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場が死なないサイクル

けんけん(大江健太)さんのnoteを読んでて、場づくりについて思ったことを雑記しておこうっと。

「場づくりするんだったら、みんなでつくらない?」

と、シンプルな表現だけど表現するのにややディフィカルトなこの言葉。そうそう、まさにそれだと思うし、なにかしらのかたちで参加する人がいて、初めて「場」ってのは成立するわけだ。

だから、どんな場でもあっても「みんなで」という主語は抜かしちゃいけない気もする。ましてや、「地域」という言葉を意識するならなおさらに。

津和野という山陰でも奥深いエリアで「食」をもとに場づくりをしているスペース「糧」でやっていること、そして、その基礎にある場づくりの(けんけんさんの)思想は勝手ながらシンパシーを感じている。

今ちょうどローカルな場づくりの考え方について、ご老人たちに共有しちゃいけない状況があって、ざっくりとまとめている途中だ。

「みんなで」をかたちにするためには、”情”だけではどうしても難しいのは事実で、そのための程よく”理”にかなった仕組みづくり(システム構築)と、上記のサイクル(①②③)を回すためのサポートが、運営側(コミュニティマネジャー的な人)が意識できてるといい。

また、たとえハード的に上記の仕組みをつくり上げれたとしても成立しないことは多々あり、ソフト的に「”人の心情”や”場の空気”に敏感で、アプローチできる人」がいてようやく成立する。

上記でいえば、「①集まるきっかけをつくるための話題提供」「②似たような興味/課題を持っている人をお見合いさせる巻き込み力」「③『やってみたい』に対するやり方の共有、あるいはロールモデルの提示」などである。

ここらへんは数値化しにくいものであり、だからこそ、がっつりとプランニングできるものでもなく、TPOに合わせていい塩梅を探そうとする能力が必要になってくる。

震災以降、「コミュニティ」という言葉が飛び交うようになり、同時に「場づくり」という活動が盛んになってきたけど、活動分母のわりにはうまくいっている事例が少ない(と感じる)のは、その数値化できないものを見逃しているからではないかと思う。

うまくいっている場のモデルは、図解されたものがいくらでも回ってくるが、それを各々の地域にチューニングすることなく、猿真似してしまうと当然うまく行くわけもない。

何度も挙げてる”数値化できないもの”を扱うための思想を浸透させ、思想を実装化するためのアプローチ方法を持った人材を引き寄せるための仕組みづくりが今ちょうど向き合っている”場づくり”のこと。

ちなみに、場づくりする人は、この記事とか読んでみるとなんか参考になることあるかもね。

場はメディアみたいなもんだから、どうやって人(と人に付随する情報)の循環を生むか、また人を押し上げるハード&ソフトのお手伝いができるか、ここらへんを場づくりに関わる人とおしゃべりしたい(できれば酒を吞みながら)。

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