(下)高田真治・後藤基巳訳注(岩波文庫)

地位や名誉、役職や立場を得て、くらい人臣じんしんを極めた人は、非常に危うい立場にいます。
なぜなら、いつ何時、その地位から転げ落ちるかわからないからです。
これを『易経』では「けん乾爲天けんいてん)」の掛において、「亢龍、悔い有り」としています。

上九。亢龍有悔。
(上九。亢龍悔あり。)
上九は陽剛居極、天を昇りつめて降りることを忘れた龍。
勢位を極めておごりたかぶればかえって悔を残すことにもなる。

『易経』(下)高田真治・後藤基巳訳注(岩波文庫)

昇りつめた龍には、落ちる道しか残されていません。
同様に天下泰平を極め、繁栄を謳歌している国は、既に少しずつ衰退し、滅びる道を辿る端緒にいると言えるでしょう。
そのような国家が、衰退しないためにはどうすればよいのでしょうか。

自ら率先して、その位を降りることしか選択の道はありません。

退しりぞくは、天の道なり。

『老子』九章

老子が残したこの言葉は、実に真理をあらわしています。
これを現代の国家に当てはめてみると、経済的発展を遂げ、生活が豊かになり、繁栄を遂げた国は、貧困に苦しむ国や人々に自分たちが消費できない余剰物を無償で提供すべきでしょう。
そのようなこともせずに、ますます貪欲に経済的繁栄を追い求めるようであれば、その先には破滅(滅亡)の道が待っています。
豊かさに安住し、貧困や内乱に苦しむ国や人々に、全く援助の手をさしのべない国も同様です。
化石燃料や原子力資源をふんだんに使い、24時間365日、エネルギーを利用しつづける生活をしているようでは、いつか天罰が下ることを覚悟する必要があるでしょう。
それとは逆に、生活水準の高い豊かで文化的な生活を、地球上にいる全ての人たちが享受できるようにするために、豊かさを公平に分配することを積極的にすすめ、再生可能エネルギー含む将来的に環境負荷が少ない技術を無償(または安価)で提供し、貧しい生活を余儀なくされている国や人々を支えていくのであれば、衰退の道を免れることができるかもしれません。
このような共存共栄の道こそが、天地の理にかなう生き方と言えるからです。

「満つれば欠くる」は、天地の法則です。
夜空に輝く月の満ち欠けは、このことを教えてくれています。
本当の意味で、世の道理がわかっている為政者は、
治に居て乱を忘れず、
存に居て亡を忘れず、
安に居て危を忘れず、
という生き方を常に心がけています。
これが東洋で昔から伝わる「危急存亡のことわり」というものです。
永遠に右肩上がりの経済発展というものは、単なる幻想に過ぎません。
「益する者があれば、その陰に損する者がある」ということは、国家や会社を営む立場にある人たちは、日頃から身にしみて感じていることです。
この法則を正しく理解している為政者や経営者は、必ず、自らの利益を削減してでも、損をしている国や人々に利益配分をするような活動にいそしんでいます。

国家や会社を構成しているのは、自分を含む一人ひとりの人間です。
世界中で起きている貧困や内乱などの悲劇や惨状は、決して他人事として傍観していてはいけません。
四書五経は「君子の学問」とされていますが、日本ではいわゆる帝王学にとどまらず、武士や貴族だけでなく、農民をはじめとする庶民も熱心に学び、自らの研鑽の糧としてきました。
この麗しき伝統の灯を絶やすことなく、真の意味で「学問をする」意義を噛みしめながら、「自分は世の為に何が出来るのか」を考えていくことが、今こそ求められているのです。


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