見出し画像

科学者とはどのような存在なのか 【池内 了『科学者と戦争』】

科学者は、自分の専門に関わることなら、細かな点まで異常なくらい正確さにこだわるが、専門を外れると、どれほど重要なことであっても等閑視してしまう。
オルテガ・イ・ガセットが「科学主義の野蛮性」と呼んだように、いったん専門から外れると幼児と同じ程度の知識しかないにもかかわらず、そのことに気づかず、何事も知悉していると思い込み、自分の意見を押し通そうとする。
さまざまな専門家会議や諮問委員会などで科学者は委員として委嘱されるが、「幅広い学識と見識によって」判断するわけではなく、官僚の作文を追認してお茶を濁すのみである。
しかし、本人は期待された通り学識経験者としての役割を果たしていると思い込んでいるのだ。
日頃、法則や数式や厳密に考えられた実験ばかり扱っているためか、科学者には形式論者が多い。

池内 了著『科学者と戦争』(岩波新書)

これが、一人の科学者である池内氏が分析した「科学者」の実態です。
科学の現場にいる第一人者による観察なので、それほど実際の状況との齟齬は無いと考えてよいでしょう。
池内氏は、科学者がこのような人となってしまうことには、理由があると言います。

まず、科学者という人間の特性を考えてみよう。
一般には高学歴の(今では99%まで博士号を持っている)エリートであり、世間からはちょっとずれた存在である。
(中略)
そもそも科学者とはどのような人間なのだろうか?
科学者は、研究の現場においては王様である。
何を研究テーマとするかの出発点から、その問題を解いて論文にして発表する最終点まで、すべて自分の考えで進めることができる。
また、通常の研究費は、申請した枠内であれば自由に使うことができる。
大学では講義や会議以外の時間は基本的には自由で、すべて研究に当てても他のことをしてもよく、誰からも指図されることはない。
そのためだろう、研究者は、外の世界もそのようであると錯覚する。
たとえ軍事研究であっても、自由に公開できると軍に約束させられると信じ、将来民生利用へと転換すると軍が約束すればその通りになると思い込む。何でも自分本位で進められると思っているのだ。
そもそも普段から大学以外の人間に接触することがほとんどないから、社会にはさまざまな人間がいることを知らない。
また、論文では嘘は書かれていないとして受け取るのが常識(性善説)だから、誰でもそうであるとみなす傾向がある。
だから、軍や企業の海千山千の人間のお世辞を信じ込み、簡単に乗せられる。

池内 了著『科学者と戦争』(岩波新書)

これを見ると、科学者が冒頭に紹介されているような人物となってしまうのも仕方ないでしょう。

ノーベル平和賞を受賞した元アメリカ副大統領のアル・ゴアさんは、環境問題の実情を明かしたドキュメンタリー映画「不都合な真実」や自身の講演の中で、「地球温暖化はない」とする共和党政権の政治的プロパガンダのために、多くの科学者が動員されたことを暴露しています。
共和党政権の支持団体は、南部の石油関連会社が多いので、二酸化炭素削減政策が推し進められたら、莫大な利益が失われることになるので、「科学者による客観的なデータ」に基づき「地球温暖化は幻である」という結論をでっちあげようとしたのです。
地球温暖化を虚言とする結論ありきで始まっているため、石油関連企業に都合のよいデータばかりが集めらたとしても、それは「科学者の意見」として、立派に世間で通用してしまいます。
池内氏は、科学者がこのような行動をとってしまう理由についても、次のように述べています。

研究費の支出を除いて、日頃金銭的な取引がほとんどないから、お金については律儀で、企業から奨学金や寄付金を少しでももらうと、その企業を応援したくなり、企業にとって都合が悪いことには一切触れないようになってしまう。
だから、軍から資金が入るようになれば、軍に対して協力的になり、実直に尽くすようになる。電力業界に対する原子力の専門家たちや製薬企業に対する臨床の医師たちがそうであるように。

池内 了著『科学者と戦争』(岩波新書)

私たちは、何かあるとすぐに科学者の意見を聞こうとしてしまいますが、実際のところは、自分たちのかわりに、地道な研究をしてくれる人材として保護すべき対象に過ぎず、頼るべき対象ではないことを肝に銘ずるべきでしょう。
最近は、技術立国ニッポンの復活を目指して、理科系大学への支援策を耳にすることが多くなりました。
しかし、安易に政府や役人たちの意見だけに耳を傾けるのではなく、しっかりとその内容を吟味していかなければいけません。
そのためには、高貴な精神性や人間性に基づいた正義や倫理観からの視点を欠かすことは出来ないでしょう。
文化系の大学や学部への研究費などは削減される傾向にあると言われて久しいですが、科学の振興を目指すのであれば、同じくらい人文学分野の研究や人材への支援も増やしていく必要があります。
池内氏が指摘しているように、「科学者は一般に社会的リテラシーに欠けることが多く、反応は単純で、形式論者が多い」のであれば、尚更、人文学者を始め、多くの他分野からの「監視の目」が重要となってくるからです。
戦時下にあったとは言え、偉大なる物理学の成果が、核兵器という結果に結びついたという悲しむべき事実を、我々は決して忘れてはいけないのです。

この記事が参加している募集

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?