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リーダーの心得とは 【帝王学の古典『貞観政要』に学ぶ】

人間は自分の事柄に関しては極めて評価が甘く、容易にあざむかれるものであって、このわざわいから身を守るのは難しい。

追従ついしょうから身を守る唯一の方法は、人が真実を自分に向かって述べたとしても感情をそこなわないことを人々に理解させることである。

ニッコロ・マキアヴェッリ著『君主論』 佐々木毅全訳註・講談社学術文庫P.303

人間は歳をとって老化してくると、自分にとって都合の良い情報ばかりに耳を傾け、自分にとって不快な情報は排除しようとしがちです。
事実を直視しようとせず、希望的観測ばかりを思い描くようになるのです。
そんな人に本当のことを言ったらどうなるでしょう。その結末は容易に想像できます。
部下が上司を怖れて本当のことを言わなくなると、その組織の衰退が始まるというのは、いつの時代にも当てはまる変わらない真実と言えるでしょう。

中国の古典の中で、帝王学の書と言われるものの一つに『貞観政要じょうがんせいよう』があります。
はるか昔、唐の時代の名君として名高い太宗たいそうの治世は「貞観の治」と呼ばれ、後の時代の為政者たちに理想的治政として、お手本とされました。
日本の北条政子や徳川家康も、この『貞観政要』を愛読していたことは有名な話です。
太宗はなぜ名君と言われたのか。
それは、「部下からのきびしい提言であっても、それにすべて耳を傾けたところにある」とされています。
太宗は、積極的に良き人材を登用しました。
彼は、部下の正邪(=六正六邪)を見抜く眼をもっていたと言われています。
臣下の中で、信用のできない邪心を抱く者として、六つのパターン(六邪)をあげました。
その一つに「臣」というものがあります。

主君の言葉は全て善であるとほめ、主君の行為はすべて良いとほめ、ひそかに主君の好むものをつきとめて、これを主君に勧めて主君の耳や目を喜ばせ、主君に迎合してやたらに気に入るようにし、主君と共に楽しんで、その後の害などは少しも心配しない。

『貞観政要』明治書院・新釈漢文大系・上 P.222より

年齢を重ね、立場が上になるにつれ、酒色の接待の場によばれることも増えてきます。そこでは、取り入ろうとする阿諛追従あゆついしょうの徒に簡単にだまされてしまうことも少なくないでしょう。
小心で自分を大きく見せたがるような虚栄心の強い人間なら尚更です。
国の為政者でも、企業の経営者でも、自分のやるべきことから目を逸らし、趣味道楽などにうつつを抜かすようであれば、このような輩に付け入る隙を与えることになってしまうでしょう。

リーダーというものは、孤独なものです。
先頭に立って国家や組織を導くために、重要な決断を迫られるような場面に遭遇した時、リーダーは誰かに相談したり、頼ったりすることは出来ません。
だからこそ北条政子や徳川家康といった為政者たちは、『貞観政要』のような古典を学び、そこに模範となる姿を求めたのです。

いつの時代であっても、子供には、このようなリーダーシップを教える必要があるでしょう。
なぜなら、社会から一番必要とされる人材とは、リーダーシップやキャプテンシーが備わった人だからです。
たとえリーダーになることはなかったとしても、リーダーの気持ちや厳しさを理解することができれば、少なくとも組織の秩序を乱すようなことはないでしょう。
これは小手先の技術やスキルの話ではありません。
広大無辺な人間性とも言える「その人の器」の話です。
このように「教育」とは、常に社会に有用な人材を育成するための場であるべきなのです。

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