傲慢な日記

同人と感想というトピックはこれまで何度も話題になってきたし、これからも何かきっかけがあれば話題にされるだろう。
感想が欲しいとかブックマークを増やしたいとか、自分は必要ないんじゃないかとか、そういうものに「理解できない」とばっさり言うようなことは、今はあまりしたくないというか、怖いな、と思う。

小説だったりイラストだったり、そういうものをわたしは書く/描くことがあるけれど、コンスタントにそれをしている人間かと言われると、そうでもない。書きたくなったら書くし、特に書きたいものがないときは書かない。ツイートで済むことを小説にしようとは思わないし、感想ブログが書きたくなったら書く。形にこだわりがない。
同じコンテンツやカップリングを愛好する人間のコミュニティへの所属意識も希薄で、そもそもどこにも帰属したくない。好きなようにやりたい。

自分がそういう人間なので、二次創作が交流の手段になっているかのようなものを目にすると、穏やかでない気持ちになることはある。ある作品と自分の読解を通じた関係こそが第一の目的で、そこから生じる人間関係は付随する結果であってほしい。
それはわたしの切実さだ。わたしが心を傾けている物語がどうか粗末に扱われてほしくない、架空のキャラクターの尊厳が無自覚に脅かされてほしくないという、切実さ。
けれど、誰かと関わりたい、評価を受けたい、居場所が欲しいという気持ちもまた、切実なものだろうと思う。
そういうひとびとの切実さとわたしの切実さは衝突する。わたしが彼ら(ここにおける「彼ら」は性別をなんら限定するものではありません)を傷つけることは大いにあるだろうし、彼らはわたしを傷つける。それでも、シャッターを下ろしたくないし、扉を閉ざしたくない。そんなことない気持ちのときもあるが、だからといって嘘ではない。

ここにいてもいいと思える居場所が、可能ならいくつか、みんなにあったらいいな、と思う。ひとりの部屋でも、どこかのコミュニティでも、誰かの隣でも、SNS上でも、どこでも。
自分が誰にとっても優先順位の低い人間のように思えるだとか、でもそう思われる程度の人間ってことなんだよなとか、じゃあ努力?つったって努力してうまくいった体験も乏しいだとか、自分のことでいっぱいで他者を慮るのが難しいだとか、だからといって自分を好きかと言われると卑屈になってしまうだとか。
そういうものをどうしたらいいのかは、正直わからない。それをどうにかする取っ掛かりさえ他者との関わりだというのなら、あまりに厳しいな、と思う。何かひとつのきっかけや魔法の言葉で途端にうまくいくなんてことも、たぶんないだろう。すくなくとも滅多には。
そもそも「変わりたい」というエンジンをかけるための鍵も鍵穴も見つからなくて、漫然と日々が過ぎてゆく中でいろんな不満ばかりが蓄積していくような、そういう鬱屈を馬鹿にするのはすごく簡単で、でもそんなことしたって、そんなことしたってさあ、と思う。

ここにいてもいいと思えるような居場所が誰しもにあってほしい、と思う一方で、その先に待ち受けているのは「どこにいても……」という内面の課題なのだろう、とも思う。どこにいても誰にとっても代替不可能な存在ではない苦しみを抱えながら、それでも心身にわかりやすい不調をきたすことなく生きてゆけてしまう、そういうのはきっとリアルでもSNSでも(この区分は本当は好きではない。SNSもリアルの一部だから)簡単に軽んじられてしまうことで、それはやっぱり悲しい。

こういうわかったようなことを言うやつもヤだな。でもせめて、理解できないとハナから言ってしまいたくはない。そもそも人間が完全に理解し合うことなんてないのだけれど、だからって自分と違うものを切り捨てたくないな、と思っている。
世界の複雑さをどこまで引き受けるのかは自分で決めることで、限りある人間がすべてを背負えばどうしたって潰れてしまうものだけれど、それでも、せめて。