「UQ HOLDER!」に学ぶ、人生の短さの割に、愛を知ることは無理ゲー。
1ヶ月ぶりの更新である。
これまで、なんとなく隔週を目標に更新をしていたのだが、この3月は仕事にプライベートにと忙しく、本もマンガもあまり読むことが出来なかった。断じて、エルデンリングをやっていたわけではない。
毎年のことではあるが、会社員にとって3月ほどイヤな時期はない。年度の成果を報告し、来年度の目標を宣言し、予算を獲得しなければならないこの時期は、穏やかな陽気の訪れとは裏腹に、背筋を簡単に冷たくしてしまう。
進捗が順調であれば問題ないのだが、未達の時などは胃が爆発してしまう思いだ。
それでも今年はスムーズに終えることが出来そうだ。これはチームメンバーの働きによるところが大きく、毎度のことながら本当に感謝しかない。メンバーが優秀ならばマネージャーの仕事なんて、たかが知れている。仮にエルデンリングに夢中になったとしても、なんら問題はないのだ。仮にね。
とはいえ長いスパンの仕事を受け持つ身なので、今年度を無事に乗り切れたとしても、この先はどうなるか全く予想がつかない。長い物語を綴り続ける難しさは、キャリアを重ねる中で段々と身にしみている。
前作の連載開始から、おおよそ20年。長きに渡る物語を無事に着地させた『UQ HOLDER!』の作者、赤松先生には頭が下がる思いだ。
四つ巴の戦い、そして決着
『UQ HOLDER!』が完結した。前作『魔法先生ネギま!』から物語を引き継ぎ、以前は消化不良であったラスボスとの戦いに終止符を打った。
終盤、やや駆け足だった感は否めないが、綺麗に風呂敷を畳んだ作者の技量は流石だと思う。長文の解説でお茶を濁したところもあるのだが、そこはもはや伝統芸である。
赤松先生は、22年7月の衆議院選挙に出馬する予定のようで、しばらく彼の新作を拝めることは叶わないだろう。長年、著作権に関連する活動を粘り強く行われていたので、新たな挑戦を陰ながら応援したいと思う。
最終巻では、これまでの仲間たちが総動員で登場し、ラスボスと大バトルを繰り広げるというアベンジャーズみたいな展開であった。こうなってしまうと予定調和が破壊されることは決してない。だがそこがいい。ベタな展開が必ずしも悪いということはないと私は思う。
前作の主人公パーティが登場したところなどは、昔からの読者はきっと気分がアガっただろう。
ということで、主人公たちの戦いは無事に幕を閉じたのだが、忘れてはならないことがひとつある。Wikipediaにはファンタジーバトル漫画と銘打たれている本作ではあるが、赤松先生がどのようにして財を成したかを知らぬものはいないだろう。
そう、ラブコメだ。
初連載の『A・Iがとまらない!』で、フロッピーディスクの時代にバーチャルアイドルをヒロインとした、近代ラブコメの始祖のような彼の作品に、ラブコメの要素が入っていない訳がない。
本作では4人のヒロインによる、主人公争奪戦が繰り広げられている。その中でも、特に私が推していた桜雨キリヱが一歩優勢のまま物語は進んでいたのだが、26巻にて主人公がキリヱを含む3名のヒロインと合一体験をするという暴挙を行ったと、以前の記事で紹介した。
本作をラブコメとして楽しんでいる私にとっては、約20年待たせられたラスボスとの決着よりも、4人のうち誰とハッピーエンドを迎えるかのほうが大事なので、是が非でもヒロイン対決の結末を見届けたいと思っていた。
3名との劇的な合一体験の後、彼らはそのままラスボス戦に突入してしまったので、これはもう有耶無耶にされて終わりかなと半ば諦めていたのだが、最終話にてキッチリと結末が描かれていた。ありがてぇ。
エッチだってしたのにふざけんなよ!
迎えた最終話。『塔の上のラプンツェル』を彷彿とさせる美しいシーンを背景に、主人公が愛を誓ったヒロインは、ただひとり合一体験をしていなかったエヴァンジェリンであった。
・・・
おい、待て。
いやいやいや、え? え!?
いや分かるよ!?
エヴァンジェリンとは記憶を無くしていたころからの付き合いだし、母のようであり、姉のようであり、ひとりの女の子のようでありと、主人公が彼女に複雑な思いを長年、それこそ不死者なので一万年単位で募らせていたことは知っているよ?(早口)
でも、あの合一体験はどうした!? 合一体験は!!!!????
キリヱなんて、20回以上(推定)も合一体験していた筈なのに、意味がわからない。この時ほど、元AKBアイドルの有名なセリフを「言葉」ではなく「心」で理解できたことはない。
愛は技術
20回以上の劇的な合一体験を経てでも、キリヱたちは主人公から選ばれることはなく、また愛されることもなかった。……果たして、本当にそうなのだろうか?
愛するとは、なんなのだろうか?
これまでボーッと生きてきた私は、答える術を持ち合わせていない。こんな時には、セネカの言葉が延々と脳内リピートされる。私のような哀れな大衆が愛を語るには、人生はあまりにも短い。
このように凡人の頭めがけて金属バットをフルスイングしてくるセネカではあるが、実はヒントを与えてくれていたりもする。過去の哲人から学べ、英知を手にしろと。
確かに私が、からっぽの自尊心を満たそうと、からっぽの脳みそがひねり出したダメ仮説を提唱しても、九分九厘の人には意味がないことは自明であるのだから、セネカのアドバイスは妥当であると思える。
ただ言い方がキツイ。大衆はもっと優しくして欲しいということも、ちょっぴり分かって欲しい。
ということで、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読んだ。
本書は愛は技術であるという前提の基に、愛するための知識と努力する術を教えてくれる良本であった。
良本ではあるのだが、後半は現代資本主義社会に生きる人間の多くを、成熟した愛を知らぬ阻害されたロボットと力説しており、「大丈夫?ゆたぼんみたいなこと言ってない?」と、なんとも言えない気持ちになった。
愛の四大行
愛は技術であるならば、その性質を知るところから始める必要がある。そもそも、なぜ人は愛を欲しているだろうか?
フロムは、理性を授けられた人間は、自分の力ではどうすることもできない事実に翻弄される存在であることを知っているが故に、どうしようもない孤立感を常に感じているとし、この孤立感を埋めるために、愛を欲しているのだと主張している。
『UQ HOLDER!』の主人公やヒロインたちは不死者なので、自分自身の死という恐怖からは解放されている。しかし、愛する人との別れについては、私達とは比べ物ほど経験しなければならない筈だ。そういった意味では、不死者は私達よりも愛を欲している存在だと理解することが出来る。
こうした孤立感を埋める方法は様々だ。集団との同調によって1人ではないと思い込んだり、創作活動によって孤独を忘れたり、合一体験によって熱狂したりと、色々な方法がある。
そう、人は合一体験によって孤独を忘れることができる。しかしそれは一瞬のことで、孤立感を消し去ってくれはしない。永遠に孤立感を埋めるには成熟した愛が必要なのだ。
成熟した愛とは能動的であるそうだ。現代には愛されるためのコンテンツが数多く蔓延っているが、このような受動的な愛は成熟した愛ではないとフロムは主張する。愛されコンテンツ全否定オジサンである。
成熟した愛には4つの性質が含まれている……と、なんとなく固い話が続いてしまっているが、だいたいHUNTER×HUNTERと同じなので楽に聞いてもらえれば良い。念能力の四大行は纏・絶・錬・発だが、愛の四大行は配慮・責任・尊敬・知(理解)という訳だ。
愛には、愛する者の生命と成長を積極的に気にかける配慮が必要であり、配慮をするためには責任が必要であり、また相手を尊敬していなければならない。そして、尊敬をするためには相手や自分、ひいては私達に影響を与える世界を知る必要がある、といった理屈だ。
ひとつひとつが大変であることは言うまでもないが、特に理解することの難易度がエゲツない。相手や自分のことを知るだけでも手一杯なのに、相手を通じて世界を理解しなければならないだなんて、短い人生の中でたどり着ける人間がどれほどいるのだろうか。
しかし彼らは不死者である。幸か不幸か、彼らに時間の制限はない。
ひとりを愛することだけが、愛ではない
世界を救った後、主人公はエヴァンジェリンと再開するまでに一万年の時を過ごした。不死者である彼は、その間に多くの別れを経験したことだろう。そのうちの1人がキリヱだ。
ラスボス戦の前に不死者としての能力を失ったキリヱは、一万年の間に帰らぬ人となってしまった。しかし彼女と過ごした思い出、彼女の人生を幸せなものにしてあげられた経験が、彼を支える一番の誇りとなったと最終話で語られている。キリヱ派の私が報われた瞬間である。
主人公はキリヱの生命と尊厳に、配慮し、責任を持ち、尊敬し、そして彼女を通じて世界を知ったのだろう。一万年の時を経て、成熟した愛を知った主人公はエヴァンジェリンに愛を告白した。
しかし、これはキリヱを含めた他のヒロインを切り捨てた行動ではない。主人公にとってエヴァンジェリンは唯一無二の存在であることは間違いないが、彼女は世界の一者の一部であるのだから、彼は彼女が存在する世界の全てを愛しているということになる。
このフロムの三段論法はややこしいが、実際、エヴァンジェリンと結ばれた主人公は、他のヒロインとも仲良くやっていくと思われる記述がある。これこそが、真のハーレムエンドといった趣がある。
これは軽薄な愛とは一線を画するものである。彼の愛は前述の四大行に則したものであり、愛の永遠を決意し、決断し、約束したものなのだから。
まとめ
不死者と違って私達の命は短い。主人公が到達した成熟した愛を知ることは、無理ゲーとしか思うことが出来ない。ラブコメのハードルが上がりすぎるし、私達の日常生活にも影響を及ぼしそうである。
それでも私達は愛することを止められない。
妻や子供、両親や友達、私達とかかわりのある全てに対して、愛すると決意し、決断し、約束することで、私達の孤独感は初めて埋まるのかもしれない。世界を愛するハードルはとんでもなく高いが、愛するという決意表明は、私達にも出来ることなのだから。
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エルデンリングも同様である。
高難易度といわれるゲームではあるが、何度でも挑戦する,諦めないといった決意の気持ちを持つことが、攻略の鍵だと思われる。
みんなでエルデンリングをやろう!
それでは!
(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』)
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