「パティシエさんとお嬢さん」に学ぶ、外見至上主義や原作リスペクトよりも、大事なものがある。
働く環境がガラッと変わってから、はや二年が経とうとしている。
わたしの職場は、在宅ワークの制限なし+完全フレックス制を導入しているため、かなりフレキシブルに働くことができる。月に規定の時間さえ働いてしまえば、「今日は2時間だけやって帰ろう」なんてことも制度的には可能だ。制度的には。
とはいえ、昔に比べればかなり便利になったと思う。雨降ってダルいなとか、今日は寒いな、なんて理由で出社の予定を在宅に切り替えて働けるのだから、ありがたい。まぁ、私がしょぼいポストだから出来る技という気もするが。
しかし世の中、うまい話はそうそうない。
在宅ワークと共に標準となったWEB会議の影響で、バカみたいな時間に会議を入れられることが多くなった。海外事業所がかかわると、6時とか22時とかに平気で入れられる。
また在宅ワークの時の歩かなさがヤバい。下記はある週の歩数のグラフだが、出社時と在宅ワーク時が一目瞭然だ。
家で完結する在宅ワークの日は、悲惨な状況になっている。出社時に毎回15000歩を超えているのもどうかと思うが、ここまで歩かない日があると健康に過ごせているか心配になる。
しかし怠け者な私の感情は、この状況を打破しようとは全く動かない。『パティシエさんとお嬢さん』のヒロインのように、チートデイと称して甘いものにありつきたいと、いつも思っている。どうしたものか。
ノンストレス漫画のニーズ
『パティシエさんとお嬢さん』はTwitterで支持され書籍化した作品だ。以前紹介した『月曜日のたわわ』しかり、ある程度支持が約束されている作品を書籍化や映像化する流れは止まらない。出版社や配給会社だって売れる保証が欲しいのだ。
あまり予備知識なく読み始めたのだが、令和に相応しいノンストレス漫画であった。ヒロインとパートナーは付き合ってこそいないものの、お互いに両想いであり、ラブコメにありがちなライバルキャラすら登場しない。
嫁さんと映画やドラマを見る時に「今日は頭を使わずに見れる作品がいい」とリクエストを受けることがある。その気持はとてもよく分かる。ストレスフルな日常に生きる現代人には、娯楽の中にある僅かな負荷もノーサンキューなのだ。
こんな気分の時に『インターステラー』や『テネット』を提案したら、死んだ魚のような目をした奥さんを2時間半見ることになるので、注意が必要だ。
対して、『孤独のグルメ』などは最適だ。だいたい「美味しそう」と相槌を打っている間に時間が過ぎていく。
『パティシエさんとお嬢さん』もその類の作品だ。全く頭に負荷をかける必要がない。
このように、ノンストレス漫画には一定のニーズがある。あまり余裕はないけれどもコンテンツに触れていたい時などには、最適な作品といえる。
対象読者層ではない悲しさ
しかし本作は(少なくとも私にとっては)全く面白くなかった。
話の起伏があまりに無さすぎた。両想いなのにお互いの気持ちに気づかない鈍感な二人が、グズグズと心の距離を詰めるだけの話である。二人を揺るがす事件など、一度も起こりはしない。
しかしこれは作品が悪いわけではなく、完全に私が悪い案件だ。
もどかしい二人をハラハラ見守られる多感な年頃なら問題なく楽しめたのだろう。
しかし、こちとら既婚のオッサンである。残念ながら、そんな気持ちは高校のロッカーの中にギュウギュウにしまい込んで、大人になってしまった。キラキラした気持ちを忘れ、汚い世界で生きる私には強すぎる光だ。
自分が想定される読者層ではなかったと気づいた時、私はとても儚い気持ちになる。自分にもあったはずの多感な青春時代を思い出し、懐かしい気持ちのまま暗闇で蠢く蟲に戻るのだ。
プチ炎上と原作リスペクトの精神
そんなノンストレス漫画の『パティシエさんとお嬢さん』がプチ炎上したというニュースを見て驚いた。どうやって!?と思い調べてみると、漫画ではなくドラマ化した際のキャスティングが原因であった。
原作の唯一のアイデンティティと言ってしまっても過言ではない部分が、ドラマのキャスティングでは失われていたことがプチ炎上の理由だ。それは、ヒロインとパートナーの特徴的な体型である。
ヒロインはぽっちゃり、パートナーはガッチリと、少女漫画としては珍しい組み合わせだ。これ対して、ドラマはスリムな役者さんがキャスティングされている。
原作リスペクトの精神がない!作者のこだわりが消えてしまった!あの雰囲気が良かったのに!等々、唯一のアイデンティティを失ったドラマに対する怒りの声が纏められ、プチ炎上として世に認知されてしまった。
(とはいえ、煌々と燃え上がる他のインターネット炎上と比べれば可愛いものではあるが)
また、この件をメディアに対する外見至上主義への批判に結びつけた記事もあった。
これらの主張が意図するところは分かる。
しかし私はどこか的外れだなと感じてしまった。それは、巻末で作者である銀泥先生のあとがきが心に残っていたからだろう。
本作ではヒロインが自分のぽっちゃりとした体型に悩むシーンは一切ない。安易に多様性を描くネタとなりそうな要素にもかかわらず、パートナーであるパティシエさんも、ヒロインの同僚や家族も、誰一人として彼女の体型を貶めるような行為はしない。もちろん、彼女自身も含めて。
ヒロイン達の体型が本作のアイデンティティであり、この組み合わせを好み、勇気づけられている読者がいることは事実だ。しかし、本作の根幹は体型の話ではなく、ポジティブで優しい世界を描くことであった。
役者さんの体型がどうあれ、銀泥先生が描きたかった優しい世界が再現できるのであれば、それで良いのではないかと私は思う。スリムな役者がふくよかなヒロインの心情を演じることもまた、多様性の一面と考えることもできるかもしれない。ややこしいな、多様性。
でも、痩せよう
などという薄味で当たり障りのない結論で終わってしまっても良いのだが、どうしても引っかかっていることがある。
多様性も原作リスペクトの精神も、とても大事なことではあるのだが、もしぽっちゃり体型のヒロインとパートナーの幸せを、それも長期的な幸せを望んでいるのであれば、私たちは彼女に進言しなければならない。
痩せよう、と。
チートデイとか言って、ケーキ6個も買っている場合ではないぞ、と。
彼女たちの想いが通じ合ったとて、その幸せを享受するには生きていなければならない。死は逃れられないが、遠ざける努力はできる。そして、長く生きていれば、それだけ幸せを過ごすことが出来る。
ということで、日本における昨今の死因について調べてみよう。厚生労働省の報告によると、令和2年度の死因順位は以下のようになる。
癌の死亡率が爆上げしているのが目立つが、心疾患もまた右肩上がりに伸びていることは見逃せない。また、脳血管疾患は介護が必要となった原因の第2位である。要介護となれば、自分だけではなく周りの大切な人にも大きく影響を及ぼしてしまう。
このように、高い死亡率や要介護の原因となっている、癌・心疾患・脳血管疾患には出来るだけならないことが、ぽっちゃりヒロインが長く幸せな日々を過ごすための要件といえる。
しかし、これら疾病になってしまう原因には、生活習慣病が深く関わっている。特に、食習慣や運動習慣の影響による肥満と心疾患の関連性は深刻だ。
アメリカ心臓協会によれば、肥満は寿命の短さと心血管疾患(CVD:cardiovascular disease)の罹患率の高さに、高いBMI(Body Mass Index:肥満度を表す体格指数)はCVD由来の死亡リスクに、有意に関連していると報告されている。
さらに内臓脂肪型肥満に、高血糖・高血圧・脂質異常症のうち2つ以上の症状が出ている状態、つまりメタボリックシンドローム(Mets:metabolic syndrome)になってしまえば、心疾患だけではなく脳卒中や癌のリスクも高くなる。
留意頂きたいが、体型に対する偏見や外見至上主義から痩せることを推奨している訳では決してない。ふくよかでもスリムでも、魅力的な人はいるのだから。
しかし、健康に関しては別だ。
これまで述べたような肥満に関連する健康リスクは、大規模なコホート研究やメタアナリシスによって得られた知見である。もちろん例外はあるが、科学的根拠に基づき警鐘を鳴らされたと理解せざるを得ない。
繰り返すが、ケーキ6個も買っている場合ではないのだ。
うまい食事と適度な運動
冒頭に在宅ワークの影響で歩数が激減していると書いた。要は私も他人事ではない。肥満に伴う健康リスクは、誰にでも平等に訪れる。(詳細に調べれば、種差や性差はあるかもしれないが)
テレビや本でダイエット関連の情報に触れるたびに、ずっと頭をよぎる映像がある。『幽遊白書』で仲間の妖怪をS級まで鍛え上げた蔵馬が、その秘訣をサラッと話すシーンだ。
生活習慣病は薬だけでは治らない。
薬物療法でLDLコレステロールを減らしたり、血圧を抑えてたりしても、それは対処療法であって根本治療ではない。
それゆえ、生活習慣病の改善は、運動療法・食事療法・薬物療法の3本柱で考えなければならない。生活態度を改めない限り、根本的な改善には至らない。蔵馬の言う通り、「うまい食事と適度な運動」が生活習慣病の予防や改善には必須と言える。
しかし私が注目したいのは蔵馬の台詞ではない。
注目したいのは、蔵馬の後ろに見え隠れしている、「うまいー!? あのドクみてーな薬草がか」「てきど!? ジゴクじゃ あれは」といった、生活習慣を改善した当事者の声である。
科学的根拠に基づけば、蔵馬の主張は正しい。医者も同様に生活習慣の改善と称して、運動療法や食事療法を涼しい顔で勧めてくるだろう。しかし、当事者にとっては、勧められるうまい食事療法は全然美味しくないし、適度な運動療法は地獄だ。
一度甘さを知ってしまった人にとって、正しく生きることは容易ではない。
遠い幸せより、目先のケーキ6個を選んでしまうヒロインを、私は責められない。
まとめ
ぽっちゃりヒロインの幸せを願っていただけなのに、なぜか厚生労働省やアメリカ心臓学会のレポートを読む羽目になってしまった。訳が分からない。
科学的根拠から導き出されたリスクは疑う余地がない。しかし、そのリスクが分かっていても、真摯に改善活動を継続しできる人ばかりではない。
いつだって人は不合理だと思う。しかしそれでも生きねばならない。
幸せのために継続的な改善活動を行うためには、やはり感情と理性にうまく折り合いをつけて、短期目標を立てながらひとつずつクリアしていく方法が、最もスマートなんだと思う。
何度も引用するが、『Switch!』は良い教本だ。
などとエラそうなことをつらつらと書いたが、今どんな気持ちかと問われれば、ケーキ食べたいな、というのが正直なところだ。
ヒロイン、美味しそうに食べるよね。
それでは。
(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』)
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