たまごのプリンの大冒険。
愛とは何かを問われたとき、一番に思い浮かぶことは「おいしいものを一緒に食べたい」ということだ。
小学生だった頃、給食で出てくるプリンが大好きだった。
そのプリンが献立に入っているときは一週間前くらいからそわそわが止まらずに
前日から当日になれば、食べ終わってしまうこととの恐怖と戦い。
プリンひとつで、それはそれは感情を掻き乱される日々を過ごしていた。
無事に食べ終わったその日家に帰れば、今日もプリンはおいしかったという話をする。
母親は「そんなにおいしそうなプリン、食べてみたいからもう一度小学生に戻りたい」と言った。
小さい脳みそは考える。
ぽくぽくぽくぽくちーん、で、ぴっかーん、ひらめいた!
「おかあさんはもう小学生には戻れないから、家にプリンを持ち帰れば今のおかあさんの状態で食べられる…」
そう思ったわたしは、次のプリンの日までに間に合うように
『プリン持ち帰り大作戦』を目論んだ。
七夕やクリスマスなど、イベントがある日の給食には時々ケーキが出た。
そういう時に限り、デザートの持ち帰りが許されていたけどそれ以外の何にもない日のプリンは持ち帰りNG。というか、わざわざ家に持ち帰って食べたいという友達はいなかった。ご飯を食べ終わったら流れでプリンのふたをめくる。
それはわかっていたけれど、
でも、どうしても一度だけ、食べさせてあげたいんだ…
ルールからはみ出すことは基本しなかったわたしの大冒険。
全ては、おいしいプリンのため。
よくないことをしているので、きっと挙動不審だったはず。
給食の他のものも喉を通らないくらい緊張してしまい。
プリンをなんとなく、触ったりなでたり、もみもみするようなそんな時間を過ごして
ごちそうさまの終わりかけに、そっと机の中に仕舞い込む。
そして昼休み、ごそごそとランドセルに移動させたところで持ち帰りの第一ミッションはクリア出来た。
あの時、季節はなんだったか。
お腹を壊した思い出はないから、暑い時期ではなかったと思う。
ランドセルに大金が(いや、プリン1個だよ)入ってるような扱いで大事に背負って家に帰り、ランドセルの中でガッチャガッチャ動いただろうそのこはちょっとだけカラメルが上に上がってきてしまっていたけど
あーしてこーして、やっとの思いで持ち帰ったんだ!というエピソード付きであげたプリンはとても喜んでもらって
給食の時に我慢したから、と母親と半分個ずつ食べたあのプリン。
なんと、スーパーのご当地グルメ特集のところで見つけたのだった。何年振りかの再会に心が躍ってふわふわして。
記憶の奥の奥にしまいこんでいた、なんならもう忘れていたようなプリンの思い出が溢れて止まらず
「なつかしすぎるーー😂」と、
昨日はもやしとにらしか買うつもりはなかったのに
お会計の時にはプリンもしっかり、手に持っていた。
懐かしすぎるパッケージはそのまま。
IBARAKIと書いてあった。
そうか、茨城乳業というところが作っていたからこれが給食に出ていたのか。
なつかしすぎて、友達に写真を送ったけど
テンションが上がっていたのはわたしだけで、「こんなのあったー?」という反応。
夢を見ていたのか?ううん、そんなことはない!現実にわたしはこのプリンと大冒険をしていた。
何十年も前の記憶通りの味のままだった。
今は令和の時代。する気には、もっと今風のおしゃれな味になるかもしれないのにレシピは昔のそのまんまで(失礼!)素朴で甘さは控えめ、でもたまごの味はかなり濃くて。
こびとの絵のパッケージも変えていないこともメーカーさんのこだわりを感じた。
プリンの他にも、海苔香味というふりかけが好きでそれも家に持って帰ったことがあったけど、プリンの難易度をクリアしていたらふりかけひとつなんて屁のかっぱ過ぎた🍮
このふりかけもおいしかった。
大人になって、おいしいものをたくさん知ってもやはり思い出というスパイスが効いた食べ物はエモ味。
このように、幼き頃からおいしいものは共有したいという気持ちがあって。逆に、母親もおいしかったものを帰省の時に食べさせてくれようと冷凍保存してくれていることもある。
「たべさせたいもので冷凍庫がいっぱいだからまた帰ってきて」と最近連絡があった。
あたたかくなればまた帰省できそうなタイミングがやってくるかな。
冷凍庫の中身はなんだろうと、帰ってからのお楽しみにしているけど、何が出てきてもきっとそれは思いが詰まったおいしいものに違いないので
わたしは今、はらぺこで帰省できる日を楽しみにしている。
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