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聖橋の交差点

人にはいくつか、わすれられない想い出の場所や瞬間、匂いがあるとおもう、思い出す時に息が詰まったり、目をつぶったり思わず涙がこぼれてくるような、そんな場所。

そのなかの一つに、御茶ノ水がある。御茶ノ水の、丸善とLEMON画翠の間の通りがJR御茶ノ水駅の前でぶつかる聖橋の交差点。

ここは12歳の私が、初めて東京に「ひとりで出逢った」場所だったからだと、30を目前にした昨日ひさしぶりに訪れて気づいた。

以前から、友人や夫に好きな場所は?と聞かれると神保町とかおちゃのみずかなーとこたえていた。中学高校が近かったこともあるし、離れた大学に決まった後も、ちょこちょこ明治大学に出入りさせてもらったりして、結局、文京区がなんとなく好きなのも、きっとお茶の水が文京区にあるからじゃないかと思っている。

昨日、2年ぶりくらいに千駄木とお茶の水を夫と散歩した。なにか用事があったわけではなくて、散歩というよりは、マツコみたいにどこか普段の生活圏ではない「巷を徘徊」したかっただけだったんだとおもう。旅行とか大それた非日常で満たされる類いのものじゃなく、どのような形であれ自分の中に連続性のした地がある場所にいく必要があったのだ。千駄木については私はニューカマーで、夫の方がきっと深い「した地」があったんじゃないかな。千駄木から目的地を決めずに二人でバスに乗り込んで、夫から次どこ行こうかと聞かれた時に口をついて出てきたのが

「お茶の水で降りようか」

という言葉たちだった。

到着して、夫がよく浪人時代にお世話になっていたという(!)明治大学の食堂にお邪魔しカレーをたいらげた後(とても見晴らしのいい展望台ラウンジでおったまげた)、下倉バイオリン屋さんや三省堂の方へ坂を降りたりした。いい塩梅にあのあたりを堪能したとおもう。

それでも、どうしても行かなきゃいけない場所に「逢いに」行ってない気がした。それが、聖橋の交差点だった。

今は、理不尽なくらい都市開発が進んで、まぶしいくらいピカピカになった幽霊坂付近だが、それでも聖橋の交差点の1シーンは、ずっと私の中に原石のように重なるのだ。

中学受験をまじかに控えて、私は初めて塾というものに通うことになった。小学校はいわゆる「荒れた」状態で(今思えば、きっとそこまででもなかったんじゃないかともおもうけど)、そんなに社交的でもないしすごく可愛いわけでもない、性格もなんか影って感じだったから友達はいなかった。父と母はいい中学校に行かせたかったらしいが、私は何よりもう一つ自分の居場所、というか友達ができるかもしれない場所に行けるということに、とにかく胸をはずませた。

家からお茶の水はおおよそ1時間半。小学生の私にとっては小旅行な気分で、初めて一人で乗った時はドキドキして、docomoの小さな銀色のケータイ(キッズ携帯みたいに洒落たやつじゃなくて元祖の感じ)をピコピコさせたりしてなんども電車の車内を見渡した。なんども繰り返されるトンネルをこんなに乗り越えた先は、きっと少し大人になった自分になれる予感がしてたんだとおもう。

大手町で乗り換えて、千代田線の地下のコージーコーナーにワクワクして、でもそっちの出口からじゃなく、少し狭い方の右手の出口からすごい風を受けながら、勢いをつけて駈け上がった。

その時はじめて「出逢った」のが、聖橋の交差点の景色なのだ。

あぁこれが東京なのか、あたしオトナになったな、こんな世界があったのかどうしようどうしよう 

18年越しに、言葉にできた言葉たちだから、何だか感慨深くって、とりあえずこうやってnoteをひさしぶりにひらいたのだった。

この聖橋の交差点は、その後半年間、大事な友達2人といつも、さよならまた明日の挨拶をする場所にもなった。中学高校大学に入っても、さして友達が増えなかった私にとって、彼女たち2人は本当にかけがえのない友達だった。しょっちゅう連絡をとる仲ではないが、忘れた頃にふらりとLINEがやってきて、ちょっとあってまたあの日みたいにまたねをするのだ。

しばらく、聖橋によりかかって私は夫にその日の光景を語って、神田川の上を総武線と丸ノ内線がクロスするのを眺めていたのだった。


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