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建築の理想を追い求めた先にあるまちづくりとは-令和建設 宮原 翔太郎-

今回インタビューをした宮原さんは、東京都生まれの31歳。広島県尾道市で行われていた空き家をリノベーションする活動に感銘を受け、自身も東京で「パーリー建築」(※)を始めました。

全国各地でパーティーをしながら空き家を改修するパーリー建築の活動は様々なメディアにも取り上げられています。現在は「令和建設」副代表として空き家のリノベーションだけではなく、まちづくりや場づくりに注力しています。

リノベーション活動を通じて様々な地方を渡り歩いてきた宮原さん。鳥取に拠点を構えたきっかけは何だったのか、パーリー建築を令和建設へと発展させた理由などについて伺いました。

(※)パーリー建築
ただ空き家を改修するのではなくその過程で地域住民や観光客など多くの人を巻き込み、人の集える場所やそのコミュニティでの生活基盤を同時に築くことを目的としています。大工仕事だけではなく、地域の方々も巻き込みながら人々が集うことを「パーティー(パーリー)」と表現し宮原さんが理想とする建築活動。

つながりの奇跡。偶然できた鳥取との縁

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(パーリー建築の拠点、喫茶ミラクル)

これまでは全国を旅しながら空き家改修の活動をされてきた宮原さん。旅をやめて、鳥取県への移住を決断した理由について教えて下さい。

宮原:「出身は東京で、以前はパーリー建築の代表として全国を旅しながら空き家を改修していました。その活動はありがたいことに数々のメディアに取材されました。

2016年頃に鳥取県鳥取市で開催されていたイベントに知人を通して講師として招かれたのが、鳥取県との最初の出会いです。

そのイベントで今でもお世話になっている方々と出会い、鳥取の方々の親しみやすい人柄に触れて、『鳥取県で暮らしたい。』と思い始めました。

言葉で上手く表現できませんが、鳥取に行くときの決心はそれまでの旅とは違っていました。

これまでの数ヶ月単位で地方を旅する生活をやめて、このまちで腰を据えて色々とやってみたいなと思ったんです。」

宮原さんは、旅を続ける中で気づいた「自分が理想に思う建築を実現できる場所」として鳥取を選んだと続けます。

宮原:「それまでは全国から依頼があれば飛んでいき、数ヶ月単位で住居を転々とする生活でした。それくらい、その土地に根付く建物をつくりたいという思いでやってきました。

ただそのなかで、数ヶ月ではその土地に根付く建物をつくるという目標が全く実現できないという現実にも直面しました。自分の建築家としての力不足ということもあるかもしれません。

それならば、もう少しゆっくり住んでまちの様子を五感で感じ、自分の目指すべき理想の建築を目指したい。

そうしたタイミングでたまたま鳥取と出会い、出会った方々の温かさに触れ、ここ鳥取県鳥取市の浜村に拠点を構えました。」

理想が現実に近づくきっかけとなったある大工との出会い

高藤様

(宮原さんに影響を与えた高藤さん)

かつてメディアにも注目されたパーリー建築ではなく、現在は令和建設として活動をされていますが、その理由を教えてください。

宮原:「パーリー建築というのは、よく団体と勘違いされるのですが、僕の中ではそれぞれの地域に根ざした空き家を改修するための手法に近いと思っています。でも、パーリー建築という名前がさも団体名であるかのように一人歩きしている感が否めませんでした。

とはいえ、これもまだまだ若輩者からみたまちづくりの理想論に過ぎません。お金もないし、技術もない。数多くの取材のおかげでパーリー建築の理想は評価はされたものの、そのブランドにまだ自分たちの能力が追いついてないという現状に少し憤りを感じていたのが正直なところです。」

パーリー建築が注目されることで感じ始めた自分自身への葛藤。そんなとき、大工・高藤さんと出会い、令和建設が立ち上がったと言います。

宮原:「そんな風に色々とパーリー建築について考えていた頃、現在一緒に令和建設として活動しているベテラン大工の高藤さんに出会いました。

自分の大工仕事に誇りを持ちながらも、それが職人の仕事としてなかなか認められていない現実を変えようとしている高藤さんの姿にすごく共感しました。

そして、高藤さんと一緒に活動することで、パーリー建築という理想がより現実的な形へと変容していく可能性を感じました。

高藤さんの”職人の仕事”を通して、理想にすぎなかったものが現実の実態として成立しました。

屋号については、全然決められなかったのですが、ちょうど元号が変わるタイミングで、その元号の名前を使おうかという話を高藤さんとしていました。

そうしたら『令和』という新元号が発表されたので、令和建設に決めました。『令和をカタカナに直すとレイワ、なんだかハワイみたいだね。』とか話しながらその時は盛り上がっていました。

令和建設はまだ法人化していませんが、ありがたいことに少しずつ仕事をもらえる状況になってます。」

これからの空き家に必要な「棟下し式」とは

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(鳥取市湖山周辺での棟下し式の様子)

新しく立ち上げられた令和建設は、これまでのパーリー建築と何が違っているのでしょうか。

宮原:「令和建設となって、大工である高藤さんのエッセンスがふんだんに加わっています。高藤さん自身は、大工という職業なので”職人の価値”を向上させたいという思いがあります。

通常は設計士からもらった図面通りの建物を大工さんがつくっていきますが、つくっている側の大工視点でないとできない設計への提案などもお客様に積極的に行っています。

パーリー建築はつくる際の思いとか、つくった建物の活用方法に対するいわば概念ですが、令和建設はそれにプラスして建物をつくっている人に対する思いが込められています。

いわゆる”業(わざ)”とか”生業(なりわい)”といわれる職人の技術を、建物を建設するという行為を通して伝え広めています。」

こうした理念を持つ令和建設が実際に手掛けた建物の具体例を教えていただきました。

宮原:「最近施工した建物でいえば、鳥取市湖山周辺の物件の敷地内にある古屋を解体するという案件です。

新築の時は、一般的に棟上げ式(※)というのを行います。木造の建物を建てる時に使う、三角屋根の一番上の建物の材料を『棟』と言いますが、伝統的に新築を建てる時には棟から餅を投げて、地域の人たちに配ります。

今空き家は、全国でも増えています。これからも増え続けていくと思いますが、そういう時代に求められるのは従来の棟上げ式でゼロからの建設を祝う行事ではなく、むしろ今ある建物にきちんとお別れをする棟下し式(※)のような行事ではないでしょうか。

持ち主からお話を聞くと、壊さなくてはいけない建物にも家族や親族の思い出が詰まっていることが多いです。

建物自身は家族の成長を見守ってくれているわけですが、解体しなくてはいけない現実がある。

だから僕たちは、建物に対して『今まで家族を支えてくれてありがとう。お疲れ様。』という気持ちを込めて、離れを解体する際に近所の人も呼んで棟下し式をやりました。

その後は解体した廃材を利用して、別の建物をつくりました。時間はかかりますが、丁寧に建物を解体して、思い出の詰まった材料を使い新しい物を作りたいという思いをクライアントに提案して実際に施工に至ったこの建物は、理想と技術が結集した令和建設らしい建築ができたと感じています。

(※)棟上げ式
竣工後も建物が無事であるよう願って行われるもので、通常、柱・棟・梁などの基本構造が完成して棟木を上げるときに行われる。

(※)棟下し式
空き家率が上昇する中、きちんと建物に別れを告げることができず廃墟同然となった建物が多く残ってしまっている現状を受け、耐震や老朽化等を理由に再利用されないまま取り壊さざるを得ない建物にお別れする式典があってもよいのではないかという考えから、「棟上げ式」に対して生まれた言葉。
(出典:棟下式

手作りの空き家で色々な人と時間を共有したい

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(現在作成中の「ハマヴィラ」イメージ写真)
宮原さんがパーリー建築から令和建設での活動を通して培った経験は、今にどう生かされているのでしょうか。

宮原:「パーリー建築の時には住む場所を転々としていたので、一つの改修が終わって地域の人から次はここもとお願いされても、次の行き先が既に決まっていたりしてなかなかその地域の方々の期待に応えることがでませんでした。

そのもどかしさから、次はまち全体が豊かになるような取り組みに熱中したいし、一つのことを形にする現場に身を置いてみたい、と思いました。

パーリー建築という活動を通して、全国の地域で見たこと、聞いたこと、知ったことなどを総動員して今の令和建設という形が生まれたとも思っています。

そんな中で、ちょうど色々な縁に恵まれて鳥取市気高町の浜村というエリアに拠点を構えることになり、いろいろな物件にも出会うことができました。

今拠点としている『喫茶ミラクル』と現在建設中の向かいの建物『ハマヴィラ』で、浜村の温泉街が再び明るくなっていく雰囲気を肌で感じられています。

パーリー建築で実現できなくて悔しかったことを、今やっているという感じですかね。」

最後にご自身の経験から、関係人口に対する宮原さんの考えを教えて下さい。

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宮原:「自身の経験から、関係人口という概念は非常に重要だと思っています。

ただ、関係人口と一言でいっても色々な人がいるわけですよね。お金のない大学生からファミリーまで。

なので、受け入れ側としても関係人口として色々な関わり方を受け入れることができれば、もっと多様な方々に鳥取と関わってもらえるチャンスが増えると思います。

それぞれの関わりしろや関わり方はその人の立場によって多種多様ですが、それぞれのニーズに応えることは自分たちの住んでいるまちが面白くなることにもつながります。

僕自身が今やっていることも、そういった自分のまちを楽しくする活動の一環だと思っています。」

宮原さんの理想の建築を求める旅。拠点を鳥取に構え、高藤さんと立ち上げた令和建設でその思いを少しずつ具体化されているようです。

宮原さんの理想を追い求める旅の行き着く先はどういった光景なのか。鳥取市浜村に訪れればその端緒が体験できるかもしれません。

令和建設 宮原 翔太郎                        1990年東京生まれ香港育ち。学生時代に文化人類学、空間デザインを学ぶ。空き家リノベーションのメッカ、広島県尾道市でゲストハウスのセルフリノベーションプロジェクトに感銘を受け、東京でパーリー建築を始める。その後日本各地で空き家に住みながら改修を行う活動を続け、現在は鳥取県鳥取市気高町浜村に拠点を構える。現在は令和建設の副代表として、県内各地で空き家の改修などを手がけている。

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