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試験に出る徳川家康|名古屋2012

「ケータイ国盗り合戦」という位置情報ゲームの旅。10年かけて全国600に分かれた位置情報を取得するため、東西南北を、電車・車・飛行機・フェリー・自転車・徒歩で巡りに巡った記録。

駿府城 大御所時代

クリスマスの日に予定も何もないため、ヤケになった僕らは、東海道の城という城を観るというジゴクのような行程に旅立った。

歴史好きな友人による詳細な解説付きの東海道旅は、夜も明け切らない朝5:30から始まる。車中で、今回の旅の目的は主に徳川家康ゆかりの城をめぐることを告げられ、そして目的地である名古屋城の成り立ちの説明を受ける。

第一の城、駿府城。駿府城は徳川家康の隠居後の居城で、将軍職を退いた後、大御所として権勢をふるった城でもある。

遺構としては堀や石垣が残っているが、天守は正確な史料がないため、天守台があったあたりは広々とした公園になっている。

公園自体は、どこでもある市民の憩いの場的な様相だが、パワースポットなる謎の場所があるのが特徴といえば特徴笑。

東御門・巽櫓の部分が復元されて、中に入ることができるため、内部にはいくつか展示物がある。お土産売り場では、時期的にカレンダーが売り出し中のようで、猛烈なアピールを受けるが、旅先で東御門・巽櫓だらけのカレンダーを買うほど、僕らは酔狂ではない。

浜松城 ボコボコ時代

第二の城、浜松城。家康が29歳から45歳までの間に在城した城。旧名の曳馬城から浜松城に改名したのも家康と言われる。家康が武田信玄とバチバチにやり合っていたときの城で、主にボコボコにやられていた。別名ボコボコ時代

そんな浜松城の前に、昼食をとることに。車中で浜松の名物を調べたところ、うなぎ以外には、浜松餃子が有名らしく、宇都宮に次ぐ2位とのこと。これはいい、ぜひ浜松餃子を食べてみよう。

駅前の繁華街、浜松餃子の文字は見当たらず。

普通の地方都市感のある浜松で、餃子はとんと見つけることができなかった。お土産の冷凍餃子はあったが、今食べたいのはそれではない。仕方なく、そこらの定食屋で食事をすませ、浜松城へと向かう。

浜松城は天守があるものの、こちらは模擬天守。香川の丸岡城を参考に作られたものらしい。内部では漫画「センゴク」の原画展なるものが開催中だったが、いかんせんセンゴクを知らない。

浜松城を出て高速道路に乗り、浜名湖SAによると、ここで初めて浜松餃子にお目にかかる。

気持ち野菜多めなサッパリ系。浜松餃子はSAなら食べられるようだ。

岡崎城 新世紀時代

第三の城、岡崎城。松平氏の代々の城で、徳川家康が生まれた城である。つまり、駿府→浜松→岡崎と、家康の居城をだんだん遡ってみてきたということになる。友人のドヤ顔がにくたらしい。

岡崎城は、名古屋に近いからか、かなり気合の入った観光施設。曲輪門や石垣が残る。また、家康のしかみ像(家康が浜松城時代に武田にボコボコにされていたときの像)がある。

その上で、なぜか城内で展示されている、エヴァンゲリオン展。どうやら、刀匠たちが、エヴァンゲリオンの武器やら兜やらを製作したらしい。

刀匠が持つ最高の腕で、ロンギヌスの槍が作られているのをみると、日本人の変態性が垣間見られて最高である。

ただ、家康よりもエヴァフィーチャーなのは、それでいいのか岡崎城。

名古屋城 オールスター

19時ごろに名古屋に到着し、名古屋コーチンをいただいた後、あっという間に就寝。

翌朝、名古屋城に登城。名古屋城は戦国期というよりも江戸時代に入った後に、家康の命によって築城されたもので、近代の城。築城にあたっては、戦国時代のオールスターが関わっているので、城の規模も大きく、戦乱を経て高まった築城技術があちこちに使われている。

天守は復元となっており、内部は展示品の数々。名古屋は何度か来たことがあったが、城内は初めて。ただ帰りの時間を考えるとゆっくりも観ていられないので、ほぼ流し見せざるを得ないほど、大量の展示品だ。

またこのとき、本丸御殿を建設中だったようで、製材所を少し見学できた。今まさに作っている感があり、なかなかに面白い。

名古屋城を出た後、チラリと熱田神宮に参拝。

宝物殿では、古事記・古今和歌集など、古典でお馴染みの原本を見ることができた。さすがは三種の神器の一つである草薙の剣を奉祀する神社である。持っている宝物の格が高い。

渋滞を考え、昼過ぎには帰路に着く。それでも結局は渋滞にはまるが、18時ごろには東京に到着。友人は時間読みが正確だ。

東海道を走ると、徳川家康がよくわかる。

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