泥水

あれからもう一ヶ月以上が経った。

深い水に溺れながら、ときどき水面から顔を出してなんとか呼吸をするように生きている。最近は幾許かましになってきたが、気を抜くと沈んでしまう。

人間を憎みたくなくて愛したくて信じたくて、うつくしいものをたくさん観た。わたしの心に仕舞われている永遠の宝物。それらを取り出して眺めるたびに、身も世もなく泣きながら、わたしはたぶん傷ついていた。わたし自身がもう、わたしの大切にしてきたうつくしいものに、ふさわしくなくなってしまっているから。うつくしいものを観ても前を向けない自分が嫌で嫌で堪らなかった。

あれを目撃してから2週間ほどは、本当に毎日が張り詰めていた。どうにか為すべきことを為し、ひと通り終えたら大声をあげて泣き、唸り、叫び、嘔吐し、シャワーを浴びて、また泣いていた。これらに一切の誇張はなく、本当に全部やった。人間が憎かったから。

しかしずっと怒り続けることはできない。これまでの人生で経験したことがないくらい怒り続けて疲れ果てたら、どうしようもなく自分が嫌になっていた。
自分の矜持や信条のようなものを裏切らずに生きてゆくための強さがごっそり喪われて、もう取り戻せるかわからない。そういう状況はただただつらい。
自分が愛せる誇りある自分でいられないと、途端に不安になる。わたしは自分の人生を愛しているけれど、それが嫌になってしまったら、もう何もかもだめだった。瀬田さんに顔向けできない人生は悲しい。
憎悪と憤怒と内省でいっぱいいっぱいで、自分の外側のすべてを断ち切って泣いていた。全部が嫌だった。

わたしは人間を愛したいし尊重したいのに、人間はわたしが愛したくて尊重したくて必死になっていることを大切にしてくれない。そういうことはこれまでにも何度もあったけれど、今回は本当にだめだった。
ぬいぐるみがどういうものか改めて語ることはしない。他人にわからせるために語ることがわたしはそれなりに得意なほうだと思うけれど、わかってほしいとさえ思わないから。わかる必要はない。わかった気になってわたしを救ってあげる必要もない。

わたしは醜いけれど、じゃあお前らは?

悲しいな。今でもこうして書き連ねるとこんな話にしかならないことも。世界に期待したい。世界を愛したい。世界を信じたい。つよくやさしくうつくしいひとでありたい。気高いひとでありたい。

お前らの足跡の前でしゃがみこんで泣く人生は嫌だ。お前らはとっくに次の娯楽ではしゃいでいる。わたしは動けない。

でもやっぱりいつか、あなたと友人になれたらいいと思う。