長谷川さより

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最近の記事

放浪

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    • 傲慢な日記

      同人と感想というトピックはこれまで何度も話題になってきたし、これからも何かきっかけがあれば話題にされるだろう。 感想が欲しいとかブックマークを増やしたいとか、自分は必要ないんじゃないかとか、そういうものに「理解できない」とばっさり言うようなことは、今はあまりしたくないというか、怖いな、と思う。 小説だったりイラストだったり、そういうものをわたしは書く/描くことがあるけれど、コンスタントにそれをしている人間かと言われると、そうでもない。書きたくなったら書くし、特に書きたいもの

      • 宛先不明

        架空のキャラクターの誕生日を祝っていいのかわからない。 作中で誕生日を祝われてそれを喜んで受け入れる描写のあるキャラクターに対しては、わたしもおめでとうと言える。お誕生日おめでとう。わたしの人生を訪ねてきてくれてありがとう。あなたのことがだいすき。もちろん今日じゃない日も。 SNS上のお祝いムードに水をさしたいわけではない。自分でも、あのキャラクターたちなら、誕生日を祝われたらきっと笑ってありがとうと言うだろうと思う。 けれど、架空のキャラクターがわたしに合意することは

        • 知らない街

          Twitterアカウントを移行している。 『MIU404』を観て、暴れて、救われて、暴れて、祈ってから、ずっとどこかで後悔していた。 わたしはこれまでアカウントを変えることなくTwitterをやってきていて、幼さも醜さも多く残している。 今がいちばん素敵だし一秒先はもっと素敵。過去の自分がいなければ今の自分はいないから、過去のすべてを愛している。というかまあ、愛さなければやっていられない。好きで抱えた負債ではないが、その負債が自分の持てるやさしさの可能性を広げるのであれば、

          くたくたの拒絶

          拒絶することは疲れる。 誰かを拒絶することにたくさんエネルギーが必要なひととそうでないひとがいるらしいということには、流石にもう気づいた。 わたしは前者の人間で、拒絶しなければ……と思うことも実際にそれをすることも、それがたとえどう考えてもそうすべきなのだとしても、くたくたに疲れてしまう。 実家の母親は何かにつけてわたしにものを送ろうとするし、送る。 「送りましょうか」と尋ねられたとき、わたしは拒絶する。場所がないから、間に合ってるから。にもかかわらず、しばらく経つと送ら

          くたくたの拒絶

          おとな

          仕事をするひとになって一年が経とうとしている。 仕事をするひとになって、同人誌を出した。仕事をするひとになっていなければ金銭的に難しかったろうと思うし、仕事をするひとでありながら物語を愛するひとでもいることができてよかったとも思う。『花束みたいな恋をした』、いい映画だったな。 就職活動をしていた間、それに関するツイートはほとんどしなかった。してもすぐに消していた。 これは他者のアカウント運用に対する感情ではなく、あくまでもわたしがher_adolescenceをどう運用す

          不親切な日記

          読み手に不親切な日記。 他者と切実さを共有することの不可能性について、ここ半年ほどはよく考えていた。 わたしはずっと星野源の音楽をちゃんと聴くわけにはいかないと思っていて、それは自分が彼に救われてしまう可能性、ひいては彼についてわかった気になってしまう可能性を心から恐れているからだ。 音楽は、いろんなものが剥き出しになりそうで、怖い。自分にとって音楽を聴くことはすごく孤独な営みで、だからいわゆるイメソンというものもほとんどわからない。 彼にわたしの心のやわらかい部分を直接

          不親切な日記

          物語に生かされている

          学生時代を終え、この春からは仕事をしている。この情勢のため、レギュラーも知らないのに多くのイレギュラーに見舞われたが、まあそれはそれとして、仕事をするひとになった。 いわゆる社会人になってから(これも奇妙な言葉で、別に仕事をしていなくても社会の構成員であることには変わりはないはずなのに、なぜ一般的には仕事をしているひとを社会人と呼ぶのだろう。考えると悲しくなる)、自分はオタクじゃなくてもそれなりに楽しく生きてはゆけるのだろうな、と考えていた。 今日の夕飯はどうしようとか、花

          物語に生かされている

          行き止まり、あるいは遠い彼方

          一年以上前に書いた文章の再掲。あのときしか書けなかったし、今はもう書けない。けれど、今このとき読み返せてよかった。 * 万策尽きたとき、人は祈ることしかできない。たとえば遠くの戦争、遠くの災害、遠くの悲劇、誰かの訃報。死ははるか彼方なので、これもまた遠い。手の届かないところに向けられた悲しみは当て所なく、人は上を向き、天に祈る。その営みを笑うことはできない。  祈りで腹が膨れることはないが、祈りは空腹を教えてくれるかもしれない。祈りで暖を取れることはないが、祈りは寒冷

          行き止まり、あるいは遠い彼方

          My journey will continue.

          作品を咀嚼する、作品を消化する、などの物言いがあるように、鑑賞した作品が己の血肉になるイメージは、わりに多くの人間が共有しているのだろう。 わたしもそのイメージを持っている。新しく鑑賞した作品が、自分のこれまで積み重ねてきた血肉と呼応して、自分の分かち難い一部になる。そういうことを日々繰り返している。 『MIU404』は今や間違いなくわたしの血肉だが、もはやそれでは収まりきらない。どうかこの先、わたしの心臓の一部であり続けてほしい。そう思っている。わたしの全身をめぐる血液が

          My journey will continue.

          いつかの祈り

          『プレイ・アゲイン・ミュージック』 以前書いた瀬田薫さんの夢小説なのですが、『MIU404』最終話を控えて書き残しておきたい気持ちはなんだろう、と考えたとき、これについて野暮ながら語っておきたいと思ったので、すこしだけ。 瀬田さんのやさしさについて考えた話です。 瀬田さんのやさしさが『ガールズバンドパーティ!』というやさしい世界でのみ通用するようなものではなく、その世界観からあらかじめ疎外されているような少女に対しても届くものだといいな、という、そういう祈りです。 だから

          いつかの祈り

          白桃に人刺すごとく刃を入れて

          トラウマという言葉を使うことに遠慮が拭えずにいる。 自分の人生をどのように物語るのかは自分が決めることで、他人と比較する必要はないと、常々口にしているのはわたし自身であるにも関わらず、トラウマという語に関しては、どうしても自分にはおこがましいように思えて、根深い傷にこそ不思議と使えない。 だからこういう言い方になるが、まだ幼かった頃の誕生日に、ちょっと嫌な思い出がある。具体的には語らないけれど、今でも思い出すし、根深い。わたしの意志や感情が誰にとってもどうでもよくて、誰も

          白桃に人刺すごとく刃を入れて

          囚われないために残すこと

          昨年7月19日にふせったーにアップロードした文章を再掲します。 * 亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。また、被害に遭われた方、そして彼らの人生や仕事を愛している方々が、すこしでもすこやかにあることを願います。 わたしは、言うほど京都アニメーションのファンというわけではなかった。執念さえ感じる繊細で丁寧な芝居、きらめきあふれる緻密な背景、時代を切り開くような絵柄の変化、心底素晴らしいことだと思うが、そういったコストの割き方が好みに合うかと言われれば、あんまり合わない

          囚われないために残すこと

          泥水

          あれからもう一ヶ月以上が経った。 深い水に溺れながら、ときどき水面から顔を出してなんとか呼吸をするように生きている。最近は幾許かましになってきたが、気を抜くと沈んでしまう。 人間を憎みたくなくて愛したくて信じたくて、うつくしいものをたくさん観た。わたしの心に仕舞われている永遠の宝物。それらを取り出して眺めるたびに、身も世もなく泣きながら、わたしはたぶん傷ついていた。わたし自身がもう、わたしの大切にしてきたうつくしいものに、ふさわしくなくなってしまっているから。うつくしいも

          立つ鳥は濁さずとも残す

          ――美しくない真実は、ただの「事実」にすぎないだろう。 寺山修司がかつてそう語っていたことを、最近よく思い出す。 情報と物語の違いについて考えている。これらは感覚的に当てはめた言葉であって、辞書を引いて何かを得たいわけではない。 物語には言葉と行間がある。言葉に影があるなら行間にも影があるとはこれまた寺山の言葉だが、行間という余白があればこそ物語はうつくしいのだと、わたしは思う。 他方で情報は、余白の美とは相性が、おそらく悪い。むしろ余白を可能な限り狭め、言葉さえわかれば

          立つ鳥は濁さずとも残す

          不純物われら

          猥雑な街が好きだ。自分がここにいてもいいと思えるから。 何もけばけばしく下品な裏路地に限らず、行き当りばったりなのが透けて見えるような街がいい。 駐車場がばかみたいに広いコンビニも、看板を変えてもレールはそのままの回転寿司屋も、高さのちぐはぐな建築群も、誰も所有を意識していなさそうな半端な空き地も、包容力がある。 こういう街を作るぞ、と誰かが計画して、そのとおりにマンションや公園を作って、いかにもきれいで整頓された街は、わたしにとってはすこし居心地が悪い。わたしはミックスベ

          不純物われら