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篤があつしに変わるまで 3 『品川出版 福島一郎』

このエピソードからお読みの方は、 『篤があつしに変わるまで 0 プロローグ』 からお読みください。
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「へー、社長さんですか。まだお若いのに」
 ボクの名刺を受け取った人のお決まりのセリフである。当然ボクも、そのお決まりのセリフに対応するすべは心得ている。しかし、今はいつものその対応ができない。 

「きみの会社は大村君と、あと、確かアルバイトが1人だっけ?」
 顔なじみの宮城社長の思わぬ援軍である。
「あ、はい。そうです」
 この程度のセリフなら、考え事をしていてもかろうじて出てくる

「へー、じゃーボクの会社とおんなじだ」
 そう言って差し出された名刺には、次の文字が躍っていた。


品川出版(株)
代表取締役 福島一郎


<出版社?>
<代表取締役?>
 聞いたことがない名前だが、名刺にはそう書かれている。

 それに今、「ボクの会社」と言った。
<出版社の社長?>

 この人、さっき、パソコンの前でなんて言った?
「その本書いてみたら? ボクが力になりますよ」
 確かにそう言った。
<力になるってどーゆー意味だ?>

 かつて、一度でもボクをこんなに考え込ませる名刺があっただろうか。
 しかし、一言、ボクが一言尋ねれば、この疑問は氷解する。それがわかっていても、その一言が切り出せない。
 そのうち、2人の社長は歓談を始めてしまった。

<仕方がない。しばらく様子見といこう>
 そう観念しかかったが、チャンスはすぐに訪れた。顔なじみの宮城社長がマックを指差しながら言う。
「あの種類のパソコンをビジネスで使うのは珍しいんですよ。私はコンピュータのことはまったくわからないんですけど、あのパソコンはデザイナーとかが使うやつで、あまり業務用向きじゃないんですよ。でも、せっかくあるものを遊ばせておくのもなんだから、大村君に相談したら、『工夫すれば業務用でも使える』と言うもんで、今回お願いしたんですよ」

 二度目の援軍だ! これなら切り出せる!

「福島さんは出版社の社長さんなんですか?」
「えー、そうですよ。小さいところですけど」
「宮城社長、だったら福島さんはそれぐらいのことはご存知ですよ。出版社はあの種類のパソコンがなければ仕事にならないんですから」
「え、そうなの。品川出版もあのパソコン使ってるの?」
「えー、使ってますよ。だけど宮城社長のおっしゃるとおり、デザインなんかするときに使いますが、あのように販売管理で使っているのを見るのは初めてですよ。マックでもやればできるんですねー」

 ついに、話が振り出しに戻ってくれた。
 今だ!
「あ、そー言えばさっき、『本を書いたら』とおっしゃってましたよね?」
 まるで思い出したかのような口振り。精一杯の演技である。

「あ、そうそう。エクセルのマクロで販売管理ができるって、これはテーマとしては面白いよ。書けば売れるよ、きっと。マックユーザーはみんな飛びつくんじゃないのかなー」
 こちらのほうは、演技でもなんでもなく、本当に思い出したかのような口振りだ。

「もし私が原稿を書いたら、目を通していただけますか?」
「いや、目を通すもなにも出版しようよ。絶対にいけるから」
 心臓が高鳴るのが手に取るようにわかる。

「わ、わかりました。さっそく戻って構想を練ってきます。そして、企画書みたいな形でお見せすればいいんですよね?」
「いや、企画書はいいから。そうだなー、とりあえず30ページぐらい書いてみてくれる。それができたら連絡頂戴よ」

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