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アンバサダーと集客に思う違和感

映画やスポーツのエンターテイメントの集客について、思うことを何回かに分けて記してみたい。
忌憚なきフィードバックがあると嬉しい。
なお、フィードバックと議論に関してもいずれ書いてみたい。
まずは「集客」に関して。

では、まずハンドボールの話から集客について。
パリ・サンジェルマンは、サッカーだけでなくハンドボールでも世界的クラブらしい。
全く知らなかったが、こちらのニュースで初めて知った。
そして来日ツアーがあることも初めて知った。

そんな世界的であるらしいクラブを差し置いて、中央には寺島しのぶ、元日銀総裁、そして多分三國シェフらしき人(最近違うシェフがやたらと騒がれるが、その人ではないだろうが、なぜかシェフは記事では紹介されていない。。)とその後ろに残念ながら私の知らないお兄さんたちがいる。
少年も知らない。ごめんなさい。

この「芸能人を呼んで応援大将という名のアンバサダーに就いてもらう」というもはや古典的な手法に、今回は人選と関係なく違和感を抱いた。
それは、「本来やるべきことが逆なのではないか?」という違和感だ。
本来は、寺島しのぶさんと三國シェフが並んで準決勝or and 決勝戦で(この場合は、来日の試合、しかもなるべく最初の試合)、普通に観戦している方が効果的なのではないか?ということだ。
アンバサダーを辞書で調べると、

基本的には英語で「大使」や「使節」「代表」といった意味で用いられる語。名詞。日本語では「親善大使」のような意味合いで「アンバサダー」の語が用いられる場合がある。あるいは「筆頭」「第一人者」「その分野を代表する存在」といった意味合いで用いられることもある。

weblio.jpより

と書いてある。
その分野の第一人者、もしくは違う分野の第一人者が観客席に座っていたほうが、そのコンテンツに箔が付くし、ステータスが上がるのではないか?
その姿が報道やソーシャルメディアなどで広がり、裾野が広がっていく。
お金で動いていないという世間への受け取られ方によって、信用度も上がるし、興味対象が湧くだろう。

ボクシングでは、起きている現象だ。
日本でも世界でも、注目の試合には、各界の著名人が高額チケットを購入して(裏で招待されているかもしれないが、そのように見えない)、リングサイドに勢揃いしている。
この手法は、高級ブランド(ヴィトンなどなど)のガーラ、ファッションショーなどでは、常套手段で、うまく機能している。
多くの著名人とインフルエンサーが招待され、鑑賞し、その様子をみんなソーシャルメディアにシェアしていく。
NBAとかでも、コートサイドに著名人が出揃うレイカーズ(LA)やニックス(NY)でも同様の効果だろう。
事前に芸能人を仕込んで、事前にアンバサダーにして、記者会見を開いてマスコミを呼ぶという作戦は、試合に人が来るかどうか不安だから、先に話題性を作ろうということなのだろう。
確かに私も今回のパリサンジェルマンに関して、そこで初めて認知したが、今の時代における違和感をまとめたい。

  • インフルエンサーが台頭している現在、広告塔の効果と広告塔が本当にその広告対象を好きかどうかの信憑性は薄れており、それにもうみんな気づいていないのだろうか?「〇〇が好きすぎる芸能人」なんて特集が毎日のようにあるのは、その表れではないのだろうか?つまりマスコミ側も理解しているのではないのか?本当に好きでないと、お客にバレてしまうことに。

  • そもそもこのアンバサダーを起用して、花火を上げた後、その後持続的な効果や、そこを起点に成功したリーグやスポーツやエンターテイメントはあるだろうか?申し訳ないが、ジャニーズや吉本芸人や役者(田中圭:バスケなど)をお約束でブッキングするが、リーグや主催者はその効果をちゃんと測るなり理解しているのだろうか?昨日男子全日本バレーボール代表が30年ぶりにブラジルを破る大金星をあげたが、日本で毎回W杯が開催されていた当時のアンバサダーで誰か1人でも反応を示しただろうか?でも考えて欲しい、バレーボールの試合に、普通に客席に(もちろんいい席で)ジャニーズのタレントが座っていたらどうなるだろう?こちらの方が応援アンバサダーより効果があるのではないだろうか?

  • 花火の後。このハンドボールの会見が示すように、パリサンジェルマンの凄さを知りたくても、こんなに検索が楽な時代でも見つかるのが一苦労。せっかくの会見で認知した効果が、これでは水の泡。マーケティング用語的に言えば、コンシューマージャーニー設計の欠落ポイントが発生しているとでも言えばいいのだろうか?会見で上げた花火の次の打ち手を準備していない。これは、2015ワールドカップ後のラグビートップリーグで大きな問題となった。

  • なので、フックとして、最初のきっかけ、認知度を築く上での効果は良いとして、その後の設計とリアリティー(〇〇過ぎる芸能人のように、本気で好きでないと)が加味されないと、厳しいものがある。

  • 逆に何の告知もなく、実際の試合に寺島しのぶなど各界の第一人者がたとえ仕込みでも観戦していたら、そちらの方が今の時代効果があるんじゃないだろうか?設計としては、チームを全面に出したアンバサダーのいない地味な会見、来日1試合目に第一人者たちになるべく多く観戦してもらう。そこから派生して生み出したいコミュニケーション例は、「えっ!?なんか有名人がやたらハンドボールの試合観に行っているんだけど、あれ何?そんなすごいの?」「パリ・サンジェルマンってサッカーでメッシとかいたところ?ハンドボールも強いの?」「えっこのハンドボールチームの何がすごいの?」「えっ観に行けるの?」「日本ってハンドボール強いの?」「えっ!?イケメンいるじゃん?」こんな口コミの誘発なのだろう。その後に寺島さんからハンドボール愛の発信があれば、かなり話題に火がついていくのではないか?これをデザインすることに心血注いだ方が、一発のアンバサダー就任会見に全て注ぐより、その後のファン開拓と発展につながらないだろうか?もちろんそれを続けないと意味はないのだが、お約束の一発打ち上げ花火芸能会見よりは効果的なのではないだろうか?

  • もちろん芸能事務所側の狙いもわかる。一発打ち上げ花火をやる方が、タレントが好きで観にいくより、お金になるのだ。だけどそこで儲かっているのは、芸能事務所だけで、実際のそのスポーツのファンや団体でも選手たちでもない。その辺りの、何のための認知なのか?最終的なゴールは何なのか?という軸をしっかり作る必要はあるのだろう。

このアンバサダー手法は、映画業界でも使い古されており、もはや廃れている感がするが、いまだに見かける。
元々は、宣伝費のない作品の苦肉の策が、いつの間にか常套メニューと化しており、何とも言えない。。。
これと同じ道をスポーツ界が歩む必要はないと思うのだが、なぜか同じ道を歩むものばかり。
いずれにせよ、一瞬の認知は今でも取れるものの、その後の設計と、アンバサダーの愛が本物でない限り、この手法は過渡期に来ており、今後工夫があるとより効果的だろう。
同じことを繰り返さずに、色々と探って進化させていけるといいのだろう。
世の中にコンサルたるものに大量のお金を払っている団体や大会があるならば、この辺りから考えられる人を、より安く契約できる時代でもあるように思う。
そこにも違和感を感じるが、別のトピックなので、日を改めて考えてみたい。

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