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「税金で買った本」に学ぶ、どんなに技術が進歩しても結局僕らは分かりあえない。

『死体格差』という本を読んだ。


法医学解剖医である著者が、長年に渡る解剖経験から社会における格差を語るといった内容で、これが非常に面白かった。著者の個人的な感想に留まらず、統計的なデータも交えて語られる「異常死と格差の関係」は、真摯に学問を通じて導き出された一つの結論なのだと、心に深く残るものであった。

また異常死にまつわる解剖の話ひとつひとつが全く知らないことばかりで、とても興味深かった。特に印象深かったのが、青酸中毒死にまつわる話であった。

青酸カリ!:『名探偵コナン』7巻より引用 青山剛昌 著



数ある薬毒物中毒の中でもトップクラスの知名度を誇るのが青酸中毒だろう。化学に疎い人であっても、青酸化合物=なんかヤバそうという認識は持っていると思う。

それゆえに青酸中毒死の特定は容易なのだろうと私は認識していた。長い歴史の中で何人もの犠牲者が出ているのだから、当然対策は講じられているはず、という思考だ。
しかし現実には、青酸化合物を用いた痛ましい事件が今もなお起きている。なぜ原因の特定がされず、複数の犠牲者を生んでしまったのだろうか?


著者は本著の中で、血中や尿などの体液から青酸化合物を検出する技術や検査方法はあるが、ルーティンで行われるものではないため、解剖医が青酸中毒を疑わなければ、そもそも実施されないことから、診断が難しいと述べている。

だが、「青酸中毒」と診断を下すことは非常に難しい。通常、青酸を検出するための薬物検査は、青酸中毒を疑わなければ実施しない、極めて特殊な検査なのだ。昭和の中頃までは工業用にもちいられる青酸化合物があちこちで手に入ったため、自殺の手段としてよく用いられたと聞く。だが、現在ではほとんど自殺に使われることはなく、私自身も過去に1例も青酸中毒で死亡した遺体を解剖した経験はない。なんらかの疑いを持って、”わざわざ”調べなければ青酸中毒と診断できないのが実情だ。

『死体格差』より引用 西尾元 著


法医学解剖医は、死因特定のために様々な検査を行うそうだ。例えば覚醒剤や睡眠薬の成分は、質量分析器やガスクロマトグラフィーによって定性される。しかしながら、これら1000万円以上する装置が全ての法医学教室に設置されているはずもなく、必要になった時だけ外部委託することもあるだろう。

手段があっても使わなければ意味がない。そして使うか否かを判断するのは人である。

含蓄のある話だなぁと感心していた時、ふと全く関係ないマンガのことを思い出した。それが『税金で買った本』である。



図書館はすごいと思いました。

ヤングマガジンで連載中の『税金で買った本』。異様に目を引くタイトルにつられて購入したのだが、これもまた丁寧に作られた良作であった。まだ既刊1冊なのだが、今後も追い続けたい。

『死体格差』といい、最近は本との巡り合わせが良い。後は仕事さえなければ完璧なのに。

小学生ぶりに図書館に訪れたヤンキーな石平くん。その図書館で働く早瀬丸さんと白井くんに10年前借りた本を返却していないことを指摘される。その指摘をきっかけに図書館に通うようになるどころか働くことになる石平くんの図書館お仕事漫画。

『税金で買った本』あらすじ より引用 ヤンマガWeb


私事だが、noteを始めてから図書館の利用頻度が激増した。これまで過去10年で5冊くらい借りたかなぁ程度の利用頻度だったが、今は周辺の主要な図書館から日常的に書籍を取り寄せて読むようになった。利用者カードも恐らく6館分くらいある。影響を受ければ人間変わるものだと感慨深い。

図書館を頻繁に利用するようになって気づいたことは、図書館はすごいということだ。
小学校入学したてくらいの語彙力で申し訳ないが、とにかく図書館はすごい。それこそ、税金を払っているのに利用しないのはもったいなさ過ぎる。


昨年、読みたいなと思った書籍をAmazonで検索したところ、発売が80年代・値段が5000円超えと、ちょっとした興味では手の出せない部類の本であった。専門書の類は、こういう目に合うことが本当に多い。
なんとかならないかとダメ元で近隣の図書館のホームページを検索したところ、なんとあっさり見つかり、さらに近所の公民館に併設されている図書室まで届けてくれるサービスが利用出来た。

ほとんどの図書館はHPから書庫にある本まで検索出来るし、他の図書館から取り寄せ出来るエリアも思っている以上に広い。
わざわざ足を伸ばさなくても、専門書からおっぱいの歴史本まで、読みたい本を容易に手にすることが出来る。制限付きのβ版Amazonみたいだ。

更に良いところは、意気揚々と借りた本が面白くない時でもダメージが少ないことにある。
仮に5000円の本を買ったとして、その本が全く面白くなかった時、私の心と懐に負うダメージは測りし得ない。しかし図書館なら値段を気にせず、パラパラ読む程度で問題ない。サッサと返却するだけだ。


税金でこんな便利なサービスが受けられるなんて有益な情報、もっと早くに知りたかった。この悲劇を繰り返さないためにも、

「図書館のこと、ちゃんと利用していますか?実はあなたの生活の質を驚くほど改善する可能性を秘めています。詳細はプロフ

とTwitterでお知らせするアカウントを作成したい気持ちになった。バズらなそうだしウザいけど。

税金の元を取る!!!:『税金で買った本』より引用 原作 ずいの,著 糸山冏



客観的データを得るということ

うっかり図書館の話ばかりをしてしまった。話を『税金で買った本』に戻したい。
働く人の視点からみた図書館の面白エピソードが本作のアイデンティティなのだが、今回取り上げたいのが、利用者から返された本がクサかったというエピソードだ。


返却された本からの強烈な悪臭を確認した主人公たちは、利用者に本の弁償をお願いするもクサくないと言い切られてしまう。
押し問答の末、1ヶ月ニオイがとれるか様子を見ることとなった主人公たちは、本のクサさを分かってもらうためにはどうすれば良いかを考え始める。悪臭の証拠を客観的に示さなければ、利用者と分かりあうことは出来ない。

分かりあえない二人:『税金で買った本』より引用 原作 ずいの,著 糸山冏



この話を読んだ時に、私の頭の中に過去の記憶がフラッシュバックした。(もちろん、以下フィクションなので安心して欲しい

大学時代、私は化学系の研究室に所属していた。とある目的で有機化合物を合成していたのだが、中間化合物がめちゃくちゃクサいというしょうもない問題に直面し、教授と議論することになった。

教授「君の合成物、なんでこんなに臭いの?」
私「(ひどい言われようだな!)多分×××反応でできた副生成物が原因だと思います」
教授「うーん、原因物質特定してみなよ」
私「えっ、でも精製すれば無くなりますよ?」
教授「でもニオイ酷いよ、特定して報告してね」
私「えぇ…」

私の記憶より(フィクション)


こんな感じで、私は必要性を全く感じないまま、教授からのニオイ分析しておいてという雑なミッションに臨むこととなった。ちなみに次工程で原因物質は取り除かれるので、ニオイ分析の必要は全くない(今となっては、教育が目的だったのかもしれないが)。

さて、私達が化合物の定性評価を試みる場合、先の『死体格差』にも書かれていたように、まずはクロマトグラフィーによって複数の化合物を分離し収集することが必要となる。

クロマトグラフィーは、固定相(または担体)と呼ばれる物質の表面あるいは内部を、移動相と呼ばれる物質が通過する過程で物質が分離されていく。固定相には固体または液体が用いられ、固体のものは SC (solid chromatography) 、液体のものは LC (liquid chromatography)と呼ばれる。移動相には気体、液体、超臨界流体の三種類が存在し、順に、ガスクロマトグラフィー、液体クロマトグラフィー、超臨界流体クロマトグラフィーと呼ぶ。

『クロマトグラフィー』Wikipediaより引用


クロマトによって分離・収集した化合物にNMRや質量分析を行うことで、どのような化合物が含まれているかが定性できる。世の技術とは凄いもので、液体クロマトグラフィーやガスクロマトグラフィーで分離した成分を、そのまま質量分析をすることが出来るLC/MSやGC/MSといった便利な装置もある。

しかしニオイ分析が目的となると、LC/MSやGC/MSだけでは役不足である。これらの装置は化合物の定性評価は行えるが、定性された成分のニオイまでは分からない。装置はクサいと言ってくれないのだ。
ではニオイ分析はどのようにすればよいか?下記を参照されたい。

ニオイ分析GC/MSの様子:『近江オドエアーサービス株式会社』HPより引用



お分かり頂けただろうか?

ガスクロマトグラフィーで分離した成分を質量分析すると同時に、人が直接ニオイを嗅いで判定するのである。この操作を同時に行うことで、定性された成分と匂いを結びつけることができる。
加えてニオイの判定にも訓練が必要である。上記画像を引用させて頂いた会社様も、国家資格である臭気判定士が測定にあたるそうだ。

技術革新はめざましいが、匂いや痛みなどの感応的な反応を客観的なデータに落とし込むことは容易ではない。嗅ぐしかないのだ。

原始的方法が正解:『税金で買った本』より引用 原作 ずいの,著 糸山冏



データがあっても分かりあえない

前述したとおりニオイ分析は容易ではない。そもそも私の研究室にGC/MSすらないのだから、教授からの宿題は、お手上げのミッションであった。

とはいえ課題をそのまま放置することは忍ばれる。その後、コネと予算でなんやかんやして、どうにか継ぎ接ぎだらけの分析結果を得ることが出来た。定性した物質のニオイについては、文献を引用してお茶を濁しつつ教授への報告を行うこととなった。

私「……ということで、恐らくこの副生成物がニオイの原因かと」
教授「どれくらいの量含まれていたの?」
私「どうですかね……微量だとは思います」
教授「それだけで、あんな悪臭がするかなぁ」
私「文献にはキャベツが腐ったような匂いってありますから」
教授「キャベツ

私の記憶より(フィクション)


解析データも示しつつ説明したのだが、教授にはあまり納得感がなかったようで、他のアプローチも含めて追加検討をする流れとなってしまった。

ダメかぁ〜と私がうなだれていると、一緒に聞いていた研究室の先輩が「でもマスクしてるとあんまり気にならないですよ」と謎の助け舟を出してくれた。すると教授は「ならいっか」とあっさり引き下がり、私の匂い分析は幕を閉じることとなった。

分析する必要あったのかなぁ……。

ならいっか☆


この件に関して、教授と私は最後まで分かり合うことが出来なかった。大した問題ではないからスルーという妥協点に落ち着いただけだ。
では、仮に継ぎ接ぎだらけのデータではなく、客観的に正しいデータがあったなら、教授と私は分かりあえたのだろうか。

私の答えはNoだ。



ガチガチの先入観を壊すには

ずっと読みたかった書籍を図書館で借りることが出来た。昆虫博士になるために、そしてバッタに服を喰われるために、モーリタニアでバッタの研究に従事した著者が綴った『バッタを倒しにアフリカへ』である。

本書にて、モーリタニアの同僚たちに日本での研究成果を報告したが、価値を理解してもらえず苦悩した様子が書かれていた。論文に載る程のエビデンスを提示しても、分かりあえなかった事例である。

もう一人の職員のコメントは残念ながら私の研究を見下したものだった。「お前なんかにサバクトビバッタの研究ができるものか」という態度がありありと滲み出ていた。もちろん私は大した実績もなく、ましてや若造だが、少なくともこれまでしてきた研究の一部は、極めて重要な発見だという自負はあった。「こんな面白い研究をしてきたのか」という称賛を密かに期待していただけに、がっかりした。彼は50年前の知見を信じ込んでおり、それを覆した最新の知見を説明しても納得してもらえず、議論にならない。

『バッタを倒しにアフリカへ』より引用 前野ウルド浩太郎 著



大規模なコホート研究の結果があろうが、専門家資格を持ち合わせていようが、客観的な真実よりも個人の経験(もっと酷い場合は陰謀論のようなもの)を信じ込んでしまう例を、私たちはここ数年でウンザリするほど目の当たりにしてきた。
どんなに技術が進歩しても、私たちは分かり合うことが出来ない。

ヒトは世界を単純に捉えすぎており、また統計的データを正しく理解することが恐ろしく苦手だという『ファスト&スロー』の主張は的を得ているように思える。


単純な世界を構築するために作られた誤った先入観をぶち壊すには、客観的に正しい理屈で訴えかけるよりも、主観的な感情を揺さぶった方が有効な場合が多いと私は思う。
『バッタを倒しにアフリカへ』の著者は、現地でのフィールドワークを繰り返したり、時に調査部隊にヤギを賄賂として送ることで信頼を勝ち得た。デスクワークだけでは決して得られない結果だ。


『税金で買った本』のクサイ本エピソードでは、長年の友人からニオイを指摘されショックを受けた利用者が、悪臭の原因であった汚部屋を掃除し環境を変えた時に、初めて本の悪臭に気づくことが出来た。

くせぇ!:『税金で買った本』より引用 原作 ずいの,著 糸山冏



まとめ

正しい理屈だけで分かりあうことが出来ない現実は、エンジニアとしては納得がいかない側面もある。しかし、このような傾向は特定の人だけに見られる訳ではない。あなたも私も、理屈だけでは分かり合えない経験をこれからもきっとするだろう。人間はそういう生き物だと思うより他ない。

だからといって悲観する必要もない。
サバクトビバッタの研究を行なっていた著者は、昨年にバッタの防疫に大変有益な研究成果を論文で報告している。


共同著者には、モーリタリアの研究者の名前もずらりと並ぶ。分かりあうことは困難ではないが、不可能でもないことを示してくれている。その先に偉大な研究成果が待っているなら、頑張る理由になるだろう。

どうしても行き詰まってしまったら、ヤギを賄賂に渡せばよいのだ。大体一匹一万円くらいで買えるらしいよ。


それでは。

(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』

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