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「めんつゆひとり飯」に学ぶ、 最良の選択と守るべき行動指針について。

選択を迫られている。

noteを始めて18ヶ月、もうすぐ40記事に到達しようかとしている。そもそもはインターネット芸人に憧れたことがキッカケで始めているので、バズってインフルエンサーになろう!とか、フォロワー1万人を目指そう!とか、世界平和を実現しよう!とか、そういった上昇志向は残念ながら持ち合わせていない。


上昇志向は持ち合わせていないが、それでも自分が書いた記事が読まれることは嬉しい。フォロワー数やPV数のように分かりやすい指標があると、次も頑張ろうとか、今回は良くなかったな、など内省のキッカケにもなる。

会社の報告書にも、PV数を見れるようにしたら意外と良い効果があるかもしれない。もっとも、noteとは比べ物にならないほど時間もお金もかかっている割に、PV数が1/100程度であることが見える化されてゲンナリするだけかもしれないが。


兎にも角にも、低燃費志向で続けているnoteであるが、なんとなく行き詰まりを感じている。

毎回、マンガをタネにしながら気になった表現や感想を、他の書籍の力も借りつつ自分なりに纏めているつもりなのだが、結論が毎回似通っているため、読み返しため息をつくことが増えてきている。

しかも私の場合、結論に救いがない事が多い。タイトルからして、ネガティブな香りが滲み出している。


こればかりは書いている人間がそういう人なのだから、しょうがないと思うより他ない。メタ認知の暴走に効くお薬が開発されるのを待つばかりである。

とはいえ、毎回似たような展開になってしまうのはどうなんだと、少しずつ構成を変えてみたり、あるいは全くマンガに関係ない記事を書いてみたりした。先月書いたNUMBER GIRLの記事がそれだ。

個人的にはチャレンジであったが、あまり手応えはなく、むしろ書いた後にめちゃくちゃ恥ずかしくなって、ひとり悶絶してしまった。オタク語りは思ったより心にダメージを負う。またひとつ学びを得てしまった。


こうして、ぼんやりとした行き詰まりを感じながら、なんとなく書けない日々がしばらく続いている。このままフェードアウトしてしまっても良いのかもしれない。広大無辺なインターネットの海で、小魚が一匹息絶えたとて、気にする人は誰もいないだろう。

ただ、アウトプットすることの面白さを多少なりとも感じていることもあり、少々もったいないと思う気持ちもある。

世のクリエイターは行き詰まりを感じた時、どのように乗り越えているのだろう。彼らはどんな選択をしているのだろうか。




なぜ"めんつゆ"に勝負を賭けたのか

ある日、Kindleセールを眺めていると、一皮目を引くタイトルのマンガを見つけてしまった。それが『めんつゆひとり飯』である。

会社員の面堂露めんどうつゆは超がつくめんどうくさがり。帰宅後の料理にも手間はかけたくありません。でも美味しいものは食べたい!そこで魔法の万能調味料登場!楽チンでごきげんなめんつゆ料理を召し上がれ♪

『めんつゆひとり飯』Amazon紹介文より引用



マンガ業界におけるグルメは一大勢力だ。少年誌であっても料理を題材としたマンガが連載されることは珍しくない。その内容についても様々で、ある意味やり尽くされている感はある。

特定のジャンルに特化したものも珍しくなく、思いつくだけでも、ラーメン・カレー・寿司といった主要なジャンルから、居酒屋グルメにお取り寄せ、果ては駄菓子まで手広く網羅されている。

そんな激戦区のグルメマンガの中で、なぜめんつゆを選んでしまったのか。もっと他にあったのでは??と思わずにはいられない。先に述べたような特定の料理ですらない、まさかの調味料特化マンガである。

しかも種類にすらこだわらない:『めんつゆひとり飯』1巻より引用 瀬戸みづき著



めんつゆに作家生命を賭けるほどのポテンシャルがあるのかは私には分かりかねるが、醤油とか砂糖とか調味料に特化したマンガがこの世にないことから、著者が一線を画する選択をしたことは確かだ。もし本作が成功したら、後追いで「マジックソルトひとり飯」なんてマンガが連載される可能性すらある。



ここは私も賭けるべきなのかもしれない。
ざっと検索したが、調味料に特化したnoteは存在しなかった。私同様、どうやら誰も気づいていないようだ。めんつゆのポテンシャルに。

これまで感じていた行き詰まりを打破するために、これよりは調味料特化noteとして生まれ変わる選択をするとしよう!まずはめんつゆのポテンシャルを理解するために、作中の料理を再現する。「まだまだ冷える春先に春キャベツのほっこりミルクスープ」を!

オチているのかどうかすら私にはわからない:『めんつゆひとり飯』1巻より引用 瀬戸みづき著



中央に鎮座するのが「まだまだ(中略)スープ

作り方
・希釈しためんつゆでキャベツとツナを煮る
・めんつゆと同量のミルクを入れ、温める

『めんつゆひとり飯』1巻より抜粋 瀬戸みづき著


うん……なんだろう……すごく簡単にできし普通に美味いんだけど、めちゃくちゃ地味だ。

『めんつゆひとり飯』の主張としても、めんつゆは手軽に時短できる万能調味料として描かれているのだから、何一つ間違っていない。しかし、この主張一本で何本もnoteを量産できる自信がない。
著者の胆力をヒシヒシと感じる結果となってしまった。

それにしても、これみよがしに並行して作ったガーリックステーキライスの圧倒的主役感よ。きっと著者は、編集から「めんつゆ?めんつゆを題材にマンガを?しかも連載を狙うんですか?正気ですか???」と何度も問われたに違いない。



選択に後悔はつきもの

”調味料特化noteとして生きていく”という選択は、少なくとも私には間違っていたようだ。これからどう続けていこうかと行き詰まっていたのに、新しく選んだ道では、一歩も動けそうになかった。

ここはいつもどおり、本の力に頼るしかない。

手始めにKindle unlimitedで「選択」と検索したところ、サジェストされたのが『後悔しない超選択術』、ご存じDaiGoさんの著書だ。


なにかと話題の著者なので、なんとなく読む前から後悔しそうだなという予感があったのだが、Kindleのサジェストを信じて手に取ることにした。

したのだが……データが異常に重い。

普段はサクサク動くので違和感を感じつつページをめくっていると、あることに気づき愕然とした。全てのページが文字データではなく画像データなのだ。

そのせいでファイルは激重、表示を両開きに設定しようものなら片側のページが表示されず、気になる部分のハイライトすらままならない。なぜ素直に文字データとして取り扱わないのか不思議でしょうがなかったのだが、本文中にやたら図が多かったので、きっと画像の方が都合がよかったのだろう。


肝心の内容は、正しい選択肢は誰にもわからないのだから、せめて後悔しないように備えよう、といった感じの主張であった。凡庸。

未来に何が起こるか誰にもわからない以上、選択に正解はありません。あるのはベターな選択。あらゆる選択においてベターを見抜く力を養うことが、本書を追求していく「後悔しないための選択術」なのです。

『後悔しない超選択術』より引用 DAIGO著



備えの内容についても、だいたい他の本で読んだことがある内容であったと思う。巻末に参考文献の記載があるのだが、どのページのどのパートを引用しているのかが一切書いてないので、確認はしてないが。大学生が卒論とかでよくやるやつ、である。

あと、たまに出てくる統計データが著者のニコニコチャンネルとかTwitter調べで笑ってしまった。ここだけ引用が明確に記載されているのもズルい。
「後悔しない超選択術」というタイトルではあったが、この本を読むという選択には、後悔しかなかった。

笑っちゃう:『後悔しない超選択術』より引用 DaiGo著



「からの自由」と「する自由」

正解の選択肢などないことは分かったが、さすがにもう少しまともな……じゃない、もう少し根拠文献がしっかり明示されている書籍が読みたいなと思い、手に取ったのが『選択の科学』だ。


ご存知、ジャムの本である。

数時間ごとに、試食に供するジャムの種類を、大きな品揃えと小さな品揃えとで入れ替えた。(中略)6種類の試食に立ち寄った客のうち、ジャムを購入したのは30%だったが、24種類の試食の場合、実際にジャムを購入したのは、試食客のわずか3%だったのだ。大きな品揃えの方が、買い物客のの注目を集めた。それなのに、実際にジャムを購入した客の人数は、小さな品揃えの方が6倍以上も多かったのである。

『選択の科学』より引用 シーナ・アイエンガー著


あちこちで引用されまくっている話なので、いまさら読まなくても良いかなと思っていたのだが、ジャム以外の話も興味深いものが多く、また『ファスト&スロー』や『予想通りに不合理』,『スイッチ!』など、これまで読んできた書籍が引用されている部分も多く、点と点がつながる感覚が心地よかった。(全て行動経済学というところがアレだが……)


特に興味深かったのが「からの自由」と「する自由」という2つの概念だ。

元々は心理学者であり社会理論家のエーリッヒ・フロムが、自著の中で説明した概念だそうだ。エーリッヒ・フロムといえば、以前の記事でも引用した『愛するということ』が個人的には印象深い。ここでもコネクティングザドッツみを感じる事ができた。

以下に「からの自由」と「する自由」を大雑把に要約する。

「からの自由」
・人間を抑えつける政治的,経済的,精神的束縛からの自由を指す
・何を目指しても妨害されない状態
・ただし競争世界のため、得られる人と持たない人が生まれる

「する自由」
・十分な生活水準を獲得する自由を指す
・結果が平等に保証された状態
・持たない人に分け与える資源を誰かが負担しなければならない

『選択の科学』より要約 シーナ・アイエンガー著


「からの自由」と「する自由」


何かを選択する時、私達は自らの意思によって選択しているように見えて、実は様々なもの影響を受けている。それは経験則(ヒューリスティック)であったり、提示される方法(フレーミング)であったり、確認バイアスであったりと、多種多様だ。

そして選択は、私達が育った環境にも影響を受けている。

「からの自由」や「する自由」といった概念にあるように、資本主義の中でも特に個人主義的な考えが尊重される環境に身を置いていれば、人間を抑えつけるような選択肢は選ばないだろうし、社会主義や集団主義的な考えが重要視される環境に身を置いていれば、機会の均等が多くなる選択肢を優先するだろう。

人が人生にどれだけの自己決定感を持っているかは、環境に依存する。つまり、その人がどれだけ個人主義的または集団主義的な環境に身を置いてきたかによって、認識が変わる。

『選択の科学』より引用 シーナ・アイエンガー著


これら2つの概念はゼロサムゲームではないので、理想的にはバランスを取るべきである。しかし、どのような選択をする時であっても、どれだけバランスを取るように気をつけていても、私達はこれら影響からは逃れられない。



成功しやすいという魔境

個人主義の重要性が認識されて始めてきたとはいえ、日本ではどう考えても集団主義的な思想が根強い。

仮に"選択肢は少ないが、誰もが同じようにそれを持てる世界"と、"選択肢は多いが、持てる人と持たざる人がいる世界"のどちらを選ぶかと言われれば、最初の世界に住みたいと答える人が多いだろう。私達は育った環境から、どうしても平等と安定を尊ぶ「する自由」が多い選択肢に惹かれる


安定した視聴率を得るために、グルメや動物のコーナーが頻発するテレビ番組のように、どの分野でもある程度成功しやすいジャンルは存在する。

例えばnote。手っ取り早くPV数やフォロワー数を増やしたければ、毎日更新しながらbioにフォロバ100と書き、無差別にフォローとスキボタンを押し続ければ良い。たまに意識高い系や、ちょっとした成功体験の記事を書けば完璧だ。

そうすることで、ある程度のPV数は稼げる。月間PV○○万達成!とか書きたければ、このような十分な水準の会得が確立された道を選ぶべきだろう。


ただ、個人的には虚しさを感じる。

似たりよったりのジャンルや内容、極端な例をあげれば無の内容で、そこそこの評価を得る。何も悪いことはないし、私達に選択の自由があるのだから、非難されることでもない。

しかし、クリエイターの世界においては、必ずしも正解の選択肢ではないと思う。門外漢な私が何をエラそうにと思うが、凡庸な内容を量産して成果を得る人よりも、思いもしない視点や切り口、あるいは卓越した能力によって、コンテンツを作り上げる人に私は惹かれる。

『めんつゆひとり飯』のように、どんなジャンルで勝負しても良い。ただし、その先に待つのは競争社会であり、得るものと得られないものが存在する。とても厳しいが、クリエイターの世界では「からの自由」が選ばれて欲しいと願う。



描け

読めば毎回泣くマンガがある。東村アキコ先生の自伝エッセイマンガ、『かくかくしかじか』だ。

林明子は、宮崎県の片隅で伸び伸びと育ち、自分は絵の天才だと思い込みながら少女漫画家になることを夢見ていた。(中略)しかし、講師であり自らも画家の日高健三に、それまでの自信と天才との思い込みを粉々に打ち砕かれ、待っていたのは竹刀とアイアンクローのスパルタ指導。そして、厳しくも優しい恩師・日高先生と、調子者のミラクルガール・明子が、ときに反発しながら二人三脚で美大合格を目指す。

『かくかくしかじか』Wikipediaより引用


本当に個人的な感想だが、この作品には「からの自由」を選択した人たちが守るべき行動指針が描かれていると思っている。それは続けることだ。


ヒトは楽な道を選びたがる。近道があればそちらに進みたいし、ノウハウや傾向があれば知っておきたい。出来るなら、それだけで何事も乗り切りたいという気持ちが沸々と湧き上がり、地道な努力をつい怠ってしまう。

本作の主人公も同様だった。若さゆえの万能感と時に訪れる孤独感に振り回されて、自分がすべき道を見失い、「描きたいものが見つからない」と足を止めるという、楽な選択をしていた。


そんな時、主人公や生徒達に道を示してくれていたのが、絵画教室の先生だった。彼は徹頭徹尾、言い続けていた。

「描け」、「描け」、「描け」と。

少し泣く:『かくかくしかじか』5巻より引用 東村アキコ著



悩み、行き詰まり、自分を見失いそうになった時、もし自分を支えてくれるものがあれば、どんなに有難いかと思うことがある。
しかし、そんな大切なものは簡単には手に入らない。長く続けなければ自分を支える自信にならず、習慣にならなければツライ時に行動出来ないのだから、結局は地道に続けること以外に、支えを得る方法はない。

本作で私の心に突き刺さった下記の言葉は、「からの自由」を選択した人たちにも共通するはずだと思っている。

絵をやる人間にモラトリアム期間なんて必要ない

『かくかくしかじか』5巻より引用 東村アキコ著



まとめ

私たちには正解の選択肢は分からないし、自分で選んだと信じている選択肢であっても、結局は環境や経験などに影響を受けてしまっているのだから、いつも最良の選択をすることは、到底不可能であるように思える。
そんな中で、競争社会で生きることを選択した私たちには、ふと行き詰まりを感じることもあるだろう。

そんな時には、過去の選択を悔やむより、「続ける」という行動指針に則り、黙々と前に進む選択をすることが望ましいと私は思う。

前に突き進む行為はいつもツライが、地味で厳しい道を選択する勇気が、私たちには必要なのだ。そう思い、何事も踏ん張りたい。


ちなみに、私のように安易にノウハウを求めると、Kindle unlimitedのリコメンドがDaiGoさんで埋まることになるから要注意だ。一冊パラパラしただけじゃないですか……Amazonさん……。

それでは。

(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』


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