見出し画像

ストレスとは無縁だと思っていた私が救急車に運ばれた日の話

研修が終わり、本格的に社会人として働くことになってから2日目の夕方だった。

「いま救急車で病院に向かってる。母に連絡よろしくお願いします。」

私は、生まれて初めて救急車で運ばれていた。

何かしなくてはという焦り

その日は、どんな日だっただろうか。

PCを開くと、同じ部署に配属された同期のグループチャットに通知が溜まっていた。
「会議がたくさんあって忙しい〜」「私もー!死にそう」と自分以外の同期らが、嘆いていた。

それに比べて、私は何もやることがなかった。

担当の上司に「何かできることはありますか」とメールをしても、チャットしても、返ってこなかった。

配属初日に送られてきたPowerPoint形式の資料を、もう何度目か分からないくらい読み込んだ。
8時間はきっかり仕事しなくてはいけない、だけどやることがない、何かしなくては。

何か少しでも間違ったことをしてはいけない、やることがないからと言ってサボってはいけない。

そんな考えを無意識に装備していた私の心は、時間がたつにつれてどんどん重くなっていった。

フルオンラインの新卒1年目

私含め同期は全員、一度も出社したことがなかった。(8月現在、未だにない)

研修中は、研修が終わったら出勤になるのかなー?なんて考えていたが、残念ながら世の中の流れは良くならなかった。

上司へ送ったメールとチャットが返ってこなくても、未だに会ったことのない相手に対して返事を催促することのハードルは高かった。

研修では、担当の社員さんにこまめにコミュニケーション取ってもらえていたけど、特別親切だったんだなあ、とその頃気付いた。

ようやく定時になりそうなときだった。

なんだか、目が痛い。PCの文字が見えづらくなってきた。
頭も痛い。しかも結構痛い。

まだ定時より30分早いけど、大丈夫かな?とドキドキしつつも、PCを閉じて寝ることにした。

昔から、たまに起きる片頭痛は寝ればマシになっていたから、今回もそうだと思った。

仕事時間中に寝てごめんなさい、と思いながら眠りについた。

寝ても悪化する頭痛

次に起きたのは1時間後だった。

あれ、全く良くなっていない、起きた瞬間に分かった。

スリープ状態にしていたPCを開けて、画面を見たら、画面はついているはずなのに視界が暗すぎて文字が読めなかった。

ここで初めて助けを求めた。地元にいる彼氏へLINEを送った。

「なんか頭が痛くて、目も痛い。どうしよう」

「大丈夫?すぐに寝た方がいいよ」と返ってきたので、既に1時間寝たけど良くならなかった旨を伝えた。

すると、「もし酷そうなら、病院に行ったほうがいいかも」と返ってきた。

そのときに、私は「こういう時って何病院?」と思った。

普通、頭痛なら総合病院か内科に行けばいいと判断できるはずなのに。

「内科だよ」と丁寧に教えてくれた彼氏に対して、「ないか」と平仮名3文字で返していた。

実は、このあたりの記憶がほとんどない。

そして、この当時の数時間も、色んな記憶が飛んでいる状態だった。
頭がズキズキと痛み、必死に何か思い出そうとしても思い出すことができなかった。

2つの記憶喪失は、失う記憶の種類が異なった。

①発症時:基本的な単語等の記憶を喪失

当時、頭と目に激痛が走って彼に助けを求めていた数時間は、「病院」や「内科」、「救急車」という子どもでも分かる言葉すら、何を意味している単語なのか分かっていなかった。

その証拠に、彼が「119呼びな」と送っているのに対して私は「119ってなに?」と返していた。

彼に言葉の意味を説明してもらって、なんとか119に電話をかけることに成功した。
しかし、そこからもかなり苦戦した。なぜなら、住所を聞かれてもパッと出てこないからだ。

『今どこにいますか?』「家です」『住所は言えますか』「東京です」
東京に住んでいることまでは分かっていても、そのあとが分からなかった。

これに関しては、マップの位置情報を見て確認しようとしていた形跡があった。
しかし、残念ながら、なぜか私の住んでいる地域はいつもGPSが狂っており、正確な住所が表示されなかった。

それによって、救急隊の方に住所を伝えることもできず、(救急隊の人と会話が成立していない・・どうしよう、困らせている・・)と思った私は、あろうことか電話をブツ切りしてしまった。

でも頭は痛いし目も痛い。このままでは助からない。でも救急車も呼べない。どうしよう・・・。

打開策はAmazonのマイページだった。

これもスマホの履歴とぼんやりした記憶を照らし合わせて分かったことだったが、私はAmazonの登録情報を読み上げることで、救急隊の方に住所を伝えることに成功した。

Amazonを常にログイン状態に保持しておいて良かったな、と心から思う。Amazonありがとう。

そうして救急車を呼ぶことができた私は、救急車に乗り込むと意識がほとんど通常の状態に回復していた。
激しい頭痛と目痛は続いていたが、救急隊の方とコミュニケーションを取る分には苦労しなくなっていた。

そこで、彼に「いま救急車で病院に向かってる。母に連絡よろしくお願いします。」とLINEを送り、病院に運ばれるまで目を瞑っていた。

病院についてからは、点滴を打ってもらい薬を4錠飲んだ。
あまり良くならなかったが、もう帰ってねという雰囲気だったので、数時間後には帰宅することになった。

帰宅する際、大きな病院だったので、薬をもらうために院内をあちこち回る必要があった。
しかし、視界は暗いままだから道順がよく分からず、頭が痛くて立っているのもやっとだったので壁に伝って歩くしかなかった。

(今思うとその状態で1人で帰されたのやばくないか?!いや普通なのかな・・?)

もう一度ベッドの部屋へ戻り、「すみません、薬を貰いに行く道順、もう一度教えていただけますか?」と頼み、なんとか薬を受け取ることができた。

その後、フラフラの状態でタクシーに乗り込み、極力言葉を発したくなかったので、運転手に住所だけ伝えて目を閉じた。

②発症後:当時の記憶をまるまる喪失

「今マンションに着いたよ」と彼にLINEを送ると、驚いた声で電話をかけてきた。

『あんな状態だったのに、もう帰ってきたの?!』

先述したように、私は救急車に乗るまでの記憶がほとんどなかった。

救急隊の方に、「なんか記憶が曖昧で・・」と軽く説明したが、自分でもどういう状況なのか理解できていなかったので、医師にも記憶のことは説明できていなかった。

そこで初めて彼とのLINEを見返すと、そこには衝撃のやりとりが残されていた。

「119ってなに?」「誰が来るの?」「病院?」「どうすればいい」「うあ」「ないか」

私の支離滅裂な発言のオンパレードだった。

「え・・こんなことになってたの・・」

記憶を喪失するのは初めての経験で、とても戸惑った。

一過性全健忘(TGA)

次の日に、もう一度病院へ行くことにした。

診断結果は、一過性全健忘(TGA)というもので、一時的に何かが引き金となって記憶を失う症状だったことが分かった。
基本的に原因は分からないらしい。

病院で分かったのはここまでだった。
ネットで調べた情報では、引き金となる原因としては、激しい頭痛やストレスなどが挙げられており、おそらくそこらへんだろうな・・と腹落ちさせた。

頭痛に関しては高校生の頃からたまに悩まされていたが、ここまで酷いのは初めてだったので、ストレスと元々持っていた頭痛がタッグを組んで、驚異のパワーを持ってしまったんだと思う。

2日間の有給

運ばれた翌日と翌々日は、有給を使って仕事を休んだ。

休んだ2日間は、実家から姉が来てくれて、買い出しや家事を一通りしてくれた。

姉と会うことも、手料理を食べることも久々だった。

その2日間は、とても心が休まり、弱い所をすべてさらけ出せた時間だった。

2人で近所の土手を散歩しているときに、「きっと神様がさ、いい加減休みなさいって言ってもなかなか聞かないから、無理やり運ばれるように仕向けたんだよ~」と姉が笑いながら言ってくれた。

本当にそうだよな、となんだか納得してしまった。

伝えたいこと

実は、救急車に運ばれた日が初めてじゃなかった。
もっと前から、ストレスは身体に表れていた。

4月に入社して以降、全身に蕁麻疹が出たり、1か月間毎日吐き気が止まらなかったり。コンビニへの道中、いきなり道端に吐いた日もあった。毎日家にいるのに、足が腫れて整形外科に通っていたり(謎すぎる)。

全て「原因不明だけど、、おそらくストレスかな」と言われた。
新卒で入社するまでの22年間は健康体で、インフルエンザにもかかったことがないくらいだったので、きっとストレスだろうなとは薄々感じていた。

ブラック企業というわけでも、すごく嫌いな同期がいるとかでもなかった。

そもそも、ストレスを感じているという自覚すらなかった。

つらいなと感じても、「こんなので辛いって思ってたら甘いよね」「こんなにいい環境があるんだから」「みんなはこんなことつらくないんだから・・・」と思っていて、私の「つらい」なんて‘ストレス‘に値しないと思っていた。

でも、救急車に運ばれて分かったことがある。

それは、心よりも身体はストレスに対して真っ先に反応するということ。そして、‘ストレス‘と‘仕事自体のハードさ‘は必ずしも結びつかないということ。

ハードじゃないからつらくない、ハードじゃないからストレスは溜まらない。そんなのは嘘だ。

現に私は、何もやることのない暇な日に、救急車で運ばれている。私はあの日、何も役に立てていない自分への焦りや、上司とコミュニケーションが取れないことがストレスの原因になっていた。


だから、声を大にして伝えたい。

①身体に異常が出たら、自分と向き合って。

②ストレスは一般的な尺度で決めることではないから、人と比べる必要はない。


今はかなりストレスは軽減された。
責任感やプレッシャーは必要な分だけ持ち、自分の心と身体を大切にしようと心掛けている。忙しい上司にもオンラインだからこそ積極的にコミュニケーションを取るようにしているし、もし反応がなければ少し休憩しとこうかな~と気楽に捉えるようにした。

それでも、蕁麻疹の薬は飲み続けている。忙しかった日の夕方は、たまに吐き気がする。

一度放置してしまったストレスの影響は、ストレスが軽減しても、なかなか消えてくれないんだなと実感している。

一体いつまで続くのだろうか、とたまに不安になることもある。

だからこそ、ストレスによる身体の変化や心の変化を少しでも感じ取ったら、自分と向き合ってほしい。
同じ経験をする人を1人でも減らしたいから。

ストレスは人と比べるものではない。少しでもつらいとおもったら、辛いと思わなくても身体が悲鳴を上げたなら、向き合ってあげてください。

最後に
これを読んで、「このくらいで倒れたの?」と思われた方もいると思います。正直、そう思ってもおかしくないと思います。
しかし、少し危険な考え方だと思います。
自分に対しても、上司や部下に対しても、自分の勝手な基準でストレスを軽視してしまうと、いつかガタが来ると思います。

キャパは人それぞれ、ということを念頭に。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?