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『都会と犬ども』のことなど

未来をひらく

 まだ四分の一しか読んでいないころからわかっていた。自分がこの小説について感想文を書くだろうなということが。だから物語を追うついでに、どんなふうに感想文を書こうかゆったり考えていた。『都会と犬ども』みたいに、僕も中学校時代を振り返ってみようかな。作中のアルベルトの生き方を現代人の若者と重ねてみようかな。引用についても思った。ここの表現はなかなかいかしてるし、感想文のなかに取りいてもいいな、というふうに。

 でも、いちばん考え込んでたのは冒頭とタイトルについてだ。タイトルと作品の書き出し。これはやっぱり大事だと思う。というか、その作品を運命づけると言っても過言じゃない。昔、おばあちゃんに言われたことがいまでもはっきりと思い出せて、自分の人生がその言葉にすごく影響を受けているように、始まりの言葉っていうのは未来へ続いていく道をひらく。だから僕はわりと真剣に考えていた。始まりやタイトルはどうしよう? 久々に読書感想文を書くんだから、シックにかっこよくやりたいな。

 それで出たタイトルが――『都会と犬ども』のことなど。さっきも言ったけど、僕はわりと真剣に考えていた。だから自然とこのタイトルに落ち着いたときには一人で笑ってしまった。すごください感じがして。でも、素直な感じもしてこれでもいいなとなった。そう、つまりこれでこの感想文の運命は『都会と犬ども』のことなど的なものになると確定したのだ。素朴で、あけすけで、平々凡々とした響きだ。あやしい紫のテントの中、星柄のローブを着た占い師のおばあちゃんが水晶玉にしわくちゃの手をかざして見えたのが『都会と犬ども』のことなど的未来なのだ。

『都会と犬ども』マリオ・バルガス=リョサ 杉山晃訳

 それと、この感想文は『都会と犬ども』を読んだことがないひとに向けて書くつもりだ。だから物語のネタバレはしないし、内容にもとづく深い言及なども避ける。この小説へ興味をもってもらう、その手掛かりとして書くつもりだ。

あらすじ

 南米ペルー、その首都リマに近くのレオンシオ・プラド士官学校には国中からさまざな生まれの少年たちが集められる。その三年制の学校は毎日の訓練と授業を軍律のもとで教育し、優秀な人材を育て上げると語る。しかし、生徒たちのあいだに蔓延るのは汚辱、暴力、賭博、盗難にいじめに酒、タバコ。実際は生活すべてが軍紀違反だ。
 アルベルト、ジャガー、ボア、そしてリカルド。
 レオンシオ・プラドという鉄格子のなかで自分を守り、未来を獲得しようとする少年たちの姿をバルガス=リョサが新鮮なタッチで描いていく。

外側

 感想へ進む前に、この小説の外側の部分について話しておこう。つまり、作者や年代、ペルーのことについてだ。
 
 まずはペルーについて話そう。みなさんはペルーがどこにあるかわかるだろうか? ペルー。日本とほとんど縁のない国のように聞こえる。実際、その国は太平洋をはさんだ向こう側、南米大陸の西とはるか彼方に位置している。飛行機で行こうと思っても約24時間かかる。チケットは15万円もする。ウクライナならまだしも、ペルーについては知らないというひとがほとんどだろう。僕ももちろん知らない。

 でも現代というのは便利で、検索すればすぐにペルーの情報にアクセスできる。なんとも快適だ。検索によって僕らの記憶力は確実に低下していく。そして人類智の集合によると、ペルーとは以下の通りだ。

ペルー共和国(ペルーきょうわこく、スペイン語: República del Perú、ケチュア語族: Piruw Republika、アイマラ語: Piruw Suyu)、通称ペルーは、南アメリカ西部に位置する共和制国家首都リマ
北にコロンビア、北西にエクアドル、東にブラジル、南東にボリビア、南にチリと国境を接し、西は太平洋に面する。
紀元前から多くの古代文明が栄えており、16世紀までは当時の世界で最大級の帝国だったインカ帝国(タワンティン・スウユ)の中心地だった。その後スペインに征服された植民地時代にペルー副王領の中心地となり、独立後は大統領制の共和国となっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BC
ペルー - Wikipediaより
ペルーとその首都リマ。作中ではリマを中心に物語が展開される

 つぎに作者について述べよう。作者はマリオ・バルガス=リョサ。こちらも知らないというひとがほとんどだろう。でも、クイズ好きなら知っているのかもしれない。彼は2010年にノーベル文学賞を取っている。「権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた」とのことらしい。

 その顔はなんとも印象的だ。白いたっぷりとした髪がなでつけられている。なんだか、ひと昔まえの南米人って感じだ。にっこりしてるのが良い。枯山水みたいに、おもむきがある。ちょっと威圧感もあるが、親戚のおじさんにこういう人がいたら面白い話をしてくれそうな感じがする。しない?

マリオ・バルガス=リョサ


 僕は『都会と犬ども』を読むまで、彼の作品を一度も読んだことがないと思っていた。ただ、読んだあとに彼の作品一覧を調べてみると、そこには僕の知る作品があった。それは「決闘」という短編だ。岩波から出ている『20世紀ラテンアメリカ短篇選』というなかなかいかした本に掲載されている。この短篇選のなかでは「青い花束」だとか、「フォルベス先生の幸福な夏」なんかが好きだった。「決闘」もそこそこ楽しめた作品のひとつだ。「決闘」を読むとき、僕は京都の三条大橋から下りたところにある河川敷でたむろしている若者たちを思い出す。金髪に染め上げ、派手模様のシャツを着こんだ彼らが、夜の暗闇にまぎれるようにして座りこみ何やらあやしげな言葉を交わしている。三条大橋を行き交う僕たちを視界の端におさめて、仲間内であやしいサインを送りあっている。僕はそんな若者たちを避けるようにして、警戒しながら河川敷への階段を降りていく。


『20世紀ラテンアメリカ短篇選』野谷文昭編訳

 もちろんバルガス=リョサの作品は『都会と犬ども』と「決闘」だけではない。サリンジャーなんかとは違って、バルガス=リョサはけっこう精力的な書き手だ。デビュー作は短篇だが、長篇も書くし、ノンフィクションも書く。ずいぶんなやり手という感じだ。僕は次に『若い小説家に宛てた手紙』というのを読もうと思ってる。さっき図書館で予約したところだ。ちょうど僕は若い小説家だし、たまにはこういうのも読んでみたい。

 最後に『都会と犬ども』が書かれた年代について話そう。『都会と犬ども』が出版されたのは1963年、伊藤博文の千円札が出たり、ビートルズの『Please Please Me』が出たりした年だ。作中の年代については、これと同じか、もう少し昔というところだろう。はっきりとした西暦は明記はされていないが、エクアドル・ペルー戦争(1941年-1942年)を過去のものとする表現が出てくるので、それ以降で、おそらく10年、20年あとの物語だろうとして読むことができる。

感想

 さてさてさて。ついに本題だ。感想について語ろう。
 まず、この作品は大前提として良い作品だった。これは間違いない。ただ、『老人と海』とか、『グレート・ギャッツビー』みたいな、もう人生を奥底のところからひっくり返してしまうようなものというわけではなかった。これも間違いない。

 じゃあどれくらい面白かったの? となると、なかなか伝えるのがむつかしい。僕のものさしで比較していいなら、太宰の『人間失格』くらいには良かったという感じだ。ただ『人間失格』はカルト的な人気をもつ小説だし、他のひとは「そんなことはない」と言うかもしれない。けれど、とにかく僕にとってはそれくらい良い作品だったな。

 そして読んでいて思い出したのは、やはり他の少年もの小説――つまり『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だとか『たんぽぽのお酒』なのだが、他に比較するならこれは「忍たま乱太郎」的な印象があったと言っても間違いじゃない。とくに前半部においては「忍たま乱太郎」をNHKで見ていたあの子ども時代みたいだった。もちろん、『都会と犬ども』はかなりダークで、暴力的で、いたずらにいかがわしいのだが、やはり少年たちの心のぶつかり合いの根底にあるのは「忍たま乱太郎」のような純朴なものだと感じられた。そしてそういうのが好きな僕は、みるみるうちに小説の世界に引き込まれていった。

 そういった少年性と同様に『都会と犬ども』において語られているのは、やはり「敗北」だと思う。内容に深く関係してくるのでここですべてを語ることはできないのだが、作中には読み手にとっても非常に衝撃的な物語が語られる。それはどうしようもない物語であり、「敗北」の物語だ。あまりにも残酷で、同情的に読み進める読者はその敗北を受け入れ難く感じてしまうのではないのだろうか。先述したとおりこの作品が出版されたのは1963年なのだが、それでも『都会と犬ども』で語られる敗北の物語は私たちの記憶になく斬新で、脳内に新たな領域を切り拓くほどであると感じる。

 しかし敗北のその陰に、他の人生があることを忘れてはいけない。複数の視点によって入れ替わり語られていく本作では、従者が繰り返すメメント・モリの言葉のように他者の事実を突きつけられる。私たち読者は比較できない価値のやり取りに対して思わず声をあげたくなってしまう。価値のやり取りには何かを差しはさむ余地は残されていないものの、どうにかならないものかと優しい逃げ道を探してしまう。

『都会と犬ども』はそうした感情を読者のあいだに湧き起こすものだと僕は思う。長さは(たぶん)40万字ぐらい。小説としては短い『人間失格』が8万文字ほどだそうなので、その五倍ということだ。ただ、『都会と犬ども』は相当読みやすい本であることは間違いない。複雑な言葉づかいはないし、登場人物の数もロシア文学に比べるとぜんぜんましだ。数人の視点がころころと入れ替わって語られるので、読書初心者にはややつらい面もあるかもしれないが、すでに文学に触れたことのあるひとならとくに苦にせず読み進めることができるだろう。

 翻訳については2010年に改訂版として出ている杉山晃訳のものがおすすめだ。しっかりとした単行本で多少かさばるが家で読むには問題ないだろう。新潮から出ていて、僕は図書館で借りて読んだ。

 他には、ちょうど今年の六月に光文社古典新訳文庫から『街と犬たち』という題で文庫本が出ている。寺尾隆吉が翻訳している。彼の翻訳を僕は手に取ったことがないし、『街と犬たち』のヴァージョンを読んだわけでもないのでなんとも言えないのだが、個人的には光文社古典新訳文庫の翻訳はそこそこ信頼できると感じてる。『青い麦』や、『三つの物語』、『カラマーゾフの兄弟』なんかを光文社古典新訳文庫で読んだがこれは良かった。中にはひどいものもあるにはあるが、まあ出先で読みたい方にはこちらがおすすめできるのではないだろうか。

『街と犬たち』寺尾隆吉訳

おわりに

 そしてここで感想文は終わる。題は『都会と犬ども』のことなどとなっていたが、案外脱線は少なくすんだように感じている。だいたい、僕は感想文を書こうとすると小説とはべつのことに言及してたまらなくなってしまうたちなのだが、今回は理性がうまく働いたようだ。

 このごろ急に肌寒くなってきた。もう秋ということだ。一年は短いとはよく聞くが、僕がいま感じているのは一年の儚さだ。もろく、指で触れようとすればこまかく砕けてしまう。そんなふうに一年のことを感じている。夏までに何かするぞだとか、今年にはきっと完成させるぞという心持ちでものごとに取り組むと、あまりにも儚く風が吹くように過ぎてしまう時間の流れに自分の決意を達成できずに寂しい気持ちになってしまうから、僕はそういうタイプの決心はしないと決めている。よく神を試すなと敬虔な信者は口にするが、それと同じで時を試してはならないのではないかと僕は思う。
 
 もうじきずっと寒くなって、外に出るのもおっくうになるだろう。いい機会だと思う。普段本を手に取らないひともたまにはということで何か読んでみたらどうだろうか。もちろん『都会と犬ども』はおすすめだが、べつの何かでもかまわない。それこそいまになって『こころ』を読み返すのもいいだろう。そうした本を読んで、もしも何かしゃべりたくてたまらない気持ちになったなら、僕にコンタクトを取ってくれるとうれしい。自分の好きな小説というコンテンツについて他者とその気持ちをわかちあえる機会というのはじつに恵まれたものなのだなと、大学を去ったいまになってよく思う。

 それではまたどこかで。互いに良い日を過ごしていこう。

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