断捨離をやってみたら、捨てる限界っていうものがあることがわかった

母が他界してかれこれ5年が過ぎ、やっと旧実家の遺産を全部「断捨離」した。

正確には母という自分ではない人物の持ち物だった遺品を処分したのだから、自分の持ち物を思い切って処分していく断捨離とは違うかも知れないが、これをやった事によって自分がこれからするであろう「真の断捨離」のイメージが湧いたので、それを書いておこうと思います。

過去5年間の断捨離で、見えてきたことは、断捨離するにも限界があるのだ、ということ。
それを断捨離のステップにまとめて書いてみると・・・

1.単なる不要品処分のステップ

押入れの奥にあって出しにくいから捨てられなかった古い箪笥、捨てるのにお金がかかる昔の金庫、もう使わないけど何となくしまってある炬燵、こういったモノをズバズバ捨ててしまった後は部屋の障害物が無くなってすごくスッキリする。家の中が快適になった。この断捨離をするのにはほとんど迷いは無かったが、それは元々母が「まだ使うかも?」と残していたモノもだいぶ混じっていただろうと思う。
もしこれらが自分で「まだ使うかも?」と残していたモノだったら、やっぱりもうちょっと残しておくか!となっただろうか?
そのような迷いを断つことから断捨離は進むのだろうと思う。
しかし、思い切って捨ててしまった後の部屋は想像以上に自由でスッキリした感じが漂ってました。

2.思い出の品を、思い切って捨てるステップ

母の遺品を捨てるかどうか迷うモノは、自分が子供の頃に家にあった家具、それにアルバムに貼った膨大な写真ではないかと思った。
私が実家から巣立ってしまったあとに購入された家具などは、母がきっと大事にしていたとは思うけど、潔く捨てる決断を下せるのだが、写真というものはどうもイケナイ。
学校の卒業アルバムや、昔の家族写真、「まあこういうのだけなら結局残してもいいか!?」と考えてしまう。両親の子供の頃の写真集なんかも出てきて、これも断捨離するのに勇気がすごく要りそうだ。
結局半分ぐらい自分で焼却ゴミ袋に入れたが、あとの半分は自宅に運んで処分を妻の判断に委ねることにした。妻は大半を捨てるつもりで段ボール箱に入れていたら、娘が「写真は捨てないで」という意見を言い出して、最後は押入れで保管になった。
まあ、よかったよかったと内心思っています。

3.過分だと思った持ち物を捨てるステップ

例えば、椅子はこんなに数要らないだろうと思って、最低限の椅子を残して大型ごみで捨てたのだが、これは間違っていた。
椅子って、とにかく座れさえすればいいってもんじゃなくて、パソコンするときに適した椅子、メシ食う時にいい椅子、くつろげるソファーなんかもあるから、場合によって何種類も椅子が必要だったのだ!ということが椅子を捨ててしまってから肌身でわかるようになった。
断捨離するときは、ここらへんのさじ加減がキモになるような気がする。
無くても大丈夫だろうと、捨てすぎると生活の質が落ちるというのは、このステップのあたりだろうかと、今回の旧実家の断捨離でよくわかった気がする。

4.最低限の持ち物以外を捨てるステップ

自分がとても高齢になって、もうそろそろ施設に入らなきゃ!と思う頃、というか、そう家族に思われる頃までにはこの域の断捨離に成功しておく必要を感じている。
生活の質の低下を乗り越えて断捨離しなければならないのか、それを回避できる方法があればそうしたいのだが・・・
旧実家で、最後に自分の寝る布団一組、テレビ1台を残して全部処分してしまった生活というのは家に居たくないほど殺伐として味気なく、カップ焼きそばの容器を床に置いて食い、布団に座って壁に寄りかかって畳に置いた缶ビール飲みながらテレビ見るという悲惨な宿泊だった。
この翌々日からリフォーム工事が始まるので、最後の宿泊ではこうしなきゃしょうがなかったが。

自分が将来死ぬ前には、少なくとも処分に厄介なモノは先に処分しておこうと思い、断捨離をしなきゃ!と考えているから、いったいどこまで断捨離を進めて行くか、何を捨てて何は残して暮らすか60歳になっている今となっては、考えているだけではなくて、ほんとうに進めて行かなくっちゃ!の心境だ。

とりあえず「使うかも?」と思っているモノと、学生時代から持っていて、さすがにもう読まなくなった教科書は断捨離の入門かもしれない。
でも。実際なかなか自分の断捨離は進まない。

そういえば、10年前に父が他界した後、家に残った父の遺品はあまり多くはなかったと思い出した。もしかしたら母が父の生前から予め捨てていたのかもしれない。
そう考えると、断捨離には「妻」という外力が案外有効なのかもしれない。

効果不幸か妻は私の部屋の内容物を捨てることに以前から興味を示している。

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