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「一人」と「みんな」、二足の草鞋を履いてみるすゝめ

大学受験、そしてフリーランスとして執筆や企画の仕事など、ずっと独学でどうにかやってきた経緯もあり、基本は「まず自分一人でやってみる」といいう姿勢をとるようにはしている。

けど、独学だけではどうしようもないこともある。いや、というよりも、そもそも「どうしようもない」と自覚できないことすらある。こいつが怖い。若いときであれば、それなりに指摘してくれる周りの大人がいるけど、まあまあ年を取ってくると"粗"の部分は言われなくなってしまう。

ぼく自身、一人の限界を何度も感じてきた。

一人だと「続かない」し、「正しさが掴めない」こともまあまあある。だからこそ、自分のやり方を貫く範囲と、自分のやり方以外のやり方に目を向ける範囲とを見極めなくちゃいけない。

これまで良かったと思う経験として、チームプロジェクトに巻き込んでもらったことだろうか。「京都移住計画」もその一つだった。移住(の準備)も「一人じゃなく、みんなで」という考え方をインストールしはじめたのは、ここがきっかけだったように思う。

DIYでなく、DIT(Do It Together)のような手法でリノベーションプロジェクトを過去に進めてきたのも、一人だけでは動かせないものを動かす、もしくはつくり方を学ぶためでもあった。

「みんなでやった」ことは、「自分一人でやる」ことに必ず還元される。気付けば、単独で乗り込んで、鳥取に移ってきちゃったし、ビスを打ったり漆喰を塗ったりが、ビビらず平気でできるようになった。

みんなで考えたり実践したことが、「ああいうときはこうすればいい」というケーススタディにもなったし、困ったときに気兼ねなく相談できる人がいたことに助けられた。チームでやることの有り難さはそういったところにある。

去年から共同オーナー制の畑を動かしている。正直なところ、取り組みとしては、まあ似たり寄ったり、各地にあるようなものだろう。

ただ、地の利があるプロの農家さんと1年かけて、定期的に会って、野菜の生育状況を確認し、基礎知識に毎年不安定な自然に合わせた対策を聞き取り、世間話なんかもグループで共有できることの意味はやっぱり大きいとつくづく思う。

数年前から家庭菜園はつくっていたけど、植えればなんとなく収穫できてしまうためにザルでやっていたことが多かったことを、SAN△TENを通じて知った。と、気付けた。

一人でも家庭菜園やってみるけど、みんなでも畑をやるから、いい感じに比較しながら、実験を進め、知識と経験の密度を上げることができる。そう、一番強いのは、「一人でやること」と「みんなでやること」の二足の草鞋を履いておくことだろう。

フリーランスになったばかりの子に、自分一人で完結できる仕事以外にも、同じ業務でも違った手法を持つ人がいるチームに混じっての仕事もやったほうがいいよと薦める理由にも通ずる。

長い目でみれば、正しい知識や技術が、生きながらえるための糧になる。だから経験に時間やお金、そして熱量を投資したほうがいい。目先のことばかりに捕われるじゃなくて。

もちろん、あくまで大事なのは「一人で」だとぼくは思う。家庭菜園の話であれば、全部自分でできりゃあそれに越したことはない。細かい知識もネットで調べて、ちまちま小さく改良できるのであれば最初から自分でやればいいはずだ。そういう人に「みんなで」を共有も強要もすることもない。

ただ、いきなり「一人で万事オーライ!」なんて人はそうそういないのも事実。だから、「みんなで」に乗っかってみるわけだ。世の中いろんな「学校」があるけど、そこにお金と時間をかけるのって結局そういうことすよね。

ということで、仕事も畑も、それ以外の何事も「一人で」に凝りすぎず、「一人で」に懲りる瞬間もたまにはあったほうがいいですよ。というおじさん見習いからのお節介でございました。

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