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聞くことは、表現すること。〜聞いてる時のアタマの中vol.3

聞いてるときのアタマの中 vol.3
〜塾講師&絵描き Kさん〜

「塾講師を辞めようと思っている」

Kさんがそう話してくれたのは7月のこと。
受験シーズンが終わった今年3月から、4ヶ月。
その間でKさんは生まれ育った家を手放し、人生の大きな岐路に立っているといいます。

去年の年末に「“聞くこと“についての話を聞きたい」とSNSに書き込んだ時、「聞くことと話すことが仕事です」とコメントをくれたのが、Kさんでした。

そうか。「教える」って「聞くこと」と「話すこと」なんだ。

なんとなく一方通行なイメージだった「教える」という言葉の輪郭が、ふわりと柔らかくなった瞬間でした。

同時に、Kさんの描いた作品を思い出しました。やさしさの中にもハッとする視点があり、ずっと眺めていたくなる絵を。

料理を載せる敷き紙に水彩で絵付けした作品 @我が家
とあるお店の冷凍スープの「ジャケット」。原画は油絵 @また我が家

Kさんには「絵描き」という、もうひとつの顔があります。

講師と絵描き。

一見相反する両輪の共通点は、「聞く」ことなのかもしれません。
相手の声を聞き、自分の声を聞く。
片方に傾きすぎても、進んでいかない。

Kさんの歩んできた道のりを聞きながら、そんなことを感じていました。

この企画は、ライターの私ゆきが独断で選んだ「聞き上手」な方々に、「聞いてる時のアタマの中」についてインタビューします。
テーマは「テクニック」や「コツ」ではなく、その人にとっての「聞く」ってなんだろう? を掘り下げること。
聞き下手な私のための企画ですが、同時に、コミュニケーションに苦手意識を持っている人へのヒントになったら嬉しいな、という思いからはじめました。
インタビューをとおして、私の周りにいる素敵な人たちの紹介もさせてください。

「先生」というより、「感情を解放させる人」

K:そもそも私って「講師」とか「先生」っていうタイプじゃないんですよ。上には見られないというか。

ゆき:「講師」っていう立場だと、自然と上下関係ができるイメージですが…意識して「上に見られないようにした」ということ?

K:うーん。たぶん元々のキャラクターだと思う。最初は意図的にやったわけではないので…。

ただ今は、「教える時のキャラクター」として意識している部分も少しはあるかもしれないね。先生とか親とか、目上の人には言えないことも言えるような立場でいたいから。
なんていうか…「感情を解放させてからスタート」っていうイメージなんです。

ゆき:感情を解放させる。

K:まず塾に来ると泣く、みたいな。

ゆき:ええっ!? Kさんの前で?

K:うん。私の前では泣いたり怒ったり笑ったり。例えば教えてる時に大笑いが起こると、授業が止まっちゃうじゃない? でも私は、笑い始めたら笑いきるまで止めないでいたくて。感情が解放されて、そこから信頼関係が築けると思っているんです。

ゆき:なんでKさんの前だと解放できるんだろう。

K:やっぱりキャラクターかなぁ。もちろん全然感情的にならない子もいて。ずっと敬語で、緊張した状態が続く子もいるから、その場合は同じスタンスになって合わせていくって感じで関わっているよ。

求められていることを確かめてから返す

ゆき:教える子は何年生って決まっているんですか。

K:何年生とかはなくて、この子は私が担当、みたいに決まるかな。一番長い子で小学4年から大学入学までみてるよ。

ゆき:10代ほぼ全部ですね。

K:生徒からすると、家族の次に長い付き合い。友達も小中高で変わっていったりするから。

その子の性格はもちろん、家庭のこと、勉強のことに加えて、感情の部分…「誰にも言えない」みたいなことも聞いてます。

ゆき:多感な10代の感情を受け入れるって、大変なことだと思います。自分の心が引っ張られたりしたことはないですか。

K:うーん…。まず受験が毎年あるっていう状況が辛いんですよ。一般的に受験って高校、大学と3年毎に計2回、それぞれ大体1年で終わるじゃない。でも講師はずっと中3、高3を見てるから…受験の時期になると未だに胃が痛くなる。

10年くらい前かな。かなり熱心に教えていたら、自分の身体も気持ちも辛くなったことがあって。その反面、思うような成果が出なかったんだよね。「感情を解放して」とやってはいるけど、成績を上げたり、志望校に入ることの成果が出てないなって気がついて。

それまでは勉強しない子にはさせようとしてたし、「どうしてもその学校に入りたい」っていう希望があったら頑張らせてた。でも「なんか上手くいってないな」って気づいた時から、サポートはするけど、向こうから「助けて」と言われない限り、必要以上に手を出すのはやめようって思ったの。結局やるか、やらないかは本人が決めることだから。
そこから気持ち的に楽になって、生徒との関係も良くなって、結果も出るようになった。

ゆき:生徒との「境界線」みたいなものが引けるようになった、ってことでしょうか。

K:やるべきことは全部やる。でも目的をブラしちゃいけないと思ったんだよね。塾には勉強を見るっていう目的があって、そこに対価をもらっているから。さらにそれ以上のことを求めてきたら、それには返すって感じかな。要求されたら、要求された分だけは返そうって思ったの。

だからもしかすると、生徒側からは贔屓するタイプに見えるかもしれない。「これもやって」っていう人には、その分返しているから。「あの人にはやってるのに私にはない」って思ってる人はいるかもしれないけど…。でも、そう思うタイプって口に出して言ってくれるから、意外と不平等ではないとも思うんだよね。

ゆき:生徒さんたちが「何を求めているか」を観察されて、理解しようとしているのが伝わってきました。

「先生にはならない」と思いつづけてきた30年

K:でもやっぱり毎年受験がくるのは辛いし、そもそもこんなに長く塾の先生をやるとは思ってなかったんですよ。元々は絵の方で、って思って生きてきたから。

ゆき:東京の美術大学を卒業されているんですよね。どうして塾講師に?

K:まず美大に行くことを親から猛反対されたの。「絵は趣味で描けばいい」って言われて。でも私は「何言っても無駄だから」って絶対折れなかった。笑 そこで親が出した条件が「教員免許をとる」で。学費を出してもらう必要があったから、美大に行って、教員免許は取ったんだよね。

教えることが嫌いなわけじゃないし、多分自分に合ってるだろうと思ってたんだけど、先生にはならないって決めていたのね。自分の性格上、職業としての「先生」になったらそこにのめり込んで、絵が描けなくなると思ってたから。

でも卒業する3月に、大学の先生から「急に欠員が出て、美術の先生を探してるんだけど」って相談されて。その時点で就職が決まってなくて、教員免許を持ってるのが私しかいなかったの。笑 「1年間だけだからやってみないか」って言われて、ちょうどお金を貯めて留学しようと思ってたから、「1年なら良いか」くらいの気持ちで引き受けたのが始まり。1年後には正式採用になって、数年続けちゃった。笑

ゆき:めちゃくちゃ優秀じゃないですか。笑

K:けど東京で働いている時に父親が倒れて、札幌に帰ることになったんだよね。その時に友達から「塾の講師を募集してる」って話をもらって、そこも短期のつもりで始めて。

ゆき:また。笑

K:結局そこは3年くらいで辞めたんだけど、その時の同僚から「弟の素行が悪くて、塾もすぐに辞めてしまって困ってる。家庭教師に来てくれないか」って言われて。家庭教師になったら生徒があっという間に増えて、今の塾が始まったの。

ゆき:なんと。Kさんから塾が始まったんですね。

K:そう。最初は軌道に乗ったら手をひくつもりだったけど、やっぱり始まったら投げ出せなくて。

「この子が卒業したら辞めよう」って思ってても、その子が3年生の時に1年生を新しく受け持ったり、その弟や妹がきたりすると、また続けて…。そうやって今に至るって感じです。

ゆき:「先生にはならない」と思いつつも、大学を卒業されてからずっと教える仕事をされてるんですね。

K:気がついたら、あっという間に30年以上経ってました。

インタビューは近代美術館隣にある『多目的喫茶店アイビィ』さんで行いました。

介護と実家を手放すことで見えた、描くことへの想い

ゆき:塾の仕事を続けていく中で、絵を描くことに対しては30年間どんな気持ちだったんでしょうか。

K:札幌に帰ってきてしばらくは、アトリエを借りて描いてたの。定期的に個展とかグループ展もやって、仕事と並行しながら描けていたんだけど。しばらくして母親が倒れて、ダブル介護になって。

ゆき:Kさんがお父さんとお母さんの介護を?

K:そう。父の介護をしていた母が倒れて、さらに母の方が重い状態になってしまって。アトリエも引き払って、実家に戻らざるを得なくなったの。そこから7〜8年は全く描けなかった。

介護と仕事で寝る時間もなくて、最初の2年くらいは相当辛かったな。当時「介護を苦に心中する」みたいなニュースを見て「わかる!」ってなるくらい。
好きなお酒も飲めなくて、外に食事に行くのも、喫茶店に入るのも気が引けちゃって。「親が大変な時にゆっくりしてる場合じゃない」って、楽しむことが出来なくなっちゃった。

2年を過ぎたくらいから「このままじゃ身も心も持たない」と思って、お金はかかるけど人の手をいっぱい入れるようにしたの。お酒も飲みたい時に飲んで、美味しいものも食べたい時に食べて、ってことをあえてしていったら、だいぶ楽になった。

K:でもやっぱり絵を描く余裕はなくて。自分では辞めたつもりはなかったんだけど、とにかく時間がなくって。

両親が亡くなって、ダブル介護の時間がふっと無くなったら廃人状態みたいになっちゃって。急にやることが無くなってぼんやりしてたのが、2年くらい。だから介護の前後含めて10年くらいは描けなかった。

そこからちょっとずつ復活して、今年。コロナの影響もあって延びていたグループ展を、来年やろうって話が出てきたの。
その時「ここで何かを大きく変えないと、ずっと変わらないな」って思ったんだよね。本気で絵を描いていくなら、いつか塾は辞めなきゃ、ってずっと思ってたんだけど、その「いつか」は今なんじゃないかって。

多分引っ越しとセットになったんだと思う。実家を売って引っ越すっていうことと、塾を辞めようって思ったのが同時にきたんだよね。

ゆき:引っ越しは最近ですよね。

K:そう。両親が遺してくれた家だから絶対手放さないって思ってたんだけど。ここ数年で排水管やら庭の伐採やら、大規模な修理や手入れが必要なところが次々出てきて。加えて去年から今年の大雪。家を出る時も着いてからも雪かきで1日に3〜4時間かかるし、雪の段差で車庫から出し入れするたびに車は壊れるしで。

今年の受験が終わった3月の末に「あれ?家を売ったら楽になるんじゃない?」って急に思い立ったの。家にかかる維持費とか、ストレスとか、冬の雪のこととか、全部解放されるんじゃない?って。考え始めたら一気に進んで。

その勢いで仕事をやめる方向も進んでいったから、大きく動く時期だったんだと思う。何もかも。家を売って生活環境が変わるわけだから、ここで人生を切り替えてもいいのかなって。

言葉だけでは伝えきれないものがある

ゆき:介護や塾の仕事を30年しながらも絵を描くことを辞めずに、さらに挑戦されるって凄いことだと思います。

K:まだどうなるか分からないし、この先も仕事をしながら描いていくのかもしれないけど。でも…やろうと思ってやらないと、できないのかなって。

絵は私にとってコミュニケーション手段の一つで。表現方法って色々あるけど、言葉で伝える人が小説や詩を描くように、自分は絵で表現するのがやりやすいと思っているから。

だから今までの仕事も、言葉で「教える」というより、芸術的な仕事の一環で生徒に「表現」しているって感覚に近いかもしれない。

言葉では伝えきれないものがあって、先生と生徒の立場では届かないものがあるって、30年の経験で私は感じたから。

ゆき:それは勉強を教えるってことだけではなく…?

K:そうだね。例えば生徒がいじめをしてたとして。「いじめをするのは良くない」と言葉で伝えても、その子は変わらないと思う。でも、映画や音楽、美術を観たり聴いたりして、その子の心が動いたなら、違う方向に進んでいけるんじゃないかな。

ゆき:「言葉だけじゃ伝えきれないもの」を感じてるKさんが、これからやりたいことは何でしょうか。

K:やっぱり絵を描くことかな。生活の中心を「絵を描くこと」にしていきたい。

今まで溜めていた作品も家と一緒にほとんど手放してきたんだよね。でもここからまた、新しく描けばいいから。

今の自分が描きたいものをひとつひとつ、これから描いていきたいと思ってるよ。


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